第8話 オルウェンの嫁取りアミシアの婿取り(一)

※本編 旧版第18話にあたります。


 ル・グロとワセリンが村に落ち着き、ピエール一家が別れを惜しみつつ旅立った後。


 クルスロー領の住人となったル・グロは、衛兵長役を受け持ち、オルウェンは森番の仕事に専念することとなった。


 喋らないオルウェンの問答無用の実力行使スタイルは、強力で手っ取り早いが荒っぽいものだった。


 対してル・グロは、力はあっても話し合いで解決できることならそうする、という柔軟さがある。

 また、軽薄な物言いや茶化したりもするが、本質的には真面目な男である。それは、恩人の遺児を身を粉にして守り通してきた、その姿にも表れていると言えるだろう。


 そして、ル・グロが治安活動全般を受け持ったため、ロジェは家政運営に専念できるようになった。適材適所に人材が割当たり、一見順風に見えるが、残念ながら問題もある。


 森番も衛兵長も、領地経営に必要な役職ではあるが、それ自体は何も生産していない。一方で食い扶持は増えている。オルウェン、ル・グロ、マルコら三人である。


 オルウェンは森番に専念する傍ら、猟師として獲物を追った。森番が猟師となるのは、監督する側とされる側が同じになり、不正の温床となる恐れがある。

 彼は狩りから帰還すると、領主館に直行して獲物を納め、そこから自分の取り分を家宰の立ち合いのもと分けるようにした。これで透明性を確保するのだ。


 ル・グロは衛兵長としての繁忙時以外にはきこりとして、また、鍛冶や大工として働いた(当時、荘園領地におけるそれらの職ははっきり分かれてはいなかった)。


 そして、マルコである。


 中世の修道院とは、儀式や研究、生活に必要な手工業品を内製していた。そのため、加工技術に優れた修道士が生まれる環境があった。また、馬の飼育をしていたところもある。文字の読み書きが可能な修道士には家畜の血統管理が可能だったのだ。


 そうした環境で、もともと適性や天分もあったのだろう、マルコもまた様々な技能を習得していた。


 マルコは領民たちに、羊皮紙の製造や最新の農業法を指導し、また、ル・グロやオルウェンらに手伝わせてメルドロー川に水車小屋を二軒建設した。


 二軒のうち、一軒はありふれた粉挽き用であったが、もう一軒は縮絨しゅくじゅうによる不織布、つまりフェルト製造用であった。


 羊毛などの動物の毛の性質を利用し、叩いたり捻ったりという作業で繊維同士を絡み合わせて布状に成すことを縮絨という。織物の様に複雑な(織る、という)操作を必要としないため、中世頃の技術力でも容易に機械化が可能であり、十一世紀までには広く普及していた。


 縮絨水車場の生産性は極めて高く、足踏式縮絨(人力)の二十倍以上に相当する、と評価されていた。このため、(人力中心の都市ギルドの雇用と市場保護の目的から)都市部と郊外のギルド対立を招き、都市外の縮絨水車場への原材料搬入規制が行われるなど制約が課される様になったほどだ。


 だが、それはまだ後の世の事である。


 縮絨水車場が出来たことで、領民は羊毛から不織布を生産し、生産された布製品はピエールによって交易に乗せられ、低地地方の様な大規模な産地には比すべくもなかったが、クルスロー領の貴重な収入源となった。

 

 新たな顔触れを加えたクルスロー領は、僅かづつではあったが、明るい方向へ向かって歩み始める。


 そんな、季節の変わり目に差す雲間の陽光のような時期のことだった。


 ある日、領主館の下女アナが、ジロワに面会を求めてきた。


 アナは両親を流行り病で亡くし、孤児となったのを、ジロワが憐れんで領主館の下女として迎えたもので、年の頃はそろそろ二十に近い。いい加減誰かとめあわせる頃合いではないか、と家宰からも相談されている所であった。

 

 そのアナが、ジロワに願い事があるという。


 執務部屋(といっても、机一つあるだけの質素な小部屋)に呼び入れてみると、家宰とともに、何故か緊張でガチガチになったオルウェンが付き添ってきた。

 森番のこんな様子はかって見たことがない。

 呆気に取られて、上の空になっていたため、アナの口上を聞き逃してしまった。


「あ、すまん、もう一度言ってくれ」

「はい、ご領主様」

 

「私ことアナめと、こちら森番オルウェンの結婚をお許しいただきたく」

 

 表情を消し「私は何も知りません」という風情の家宰と、極度の緊張で今にも剣を抜きそうな、強烈な殺気を放つ森番、そして、幸福と不安と期待に顔を赤らめる若い女、呆然自失の領主。しばし、執務部屋は沈黙が支配した。

 

 それからは、ベレーム城下の教会へ赴き慌ただしく婚約の儀式を終え、四十日間の婚約公示。それが過ぎると、再びベレーム城下の教会で結婚の誓いを済ませた。


 マルコ修道士は司祭の資格を持つとはいえ、教区司祭ではないのでこの手続きを執り行うことができなかった。

 ジロワはいずれ領地にも教会を置きたいと考えていたが、財政的基盤の目途が立たず、まだ先のことでしかない。


 教区教会は出生、洗礼、婚姻、死亡・埋葬を管理する、現代の地方自治体の役目も担っていた。

 地元に教区教会がないというのは、現代で言えば、役所の手続きのために都度、隣町まで出かけなければならない状態ということである。


 ささやかながら、親代わりとしてジロワが祝宴を設け、領民総出(当時は、それが普通のことであった。といっても、小さな村であったので総人数は知れたものだったが)で新婚夫婦を祝った。


 古今東西、婚礼の祝宴で新郎新婦がネタにされるのは共通のこと、皆の関心が集まったのは必然、『無口な森番は、何と言ってプロポーズしたのか?』であった。


 皆に囃し立てられながら話をねだられた新婦アナであったが、オルウェンが顔を真っ赤に染め、斧に手を伸ばしたのを横目に、

「夫の威厳に関わりますので、それは秘密です」

と、涼しい顔で躱していた。


 その後もあれこれと、人々は自分の想像を語り合ったが、結局のところ真相は明かされることはなかった。

 

 そんな騒ぎを傍目に、ジロワは猟犬に餌を与えながら考えていた。

 ル・アーブルの海岸でのこともある。

 まさか、とは思うが……。


 あやつ、餌をくれる者に懐いているだけではないだろうな、と。


 


「俺に参った、と言わせることができたら、どんな望みを聞いてやるんだがな!」

ル・グロが自信満々に言い放ち、周りの者はやれやれと肩をすくめる。


 オルウェンの結婚祝いの宴から数日が経ち、領地が日常の落ち着きへと戻りつつあったある日。

 朝の衛兵調練で、ル・グロが賭け試合を催した。


 単調な反復訓練では、退屈してしまう。こういうお遊びめいた気分転換もあってよいのではないか? そうマルコ修道士に入れ知恵されてのものだ。


「坊さんが賭け事なんぞ、いいんですかね?」

「父なる神も、ヨブの試練でサタンと賭けをしていましたからね。『貪欲』の罪とならねばよろしいでしょう」

ほんとかよ? と、疑うル・グロではあったが、坊さんのお墨付きで賭け事が出来るなら、まぁ悪くない。だが……。


「さて、皆さん。出番待ちの間は退屈でございましょう。一つ運試しなどいかがかな? 一口銅貨一枚(ドゥニエ)から。ル・グロ殿が疲れてくるまでは賭けにならないので、最初の数試合と、反対側に賭ける者がいない場合には賭けはなし。では五試合目より、ル・グロ殿は一と二十分の一倍、対手は九倍から。さぁさぁ」


 そう煽り立てながら、砂地に大きく枠を引き、賭けの記録を取り始める。どうにも手慣れ過ぎている……。


 ちなみに賭けに参加できるのは毎回十人程度の調練参加者である。そして掛け金も一人一口というのがほとんど。

 つまり、ル・グロが勝ち続ける限り、大体一回当たり銅貨一枚分の儲けがマルコの手許に残る。


 損失が出るのはル・グロの負け側に複数口張られた状態でル・グロが負けた場合だが、試合数が増えて衛兵長ル・グロが不利になってくればオッズも変更される。賭けが成立するのは両方に札が張られた場合なので、一方的な損失が発生しない様、胴元の特権として調整が可能だ。


 そうした計算を素早く行い、賭けの記録を読み書きできなければ、この胴元ブックメーカーの役目は務まらない。


 マルコ修道士が賭けの胴元の常連となるのは、その能力ゆえである。だが、ル・グロには単に修道士が博打好きなだけに思えて仕方ない。退屈な訓練に変化があるのはよいのだが。


 結局、ル・グロが二十戦全勝(全員とほぼ二回ずつ対戦した)し、終盤ル・グロの負けに複数口賭けする者がいたため、マルコは銅貨を二十枚ほど稼いだ。微々たる額ではあるが、


「それではご喜捨として有難く頂戴いたします。皆様に主のご加護のあらんことを」


などと言われては微妙な気持ちになる。


 調練が一区切りついたところで、皆は厨房脇の衛兵用食堂へ移動し、朝食を取り始めた。修道士も同行しており、先ほどの上がりをはたいて皆に酒を付けてやってくれ、と厨房頭のアミシアに頼む。


「朝っぱらから酒なんぞ飲ませてもいいんですかねぇ?」

「この金額ならせいぜい一人一杯程度でしょう。人はパンのみにて生きるにあらず」


 神に仕える身で、聖句を勝手に誤用してもいいのか、と突っ込みはせず、アミシアはやれやれと零しながら粗末な木彫りの椀に葡萄酒を注いで皆に配った。皆は軽く歓声を上げ、食堂は陽気な笑顔で満たされた。


 ジロワは昨日からベレーム城下へ赴いており不在であり、いささか気軽な雰囲気もあったのだろう。さきほどの賭け試合でのル・グロの奮闘振りが称賛され、気を良くしたノルマン人の放ったのが「俺に参った、と言わせることができたら」の一言だった。


 二十連戦して負け知らずなら、そんな言葉も出てくるだろう。だが、この一言が彼の人生を変えることとなった。良い方なのか、悪い方なのか、その答えが出るのは彼の人生が終わるときだ。


「どんな望みでも、なんだね?」


 その言葉は、厨房からの、女性の声によるものであり、意表を突かれた皆は口が止まってしまった。突然の静寂の中、アミシアは念を押した。


「本当だね?」

「あ、ああ。だが、お前は……」

ル・グロが狼狽えつつ応えると、最後まで言わせずにアミシアが続けた。


「じゃあ、アタシが挑戦するよ。まさか逃げたりはしないよねぇ?」

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