第弐話 立ち昇る紫煙は語ること無く-Ⅰ

 其れは、あのチャットで持ち掛けられた意外な提案だった。


〈黒鷺:あ、陸奥さん、ちょっと聞いてもいいですか?〉


〈陸奥:ん?あぁ良いぜよ?』


 レスポンスは遅かった。まるで、訊ねておきながら、しかし、そうすることを悩んでいるように。


〈黒鷺:来月の第二土日、どっちか空いてます?〉


 何のこっちゃと思いながら、パソコンの隣に置いてある携帯電話を手にする。


「来月第二……確か土曜は駄目じゃないかな」


 呟きながらカレンダーを起動する。矢張り土曜は予定が入っている。日曜は〈no schedule〉。

 其れを告げようとディスプレイに目をやる。と、


「おや」


 俺のレスポンスが遅くなった所為だろう、其処には再び黒鷺の発言があった。


〈黒鷺:あの、空いてなかったらいいですからっ〉


〈陸奥:悪い、確認してて遅くなった〉


〈陸奥:土曜は無理だけど、日曜なら空いてんよ〉


 其れに対する黒鷺の反応は早かった。

 だが俺の方が発言を見て硬直し――右の口角を持ち上げて笑みを漏らした。


〈黒鷺:私たちの文化祭、来てみませんか?〉


 俺と彼女が隣接する県に住んでいることは、極初期の内――つまりは自己紹介の段――から承知していた。

 彼女が住む市では公立高校三校が連合し、一つの文化祭を催すらしい。市民公園を丸々使っての其れは、下手な大学祭の規模を超越し、近隣市民の一大イベントにまでなっていると言う。

 そう言われてみれば確かに、そんな話も聞いたことがある。


 彼女の家までは大分遠いのだが、会場となる市民公園までならば電車で行ける。簡単な乗り換え一度で、我が家最寄の駅から“市民公園前”駅まで一時間と掛からずに行ける筈である。公共交通機関の苦手な俺にも優しい安心設計だ。

 どうです? と再び訊ねる言葉に対し、俺の指がキーボードを叩く。


〈陸奥:了解っス。そのお誘い、受けることにするよ〉






 そして当日。

 電車に揺られ小一時間、普段ならば絶対に降りない駅のホームに俺は立っていた。

 携帯電話の時計は〈12:52〉を示している。待ち合わせは十三時。急ぐことは無さそうだった。

 意識した訳では無いが、ゆっくりとした足取りで改札を抜ける。


 小さい駅だった。北口も南口も、西口も東口も無い。一番だの二番三番だのと言った、俺を迷わす為に作ったとしか思えない出口たちも“市民公園前”駅には無かった。

 唯一在る出入り口の両側スペースには、乗車券と赤い自動販売機が2台ずつ。販売機の前には古びたプラスチック製のベンチが一つずつ。


 其処に差し掛かると――居た。構内の車止めにもたれるように軽く腰掛けた姿が、窓の向こう側に見える。

 小柄な印象を受ける身体を、制服だろう濃紺に包み、出入り口の方を目だけで追っていた。

 同じ駅で降りた一団を見守っていた彼女は、其の中に俺を認めなかったのだろう、手鞄から携帯電話を取り出した。


 彼らに遅れること、数拍。外に出た俺は、妙な緊張を笑みに替えて歩み寄る。

 近付いてみると、手の半ばまで余らせた制服の袖が見える。小柄に見えた背のころは、俺の肩辺りに顔が届くほどだろうか。


 ……さて、


「初めまして」


 彼女は驚いたように顔を上げたが――すぐ微笑み返してくれた。




 歩き始めて、俺と彼女は普通に話すことが出来た。

 俺が朝木あさぎ朝木 長門ながとだと自己紹介すると、彼女は星原ほしはら 朱鷺ときと名乗った。

 変に緊張して二人で黙り込んでしまうパターンを恐れていたが、幸いにして無用の心配だったようだ。逆に無闇に高いテンションになることも無く、極々自然な友人として話すことが出来て安心した。

 話したのは此の辺りのことや文化祭のこと……我ながら本当に他愛も無い話ばかりである。


 駅を発って十分としない内に、彼女は「あれです」と指を差した。

 其の先には得体の知れぬバルーンやらアーチやらが見え隠れし、相当に大きいイベントであることを窺わせる。そう言えば車通りも多い。歩いているのは子連れの家族だったり、中には老夫婦や外国人も居たりするのだから、かなりの盛況振りである。

 入り口のアーチを潜ると、


「市外から御越しの方は、受付で御名前を御願いします」


 朱鷺が冗談めかした営業口調でそう言った。


「受付は良いが……何だ其れは」


「さっきまで、私も受付やってたの」


 つい笑って突っ込む俺に、彼女はそう応えた。


「さっきまで?」


「うん。金曜から三日間あって、役員とかは日毎に分担する学校が違うんですよ。其の中で、私は今日の午前だったって訳」


 敬語とタメ口を混ぜて説明してくれる。別に全部タメ口で構わんのだが。


「納得しました」


「宜しい。では行ってらっしゃいませ」


 送り出され、受付のテントへ向かう。長机で名前と出身市を書くと、男子高校生がパンフレットを渡してくれた。

 其れを手にして戻ると、二人の女の子が朱鷺と話していた。同じ制服なのでクラスメイトか何かであろう。

 平静を装って朱鷺と話を続けているが、時折此方へ向けられる視線は明らかに俺に気付いている。そして、気にしている。


 何だキミタチ。言いたいことがあるなら言い給えよ。

 朱鷺はと言えば此方に背を向ける格好なので、俺が帰って来たことに気付いていない。

 少し距離を置いた場所で見守っていると、友人の一人が俺に視線を向けながら朱鷺に何かを言った。

 何を言ったかは知らぬが、取り敢えず彼女は俺に気付いてくれたらしい。


 しかし歓談の邪魔をするのも悪いので、俺は右手で「どうぞ」と示す。

 だが三人で一際騒いだかと思うと、友人二人は離れて行った。


「朱鷺ぃ、上手くやれよー!」


 ……成程ね。まさかとは思ったが、勘違いされていたか。

 完全に二人が去った後、困ったように笑う彼女が歩いて来るのを、俺は苦笑で迎えた。






第弐話

 立ち昇る紫煙は語ること無く-Ⅰ ―完―

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