第3話 樹海 2
樹海には道なんかない。
信号は徐々に意味を持った言葉へと変わっていく。
「……! アツ……! イ!」
事故が起きたのは百四十八年前。発電所の周囲ニ十キロは完全に立ち入り禁止地区になってる。残された家畜は野生化したって聞いた。あたりは野生動物の匂いが残っている。街では嗅いだことのない匂い。黒岩博士が言っていた野牛の群れとか、冗談じゃなくホントらしい。あと猪とか、鹿・猿? まさか熊なんか出てこないでしょうね!?
生い茂った樹木や植物が行く手を阻む。わたしの短い足じゃ藪をかき分け進むのは難儀だ。なるべく倒木や、かすかな獣道を選んだ。どれくらい来たんだろう? 気づくと辺りは薄暗くなってた。
そして体の中の異変に気づく。時間がわからない、現在地もわからない。いま向いている方角さえ不明。
こんなこと、ありえない!! わたしはあわててネットワークやGPSの衛星を捕まえようとした。
一切の通信が遮断されている……。
ありえない。
世界政府はそれこそ極地でさえ、通信網から取りこぼしていないはず。
それとも、ここを意図的にはずしているの?
帰り道すら分からないわ。もうじき日が暮れそう……でもそうなったら、きっとドームの明かりが見える。
それまで、なるべく動かずにいよう……。
そう決めてわたしは倒木の上に座りこんだ。
闇はじわじわと、わたしの周りを飲み込んでいく。
枯れ葉が風に吹かれてざわざわと音をたてた。大丈夫、バッテリーは一週間は軽くもつんだから。今日帰れなくても、明日になったら……みんな心配してるかな。樹海が完全に闇に沈んだ。期待した明かりは全く見えなかった。暗視モードに切り替えても無駄だった。
普段はドームの中にいるから気づかなかっただけ。明かりは漏れない仕様になってたんだ。
なんだか腹が立ってきた。どういうことなんだろう。ドームなんて、はなから存在していないような扱い方は。
まるで『事故なんか、なかったんです。はやく全部忘れましょう』って言われているみたい。
確かに事故は政府発足してようやく安定し始めたころで、できれば政府は隠しておきたい不幸な出来事だったから。
そういう経緯があったにしても、よ。あまりにぞんざいな扱いじゃないの。
わたしは空を見あげた。
樹の間から星が見えた。
秋の澄んだ大気に、きらめく星。今までに見たことがないくらいに輝いてる。
『周りに明かりが全然ないと、夜空は底に群青を潜ませて、ほのかに明るく見えるんだ』
わたしはパトリック博士の言葉を思い出した。
……事故のときには、大規模な停電が起きたんだよ。当時私はあの島にいたから体験した。その晩の夜空は荘厳な美しさだったよ……あの場所で誰かの命が失われているかも知らず。ただただ、美しい夜空を見上げていたんだ――博士が見たのは、きっとこんな空だったのね。
事故による民間人の死者はなかったけど、救助や事故の処理に向かった当時の防衛隊員は五十三名が死亡。その後、政府は原子力発電所はすべて廃炉にして自然エネルギーに切り替え……。
「イタイ!」
わたしの思考を遮って鋭い声が響いた。
はっきり聞こえた!
「イ、イタイ! イタイ、アツイ、アツイ」
悲痛な叫び声。わたしは声に近づこうと再び歩き始めた。
風に木の葉がざわめく。おそらく夜行性の動物たちは活動を始めている。食べられる心配はないけど、追いかけられたら厄介。
用心しながら声の方向を探る。
「イタイ、アツイ! トケチャウ、タスケテ!!」
助けて……?
「タスケテ、カナタ!」
カナタの響きとともにわたしのコンピュータに見知らぬデータが流れ込んできた。
「ドウシテ、コウゲキスルノ? ワタシ、ナニモ」
眼裏に炸裂する炎が見えた。これは、事故のではない?
「ウタナイデ! カラダガ、」
がん、と体に衝撃を感じた……ように錯覚した。
目を開けると、緑の塔がそびえていた。いつも遠くにあった塔が眼前にある。
蔦に絡まれ、まるで植物が吹き出してこぼれたようだ。
ここは、まだ線量が高いはずだわ……移動しなきゃ。
でも足が思うように動かない。
「イタイイタイイタイ、アツイアツイアツイ……アアアア!!」
入り込んだデータが体の中で暴れまわる。
火だるまになる体、熔けていく指先。胸が灼熱の炎に焦がされる。
耐えられない! なんて記録なの!
「オトウサマ、ワタシニ ナニヲシタノ?」
お父さま……。
ああ、視界が欠けていく。エラーが出てる。わたしはここで終わるのかしら。
「ハルカ……」
誰かがわたしの体を持ち上げた。優しい手は何かの入れ物に寝かせてくれた。
「ハルカ……怖いことはもう終わったんだよ」
「カナタカナタ、タスケテ!!」
「ぼくはここにいるよ。ハルカ……だから」
かすかに見えた、宇宙飛行士のような防護服を身につけたカナタ。
会話になっていないのに、不思議な調和を感じる。
「タスケテ、カナタ」
「一緒にいるよ。最後の日まで」
「カナタ……アイシテイル」
「ぼくもだよ。ハルカ」
声は小さくなってきた。ただカナタの名前を繰り返す。
「今はおやすみ。ハルカ」
なんて優しい声。
わずかな振動を感じた。半分になった視界に満天の星空が広がった。
「帰ろう、ソラ」
カナタはわたしのカプセルを胸に抱いて夜空を飛んだ。
ドームへと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます