第2話 樹海 1

 外では木々が色づき始めて、ドームから見える葉がカラフルになった。

わたしは運搬作業用の小型リフトを操作して、研究室のあちこちに荷物を配ってる。

「小川博士、お届けものです」

 いつものロボット研究室へ行くと小川博士がすっ飛んできた。

「ありがとう、ソラちゃん。これ待ってたんだ」

 博士は我慢できなかったみたいで、手にした箱をさっそく開けた。

「どうだい、これ」

 中から出てきたのはカシミアのロングコートだった。ブラウンベージュに焦げ茶色の縁取り。博士は袖を通すと、くるりとターンしてみせた。

「すてき、すてき!」

 長身の小川博士によく似合う。

「ソフィア博士に誉められてるみたい。もっと言って」

「どこに着ていくの?」

「こんど皆で五十鈴の点検に行くだろう? そのとき」

「そんなロングコートだと藪に引っ掛かって作業にならないわよ」

 呆れ顔のソフィア博士が応じた。

「野牛の群れに追いかけられたら大変だぞ」

 一緒にいる黒岩博士がチョコバーをかじりながら茶々を入れ、細面の柔和な根岸博士も苦笑する。

「だって実質、点検はカナタがさっさと済ませてくれるじゃないですか。ぼくらはゆっくり散策しましょう、秋の森を」

 小川博士が芝居めかして恭しくお辞儀をして、ポーズを決めた。

「わたしは不参加」

「えー、貴重な外出なのに?」

 ポーズを決めたまま、小川博士がこけた。

「さすがに疲れたから、その日は休むわ」

 わたしと小川博士は顔を見合わせた。

 口に出さなくてもわかってる。

 ここ一ヶ月でソフィア博士は老化が進んだ。

 伸びていた背筋がかすかに曲がり、顔の皺が深くなった。

 なぜだか抗エイジング処方を止めたみたい。

「一緒に行きましょうよ。ぼくのコートが無駄になっちゃう」

 小川博士が説得する声を聞きながら、わたしは作業リフトを次の部屋に向けた。

「そっちは終わった?」

 地震予知のほうを回っていたカナタと回廊で合流した。

「さっき西片さんから荷物がどんどん来てさばききれない、って連絡きたからゲートのほうに行くね」

 カナタはそう言いおくと、第五ゲートへ向かった。

 施設全体が何となく浮き足立ってる。数値には見えないけど、みんなウキウキした感じ。いつもなら週一便の配送が今週に入ってから毎日配達されてる。

「わたしも後で行く」

 カナタの背中に声をかけると、振り返らず腕だけあげた。

 西片さんは第三ゲートから第五へ異動したばかりで、まだ仕事に慣れてないのかな?

 まえの警備員、わたしを捕まえた山野さんは半月前に急逝した。

 抗エイジング処方を受けている者特有の死に方だった。

 第五ゲートは警備という仕事の性質上、直接寝泊まりするようになってる。

 朝になっても食事に現れず、心配して見に行った職員が椅子に座ったまま事切れていた山野さんを見つけた。

「薬で寿命を限界まで延ばすから、たいてい最期は突然だ」

 全職員で行われた葬儀の席で小川博士が言ってた。目元に深いかげりが見えた。いずれ自分も同じようにして、世を去ることを嫌でも意識させられるからかも知れない。

 ――大切なひとに、さよならを伝えることもできないなんて。

 パトリック博士は自分の寿命のままに生きた。独自のサプリメントくらいは飲んでいたけど、それだけ。

 晩年は小さくしぼんだ体を介助付き車椅子に乗せ、大学の講義へ向かった。わたしはいつも車椅子のあとをついていった。

 葬儀の席でわたしはパトリック博士の最期の場面を右目に再生させていた。

 皺だらけ、でも温かい手。出会ったときには空を映したように青かった瞳は白く濁ってしまったけれど、変わらない優しいまなざし。

『ずっとそばにいてくれて、ありがとう。私は幸せだったよ』

 とても悲しかった。でも博士とは穏やかなお別れができたと思う。

 厳かな場にいて、わたしはひとつの疑問を感じていた。

 抗エイジング処方は特別の人しか受けられない。政府が顕著な功績を認めた場合にしか許可しない。長く生きて、社会に貢献してほしいから。

 もちろんパトリック博士のように、それを受けない人もいる。

 でも、言い方は悪いけれど一介の警備員が受けられるものでは無いはずなのに。もしかしたらこの施設で働く人すべてが受けているのかも……そう考えたほうが自然だ。末端の職員が受けているならば。

 でも、なぜ。

 喪服を着たカナタは青ざめて見えた。この施設で多くの人を見送ったに違いないカナタ。

 わたしたちロボットは人間に『とり残される』。

 カナタは最初のマスターや仲間たちを失ってから、どれだけのサヨナラをしてきたんだろう。

 山野さんの葬儀の場面を思い返す。

 みな悲痛な表現を浮かべていた。

 百人足らずのドーム内のメンバーが、何らかの絆で結ばれているのを感じた。

 絆というよりは理不尽な「何」かを受け入れた共同体。

 そう感じるのはなぜだろう?

 わたしが知らないだけ……。

 ドームのみんなは浮かれ気分。わたしは仲間外れを味わう。

 ――ね、どうして山野さんを迎えに来る人は誰もいなかったの?

 日ざしが山野さんの眠る職員用の墓地を温かく照らす。



 足下に秋のパノラマが広がった。

「すごい、きれい!」

「暴れないで、ソラ」

 カナタはわたしを胸に抱く腕に力を加えた。

 見渡すかぎりの樹海は、濃い緑から今は赤や黄色に色づいている。吹く風は暖かく天気も上々、お出かけ日和だ。

 五十鈴の点検日に作業着のカナタが背負ってきたのは、ウイングの出し入れができる小型のグライダーだった。

「でもグライダーでしょ? どうやって飛ぶの?」

 わたしが尋ねると、カナタは人差し指で空をさし、事もなげに答えた。

「ジャンプする」

 と。

 まさか、と思ってたのに本当だった。

 枝の張り出しがない場所でカナタは地面を蹴った。

 わたしの目の前で十メートルくらい軽々と飛び上がったのだ。そのまま上空で翼を広げると風に乗り周囲を一周してみせた。

 ぽかん、とみあげているわたしの前にカナタは翼をたたみ音もなくふわりと着地した。

「すごい!! カナタ、すごい!! 今まで旧式とか言ってごめん」

 カナタは困ったように笑った。

「一緒に飛ぶ?」

 カナタの申し出に思わずしっぽが盛んにゆれた。


 メンテナンスは広大な樹海に設置されている小ステーションを一つずつ動作確認をして故障や補修箇所を探すこと。小ステーションは三十くらいのセンサーを管理する。そんなのが樹海には十ヵ所。一つ一つが離れている。道もない場所だから、飛ばないと仕事にならない。

「雪が降る前にすませないと」

 カナタは首の右側に手を当てると肌の部分を開き中からコードを引き出し、ダミー木のカバーを開けてコントロールパネルに接続させる。普段は人間にしか見えないカナタの皮膚の下は、わたしと同じ。細やかな歯車や配線を直接目にすると不思議な気分。

 あたりをぐるりと見渡す。本当にここは深い森なのね。舗装された道は一本きり。あとは籔か獣道。

「カナタ、頬っぺた切れてる!」

 視線をカナタにもどして驚いた。カナタの頬から血がにじんでいた。

「血が……血?」

 ロボットが出血するわけないよ!

「枝に引っかけたかな」

 カナタは慌てず指で傷口をなでた。

「オイルが赤って作った人は悪趣味……痛くないよね?」

 当然、とカナタがうなずく。あたりまえだわ。わたしだって痛覚はないもの。

「九条博士は凝り性だったから」

「あなたを作った人?」

「うん、ソフィア博士のご主人」

 驚いて籔を踏み外して葛に足を取られる。

「初耳、ソフィア博士は結婚してたんだ! じゃあパトリック博士はソフィア博士に……」

「片想いだね」

 カナタはわたしを籔から外してくれた。

「片想いってどんな感じかしら。わたしはパトリック博士と両想いだったから分からないわ」

 カナタの乏しい表情からも呆れた、というが伝わる。ちょっと気分を害する。

「もう飽きちゃった! みんなのところに連れてって」

「もう?」

「三ヶ所も回れば充分。カナタは辛抱強すぎ」

「ソラは飽きっぽすぎ」

 ため息をついてカナタはわたしを抱きしめると、空に向かってジャンプした。



「もう終わった?」

 すでに顔を赤くして酔った小川博士が声をかけてきた。

「ホントに何にも手伝わないのね。わたしはちょっとはカナタに付き合ったわよ」

 ドームの研究員たちはばつが悪そうに笑ったけれど、基本的にみな上機嫌だ。

「でも、こっちのほうが楽しそう」

 わたしはみんなのところへ駆けよった。

 カナタは放射線の研究員に線量を確認してもらってから、また出かけた。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 飛び立つカナタを見送る。あっという間に見えなくなった。

「ソラちゃん、ここにおいで」

 小川博士は自分の膝をぽんぽんと叩いた。

 折り畳み式の椅子に座る小川博士の膝に乗ると、背中を撫でてくれた。

 草を苅りはらった急ごしらえの広場にテーブルと椅子をしつらえ、ドームから持ってきた料理を並べてある。サンドイッチに小さなおにぎり、色とりどりのオードブル。バーベキューもしている。お酒を飲んだり歌ったりダンスをしたり、それぞれに楽しんでる。もう完全にピクニック。

「けっきょく、ソフィア博士は来なかったのね」

「どんなに誘ってもダメだった。こんな上天気に外出日が重なるのは珍しいのに……残念」

 それでもこの日のために用意したコートはしっかり着てる。

「ね、ソフィア博士の旦那さまってどの人?」

 わたしは小声で聞いてみた。小川博士の手が止まる。

「……だいぶ前に亡くなったよ」

「そうなの? でも彼女、再婚してないみたいだけど」

 そうなんだよねぇ、なんて小川博士はそのまま口ごもる。

「片想いってどんな感じ?」

 隣でドーナツを頬張っていた黒岩博士が突然吹いた。

「それは聞かないであげて、ソラちゃん。小川博士はカタコイテーオー百四十七歳だから」

「百四十六だ!!」

 酔って赤くなった顔を更に赤くして小川博士は甘党の黒岩博士に抗議した。

「片恋ってソフィア博士に? 残念、わたしあなたのことを結構好きだったのに」

 小川博士は顔を手で覆ってしまった。

「もうキツい……パトリック博士がソラちゃんを喋らせなかった理由が分かりすぎて切ない」

 それはわたしの声がソフィア博士のものだから?

「ぜったい手が届かないのに、"好き"とか同じ声で言われたら辛すぎる」

 そうそう、と黒岩博士も同意する。

「今だったらパトリック博士に、好きなら会いに行きなさいって言うわ。待ってばかりいないでって」

 わたしがそう言うと二人とも口を閉ざした。

「ここは往き来が難しい場所なんだ。ソラちゃんにだって何となく分かるだろう」

 諭すように語りかける小川博士にカチンとくる。

「分かりませーん」

 人間の都合なんか分からない。わたしは小川博士の膝から降りた。

 そのまま会場を回ってみていると、新顔に出会った。

「犬、犬型ロボットか」

 この間配信されてきたから知ってる。新しく第三ゲートに配属された鈴木さんだ。

 鈴木さんは名前も平均的だけど容貌も平均的な四十代だった。中肉中背。オールバックの髪に、作業着のまま。おしゃれをしている人の中で浮いて見える。そのくせ、あまり特徴のない顔。記憶のとっかかりになるものがない。

「さっき飛んで行った彼もロボットだね」

 わたしはうなずいた。

「でも、ただの雑用専門なんだろう?」

「それはわたしのこと? カナタのこと?」

 返事をしたわたしに、鈴木さんは片方の眉をあげた。

「ずいぶんはっきり話すんだ。外では見かけないタイプだ」

「そうよ。わたしとカナタは特別なの」

「へー、どんなところが?」

 言われてから、返答の仕様がないことに気づく。

 カナタはスペシャルだわ。見かけがほぼ人。でもそれ以外には……。

「あれ? 意外にも平凡。でも彼、ピアスがエメラルドだよね。マスターのお気に入りだったことは確かみたいだ。いちど味見してみたいな」

 カナタのピアスなんて細かいところまで気にしたことなかった。味見とかって、ずいぶん失礼。

「ああ、きみも可愛よ」

 わたしは伸ばしてきた腕から身をよけた。毛いっぽん触られたくない。

 なんだろう、この人。見かけと裏腹な感じ。

 わたしはニヤニヤ笑う鈴木さんをひと睨みして回れ右をした。

 ざわざわする。あんな人が新しいメンバーだなんて。第一と第二ゲートは無人で第三ゲートからは有人だけど、あの人で大丈夫なのかしら。

「!! あ……!」

 体がびくんと震えた。

 あの信号だ!! しばらく聞こえてこなかったのに。

「……っ!!」

 ドームの外にいるせいか、前よりはっきりと聞こえる。何かを訴えてる…?

 わたしは人の輪から離れて声のするほう、樹海へと足を踏み入れて行った。


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