第7話 襁褓(むつき)の騎士

※本編 旧版第17話にあたります。


 オルウェンとは異なり、ル・グロことタースティン・エイリークソン(エイリークの子タースティンという意味のノルマン人の名乗り)は、自ら来歴を物語った。


 ル・グロが生まれ育ったのはノルマン人の故地、スカンジナビア半島のフィヨルドの一つだった。

 土地の領主の息子と喧嘩し、相手に怪我を負わせた。その罪により、民会ヴェーチェの決定で故郷を追放されることとなった。


 大陸に渡り、ノルマン人が傭兵として重宝されているという南イタリアへ向けて放浪を続けたが、コー地方ペイ・ド・コーまで来たところで遂に行き倒れてしまった。


 そんな彼を、食客として迎え入れたのがワセリンの両親であった。ワセリンの父親は、アルク伯に仕える騎士だが、その領地は騎士一人を養うのがやっとの貧しい土地でしかなかった。


 元々折り合いの悪かった、隣の領主の配下がワセリン父の領地の森で密猟を行い、それをル・グロが咎めたことから関係は更に悪化。

 遂に奇襲を受けてワセリン父は討たれた。館が燃え落ちる間際、ル・グロは生まれて間もない赤子を託され逃れた。


 逃れる、といっても乳飲み子を抱えてである。

 次の陽が上るころにはもう、ひもじさに泣く赤子に困窮するしかなかった。


 疲れ果てて膝をつきそうになった頃、森の脇に教会を見つけ、休息を取らせてもらおう立ち寄った。


 司祭に依頼されていた品の納品のため、丁度そこに居合わせていたのがピエールの一家だった。


 産まれたばかりの子をもつピエールの妻が、空腹に泣くワセリンを憐れんで乳を分けてくれたのが、切っ掛けとなった。


 ワセリン父の領地にも立ち寄る予定だったというピエールは、事情を聴くと予定を変更し、このまま折り返して南へ向かうという。


 さらにピエールは、一緒に来てはどうか、護衛と荷の積み降ろしの手伝いや、見張りなどをしてくれるなら、乳児の授乳など面倒見てやってもいい、と提案した。


 面倒を見てやる、といっても最低限の食事くらいである。

 だが、最大の問題であるワセリンの授乳が解決するのである。断る選択肢は無かった。例え宿を取るときでもル・グロだけは厩で馬や馬車と共に寝起きする生活である。それでも不満はなかった。


 全ての責任が彼にあるわけではない。


 それは分っていても、ル・グロはワセリン父の死について、また、幼いワセリンが両親と、約束された未来を失う事になった次第に対して、自らを責めずにはいられなかった。

 

 ル・グロはワセリンにとって、紛れもなく育ての親である。だが、彼は決して自分のことを、父親とは呼ばせなかったし、親子の情に甘える態度も取らなかった。

 ワセリンの方は、実質的に父親であるのにそうと呼べないことに、戸惑いを抱えているようだったが、歳の離れた仲間として振舞う事で折り合いをつけていた。 


 ル・グロが父親として振舞わないことも、ワセリンを騎士に、と望むことも、いずれも彼のワセリン父に対する悔悟の念によることは明白であったが、それはジロワだけでなく、誰もが口を挟めることでは無かった。


しかし、騎士に、というのは……。


「もちろん、必ず騎士にしてくれ、というのではない。騎士修業を始められるよう、取り計らって欲しい、ということじゃ」


 救出後、放置されて空腹だったワセリンはピエールの妻から乳を与えられ、今はル・グロの膝に抱かれて寝息を立てている。


 騎士になる、ということは武具・乗馬を自弁する、ということである。

 主君から封領を授与されるか、実家が支援するか、いずれかでなければならない。だが、ワセリンは孤児でクルスロー領には他に騎士を養うために割譲するほどの余力はない。


 約束できるのは騎士修行を始めさせるところまでであり、それも見込みがなければ見切りを付けなければならない。一生を従騎士のままで終わらせる可能性は高い。


 修行、ということであれば、自分の手元で従者から始めさせることはできるだろう。あるいは我が子フルクの側近として育て上げるのも悪くはあるまい。


 ジロワがそう考えをまとめていたところ、ル・グロに抱かれたワセリンがむずかり出した。


「ん? 催したかの?」

ル・グロは台座に赤子を寝かせ、襁褓むつき(おむつ)を解いた。

だが、襁褓はまだ濡れていなかった。


「おや? まだしとらんではない……」

ル・グロがそこまで言いかけたところで、ワセリンの股間の短剣がぴょこんと鎌首をもたげ、その口から小水が噴き出した。その流れは正面から覗き込んでいたル・グロの顔を直撃し、ノルマン人はなんとも情けない小水まみれの困り顔を浮かべた。


「……これほどの大男の面に小便を引っ掛けるとは、なかなかの剛の者。よかろう、長じて後には我が領地で騎士修行を始めるがよい」

安堵混じりの複雑な表情のル・グロは、ジロワの手を取って感謝の気持ちを表そうとしたが、その手はワセリンの小水に濡れていたので逃げられてしまった。


 当時妻のマリーはまだ存命で、フルクも乳飲み子であったため、ワセリンはマリーからも乳を分け与えられて育てられた。

 必然、ジロワの子らと一緒に育てられる状態となり、彼らは乳兄弟かつ幼馴染という関係の中で成長することとなる。




「……斯様かような次第で、オルウェン殿、ル・グロ殿、ワセリン殿、そして拙僧はこの領地に住み着くこととなったのです」

ジロワの回想と並行した、マルコの昔語りが一区切りした。


「それから、しばらく後のことでございましたな。オルウェン殿とル・グロ殿が妻女を迎えられたのは」

「その時の逸話が、先ほどの、あー……?」

「『オルウェンの嫁取りアミシアの婿取り』でございますな」

「それで、それはどの様な意味なのですかな?」

「大した教訓などはありません。それこそ笑い話のようなものです。まぁ、表のいは『不思議な事でも現実は現実である』という、益体もない意味ですが……裏の謂いは、『やたら力自慢をするととんでもない目に遭うぞ』というものですな」

「ほう、して、どの様なことがあったのですかな? その嫁取り婿取りでは」

「それは、この様な次第でしてな」


燭台の灯りを受けた修道士が、回想の続きを語り始めた。

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