第9話 オルウェンの嫁取りアミシアの婿取り(二)
※本編 旧版第19話にあたります。
午前でもやや薄暗い食堂内には、驚愕の叫びが満ちた。
長椅子の片側が木っ端みじんに砕け飛び、反対側に座っていた者たちがバランスを崩して横倒しになる。
砕けた側に座っていたル・グロは、食卓をひっくり返しながら飛び避けていた。
「な、なっ!? いったい何を!」
ちっ! と軽く舌打ちしつつ、アミシアは再び構えを取った。
その手にしている得物は、長さ2プシー(フィート。およそ60センチ)ほどの麺棒である。直径3プース(インチ。およそ9センチ)程度の円柱と、その両端に細目の取っ手が付いた形状だ。
「麺棒はね、重い方が使い勝手がいいんだ。力を
重いよ、じゃねぇ! 当たったら、死ぬだろ……! 大体、麺棒のことなんか聞いてねぇよ!
野猪を単身で仕留めた、など
なかなか挑戦を本気で受け止めようとしないル・グロに、業を煮やしたアミシアが問答無用と打ち込んだのが、先ほど長椅子を破壊した一撃である。
「さぁ、さっさと得物を構えな。それ位は待ってやるよ」
とっくに打ち込んできとるだろが! ともあれ、慌てて壁に立て掛けてあった愛用の斧を手にする。
柄を
本気で殺す気か!?
「お、おまっ……!? 俺を死なせたら、元も子もないだろっ!」
と、言いながら、一つの可能性に思い当ってル・グロは戦慄した。アミシアの望みが『
だが、それは違った。
「何を言ってるんだい、惚れた男を死なせる訳ないじゃないか」
は!? なんだと?
「アタシの望みは、アンタだよ」
アミシアは、ポッと頬を赤らめて腰をくねらせて恥じらいながら、ル・グロの喉を目掛けて麺棒で高速の突きを放ってきた。
振り回す動きが頭に植え付けられていて、他の動きを想定していなかった。
意表を突かれたル・グロは、辛うじて上体を捻って躱すのが精一杯である。これも避け損ねたら命の危険に繋がる一撃だ。
「言ってることとやってる事が真逆だぞっ!」
フンッ、とアミシアが鼻を鳴らす。
「死にたくなきゃ、参ったとお言い!」
周りで呆気に取られていた連中が、自分たちには害がないと思い、面白半分に下品なからかいの声を掛けてきた。
それらを一睨みしたアミシアは、
「やかましいねぇ、
と、低く冷たい声音で言いながら麺棒を突き付けた。
安全と思えばこそ、余裕で見ていた野次馬たちは
今なら、
思わず内股になった股間に、手が伸びそうになった野次馬たちは、そそくさと食堂から逃れようとし始めた。『男であること』を守るためには撤退も已む無し、である。
「お、お前ら! 逃げるならマルコ殿を連れていけ!」
ここは危険だ。脚の不自由な修道士を心配したル・グロが慌てて声を掛ける。
「
アミシアが、麺棒で肩をトントン叩きながら言う。
「いつの間に……!?」
「あんたが、グズグズとはぐらかそうとしてた辺りさ。ククッ、こんな
と、アミシアは凄惨な(ル・グロにはそう見えた)笑みを浮かべる。
そう思うなら、もう止めてくれ! と、訴えるが、
「いいや、止めない。アンタをアタシのモノにするまでは! 必殺! 乙女の純情、受け止めな!」
「受けたら死ぬわ!」
アミシアが鋭い踏み込みで間合いを詰め、低い体勢で下から股間を狙って麺棒を振り上げてきた。
なにが乙女の純情、だ!?
恐ろしい奴! 男にはできんぞ、そんな仕打ち!
不意打ちに急所攻撃、何でもありじゃねぇか!
なんとか、後ろ飛びで躱して距離を空けようとする。
アミシアも逃がさじ、と追ってさらに打ち込む。
躱しながら逃げる愛しの君を追って、さらに二撃、三撃。
ル・グロに躱された麺棒は、そのまま壁を打ち破り、食堂の壁には多くの穴が開く。食卓や長椅子も無残な有様となった。
「しぶといねぇ。そんなにアタシが嫌いかい?」
「そ、そんなこたぁないがな! これは何かおかしいだろ!」
二人とも、さすがに少々息が上がり、一時手が止まった。
「アンタが素直に参った、と言えばいいんだよ? それだけの話じゃないか」
「その後が問題だろうが!」
「仕方ないねぇ。アナ!」
「はいっ!」
アミシアの呼ぶ声に、厨房の奥からオルウェンの女房が応え、よろめきながら荒れた食堂に入ってきた。
その腕に抱えられたモノを見て、ル・グロの息が止まる。
「なん……だと!?」
それは今、アミシアが手にしているのとほとんど同じ見た目の麺棒であった。
アミシアは、空いた方の手でアナから麺棒を受け取った。二刀流(?)である。
「
「おうさ!」
アナはアミシアに声援を残しつつ厨房へ避難する。
応援された方は、二本の麺棒を軽々と振り回し、余裕の表情だ。
「さぁて、今度こそ仕留めなきゃねぇ」
女狩人が舌なめずりをしてみせる。
まさか自分が獲物の恐怖を知ることになるとは、想像したこともないル・グロである。
「くっ……!」
二刀流になってアミシアの攻撃
片手でも自由自在に扱える短剣の様な武器でない限り、二刀流は戦闘能力が激減するものだ。
だが、アミシアは鉄芯仕込みの重い麺棒を、片手で軽々と操っている。二刀流のハンデは見られない。ル・グロは受け一辺倒に追い込まれた。
ここまでアミシアが優勢であると、彼女が戦闘力でル・グロに優っている様に思われるかもしれないが、それは誤解である(ハズ)。これは、両者が用いる得物の差によるところが大きい(ハズ)。
ル・グロの持つ斧はハルバートと呼ばれる形で、比較的長めの柄の先に斧頭と突起が仕込まれた、「斧槍」とも呼ばれる形状である。
状況に応じた多様な用途が可能であり、銃に取って代わられるまでの六世紀から十六世紀末に至る期間に広く普及した。
ただし、その適した間合いは槍並みであり、あくまで『戦場で用いれば効果的』な武器である。
一方、アミシアが用いる麺棒は、その長さから云えば短剣の部類に属する。間合いは短く振りが早い。その機敏な動きは防ぐのが難しく、暗殺用や護身用に適している。
今、二人が戦っているのは室内である。ハルバートを振り回すには狭すぎる。そして、間合いを広く取ろうとするのも難しく、すぐに詰められてしまう。
武器の相性、そして戦場の条件、いずれもアミシア側が有利なのだ。
それでも、ル・グロは粘った。受け一方であるが、粘って粘って粘り続けた。
「……傷つくねぇ。そんなにアタシのモノになるのが嫌なのかい?」
アミシアが悲しげに
「くっ、だから、そうじゃ、ねぇ! そうじゃねぇんだって! ……
ふうん、そうかい。
ル・グロのセリフに重ねる様に、アミシアは口の中で呟くと、一際強烈な一撃を放った。
そして、ル・グロがその一撃を柄で受けて、何とか弾き返した直後。
鉄芯仕込みの麺棒は、二本とも反対側の壁に飛んでゆき、一方は派手に壁を打ち破り、もう一方は柱に当たって亀裂を残した。
(弾いたのは一本なのに、何で二本とも飛んでいく!?)
アミシアは(かなりワザとらしく)床に倒れ、そして何故か厨房の奥へ向かって叫んだ。
「アーレー! ヒードーイー! 痛イ痛イ、タスケテー!」
え? 何なのソレ……。
厨房の方ではアナの声がかすかに聞こえた気がした。
(御方様、出番です!)
(え、ほんとにやるの?)
は? え?
奥からアナを従えて室内に現れたのは、ジロワの妻でありフルクの母であるマリーであった。
「お、奥方様!?」
「ル・グロ、これは何としたことです? (えーと)か、か弱き
「え、い、いや、その……」
「言い訳は無用です! (何だっけ? あ、)不在の夫になり替わり、そなたの婦女暴行の件、この私が裁きを行います! 修道士様、ご助言を!」
え? え? え?
振り返ると食堂の入り口に、ちゃっかりとマルコ修道士が姿を見せていた。
「ご下問につき、お応え申し上げます、奥方様。されば、ル・グロ殿にも言い分はございましょうが、本来、厚く守られるべきか弱きご婦人に、手荒な真似をした事実は否定できません」
ちょ、ちょっと待て!? 婦女暴行とか、逆だろ!? か弱き!? 誰が!?
反論しようとするル・グロをマリーが手振りで黙らせた。
「故地を追われて一人異郷を
「ル・グロ殿には、
な、なぁーっ!?
「さすがはマルコ様! 見事な裁きです! 修道士様の仰る通りと致しましょう! (え、ええと……)ル・グロよ、お前はいつまでも他人のためにばかり生きるのではなく、自分自身の幸せも探しなさい。アミシア、お前はこの裁きに異」
「ありません! ありがとうございます、御方様!」
マリーが言い終わる前にアミシアは了承を叫ぶ。
「では、これをもって裁きとします。皆、よろしいですね?」
一同が礼をもって応える中、ル・グロだけは一人呆然と突っ立っていたが、誰も咎めようとはしなかった。
帰館したジロワは
マリーはニッコリ笑顔で曰く、
「大層、激しい春の嵐が吹きました」
詳しい話を聞いた後、ジロワは溜息をつきつつ問うた。
「誰の
「さあ? 誰でもよいではありませんか? 不幸になった者は誰も居りませんし。ふふ」
まぁ、その通りではある。
しかし、誰の発案にせよ中心として動いたのは、かの修道士で間違いない。
賭け試合を組ませたこと。食堂で酒を飲ませたうえ、おそらく「俺に参ったと……」というセリフを誘導して言わせたこと。
そして、アミシアが勝てばその
だが。
成り行きとはいえ、彼が他人を背負い込んで生きてきたのは事実だ。郷里を追われる原因となった喧嘩も、義侠心によるものだったらしい。詳しくは語らなかったが。
そんなあの男が、やっと人並みの平凡な幸せを得られるなら、それもいいのではないか、と思った。
後日、館の裏の壁際で、ル・グロとオルウェンが並んで腰掛け酒を酌み交わしているのを見かけた。ル・グロの照れた様なはにかみで、ようやくジロワも安心することができたものだ。
ル・グロとアミシアはその後、多くの子宝に恵まれ今では孫すらいる。皆のお節介は、間違っていなかった様だ。もっとも、すっかり尻に敷かれたままであるが。
「……というような次第でございまして。アミシア殿は領主館の厨房頭でございますので、
「ふむ、それであの食堂の壁板は
「オルウェン殿の結婚は『どんな経緯か不思議だが、結果は現実に存在している』、ル・グロ殿は『経緯は明らかだが、結果は信じられない』という謂いでこじ付けておりますが、実際のところは二人の逸話を茶化し気味に残しているだけですな」
「それは、随分と人が悪いですな」
「それだけ両所が領民たちに気安く親しまれている、という事で」
マイエンヌ卿は苦笑いしつつ、問いを重ねた。
「ところで、アミシア殿は何を切っ掛けにル・グロ殿に惚れたのでございましょうな?」
「なんでも、『食いっぷり』だそうです。アミシア殿が何を作って出しても気持ちのいい食いっぷりで、しかも彼女の料理を手放しで褒めちぎっていたそうです」
「それはそれは、急所を突きましたな」
「まったくもって」
和やかな談笑の中、夜は更けてゆく。
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