第弐話 立ち昇る紫煙は語ること無く-Ⅱ
「さて、どうしましょうか?」
パンフレットを開いて彼女は俺に問うた。
「御昼は済ませて来ましたか?」
「食って来た。朝と兼用だったけどな」
昨晩は年甲斐も無く緊張して寝付くのが遅くなり、寝過ごしそうになったのは内緒である。断じて。
「じゃあ模擬店は後回しですね」
分かるような分からないような消去法。
「今からだと、バンド演奏と演劇が見れますね」
「じゃあ其れ行こうか」
要領が分からぬ俺に出来るのは、提案に賛成することくらいである。
「あの建物です。行きましょう」
彼女は何処か、弾んでいるように見えた。
会場に入ると、バンド演奏が始まったところだった。
俺の好きなバンドのコピーから始まり、パンクとロックが数曲。何と俺好みのセットリストか。
朱鷺は洋楽に入った辺りから分からないと言っていたが、俺には馴染みのある曲ばかりで楽しかった。彼らとは仲良くなれるかも知れない。
そして今、ラストナンバーのオリジナル曲が終わり、リストが全て消化された。
演劇の方は、話題沸騰中の「泣ける」自伝小説がステージに上がった。
俺は天邪鬼な性格で、特に本や映画なんかで“話題の作品”と言うのを敬遠してしまいがちである。であるからして、其の原作も読んだことが無かったのだが――此れは良い。
後半、観客席は洟を啜る音が絶えず、朱鷺も目をハンカチで押さえていた。俺は泣きすらしなかったものの、実は結構来ていた。
此れは原作もチェックしておくべきだろう。『帰ってきた猫型ロボット』以来の感動だ。
終わって外へ出ると、既に太陽は其の色を変えていた。
少し空いた小腹を埋める為に、模擬店で食料を調達した。
「さっきの、どうでした?」
焼鳥の串を手に、訊ねる朱鷺。
「凄かった。凄ぇ良かった」
「本当ですか?」
そう言って、我がことのように喜ぶ。
「次は、どうします?」
「んー……」
蛸焼のパックを左手で支え、右手でパンフレットを取り出して開く。
「此の、“
「打ち上げ花火をバックに、有志がそこの広場でトーチ・トワリングをやるんです。結構綺麗ですよ」
「そいつぁ是非見たいな。見よう」
「えっと……でも煌夜祭は六時からですよ?」
「うん。だから、」
少し苦労しながら、パンフレットを何とか片手だけでポケットにしまう。
「少し歩かない?」
一本目の焼鳥を完食した朱鷺は、少し意外そうな顔で頷いた。
至る所に模擬店が並び、余ったスペースでは大道芸や街頭演奏が行われている。
少し歩いては立ち止まり、少し立ち止まっては歩き出し。
本当に自分と同じ高校生たちが作り上げた文化祭だとは到底思えない。
「いやはや、しかし、」
紙食器を捨てながら、俺は呟く。
「此れは本当に大したもんだな」
其れを聞き付けた彼女が俺を見て、「あ」
「疑ってたんですか?」
悪戯っぽく問う。
「まぁ、黒鷺さんの言うことだしなぁ。或る程度はね」
其れに対して俺も冗談で返す。
「うわ、陸奥さん酷ーい」
拗ねた振りをした朱鷺は足を速め、俺の隣からすいすいと離れて行く。
少し離れた彼女はペースを落とし、肩越しの横目で俺を見ながら、私を信用してくれなかったんだねだの、こんな仕打ちをされる覚えは無いわだのと喚く。
「ぬぅ」
こんな冗談を言い合うのは嫌いじゃない。だが、此れでは本当に俺が悪者みたいでは無いか。
一息吐いて、つかつかと離れた朱鷺に歩み寄る。彼女は更に離れることさえ無かったが、尚も何かを喚いていた。
其処に、ぽん、と。
実際そんな音はしていない。しかし音を文字で表現するならば、此れ以上は望めまい。
俺の右手が朱鷺の頭に乗る。途端に喚き声が途切れ、彼女は足を止める。
同じく足を止め、半身を重ねるように彼女の顔を覗き込む。其の先には俺を見返す視線と、金魚のように、ぱくぱくと開閉する――だけで言葉が出て来ない――口があった。
――面白い。
ふとそんなことを思ったが、其の侭で俺は言ってやる。
「御兄さんは少し疲れたよ。……何処かに座れる所は無いかな?」
「あ、あの、えっと……すぐ其処に」
彼女の指差す先にベンチを確認した俺は、満足して頷き、彼女の頭から手を離した。
其処には四本の木製ベンチが正方形に組まれていた。
「ふぅ。疲れた疲れた」
さっさと腰を降ろし、息を吐く俺。此の程度で疲れが来るとは、俺も歳かな。
「しかし、あれだな。此処まで来ると大分静かやね」
メインの会場から少し離れた所にある休憩所で、普段も余り使われなさそうな佇まいである。其の所為か、先刻まで周りにあった喧噪も今は遠い。
だが其の声にも朱鷺は黙った侭で居た。
「……どした?」
黙った侭の上、彼女は未だ立った侭だった。
心配する俺の問い掛けに漸く気付いてくれた彼女は、急に笑顔を作り、手をぱたぱたと振って「何でも無いです」と言った。
「よいしょ」
彼女も俺の隣に腰掛け、見守る俺の眼を見て再び笑った。
「大丈夫か? 具合悪いとか無いか?」
「本当に何でも無いですよ。ちょっと、ぼうっとしちゃっただけで」
其れは其れで、どうかとも思うのだが。
「なら良いんだけど」
其の言葉の後、妙な沈黙が場を埋めた。
ざわめきは変わらず、遠くから聞こえて来る。
俺は別に構うことも無く、輝く夕焼けに目を細めていた。
しかし彼女は違ったらしい。立とうとしたのだろうか、両の掌でベンチを押さんとして、
「あ、ごめんなさい」
彼女の右手は、ベンチに掛かった俺のジャケットを踏んでいた。
「いや、気にしなさんな」
其れよりも重要なことを今、俺は思い出した。
ジャケットに触れた右手は、同時にポケットの中に在る其れの輪郭にも触れていた。
「すいません……ポケットの中、大丈夫でしたか? 何か紙箱っぽかったですけど」
観念した俺は、一息吐いて左のポケットに手を滑り込ませる。
そして、少し崩れた形の其れを――煙草の箱を取り出した。
第弐話
立ち昇る紫煙は語る事無く-Ⅱ ―完―
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