第42話 魔法にかけられて

 今朝早くにライアンはアリアを連れて、ディズニーランドに出かけた。

 私と麻美はジュリアに、舞台のセット作りを見学に連れて行ってもらう予定だ。

 昨夜ジュリアに、麻美も興味があるなら誘っていいと言われ、急遽参加することになった。


 劇場はチャイニーズシアターに程近い場所にあり、LAでは一番の劇場だとジュリアが教えてくれた。

 劇場はエントランスの天井にまで装飾がほどこされ、その華やかさは憧れを感じさせずにはいられない。

 この場所に立つ人間は、俳優もスタッフも選ばれ限られた人間なのだろう。

 それだけに情熱や才能また野望といったものが、劇場の中に渦巻き観る者を惹き付けて止まないのだ。

 本当にこんな場所に自分が、足を踏み入れて良かったんだろうか?

「夏、麻美、こちら友人のディックよ。大道具のチーフをしているの。」

 私達はカチカチに緊張して挨拶をした。

「そんなに緊張しなくても大丈夫。怖くないよ。」ディックは笑って緊張をほぐしてくれた。

 ディックが舞台裏へ案内してくれた。

 あっちらこちらでセットを組み立てる人、小道具を運び込む人、パソコンで図面をチェックし指示を出す人もいる。ディックはそれぞれ私達に解りやすく説明してくれた。

 私と麻美は先に渡された台本を、読む余裕すらなかったが、流石にジュリアは台本とセットを見比べディックと会話しながら、所狭しと広げれた機材を自然にかわしながら歩きまわる。

 私と麻美はぶつからないよう歩くだけで、精一杯だ。

「ちょっと舞台の方見てみようか。」とディックに言われ、後をついていく。

 もちろん客席にお客さんはいないが、LAの有名な劇場の舞台に立つていると思うだけで、足が震えた。


「ジュリアどうかな、何かアドバイスがあれば聞きたいな。」ディックがジュリアに言った。

「そうね。私ならこのテーブルの位置を、後30cmは左にずらす。この俳優の身長からするとリーチは長いはず、だとすればこの位置で台詞を言った後、テーブルに手をつくには近過ぎる。

 それにあのチェスト、あと3cm前に出さないとバランスが悪いわ。それから…。ごめんなさい。喋り過ぎね。」ジュリアすごい。そんな細かい所まで、ざっと見ただけで分かるなんて、とんでもなく凄い人だったんだ。

「いや、さすがだね。感覚は鈍ってないようじゃないか。」

「そんなことないわよ。冷やかさないで。」

 ディックの言葉にジュリアは謙遜した。

「二人はどう?」

 やだジュリア振らないで!

「私ならあの絵画はどうかと思います。台本だと若い女性の部屋の設定ですよね?お金持ちだとしても絵画では硬すぎませんか?」

 麻美凄い。確かに私もそう思うけど、いくら物怖じしない性格だからって、ここで堂々と言っちゃうところが凄い。肝の据わった女、麻美。

「夏はどう?」

 その上、私に振ってくるのか⁈

「そうですね。リトグラフなんてどうでしょう?カトランとか良いと思います。部屋とも相性が良さそう。」ああ、つられて言っちゃった。

「カトランか、良いね。さすがジュリアの連れて来た子たちだ。センスが良い。」

 お世辞でも褒めてくれて良かった。

 はあードキドキした。


 劇場を出て、やっと呼吸ができた気がする。

「何処かでお昼にしましょう。」ジュリアが言った。

 私は喉がカラカラで、何でもいいから飲み物が欲しい。

 私達は近くのカフェに入って、軽食をたのんだ。

「どうだった?」ジュリアが尋ねる。

「もう緊張して震えたわ。でも今は興奮してる。」私は思いのままこたえた。

「感動しました。意見まで聞いてもらえるなんて。」麻美も同じように思ってたんだ。

「二人ともあの意見は良かったわよ。」

「ジュリアこそ凄いわ。あんなに細かい所や俳優の体や立ち位置まで、直ぐに理解して判断できるなんて。」

「昔のクセよ。省吾が私に叩きこんでくれた。『使う人の気持ちになって造るんだ』ってね。」

「父さんの口癖。」私は苦笑いした。

「ジュリアは仕事に復帰しないの?」私も思っていたことを、麻美が口にする。

「無理よ。新しい機材も導入されて、やり方も違うもの。私なんて古いわ。」ジュリアは伏せ目がちにこたえた。

「基本の考えは同じでしょ?夏のお父さんの教えが何より大事なんじゃない?」

「そうよ。でも今の私はスクラップ同然なのよ。必要となんてされない。」

 ジュリアが感情的になる。

「ジュリアがそう思っていても、ディックは違うわ。アドバイスを求めた時、ディックはジュリアを試したのよ。パソコンの図面を見たわ。チェストもテーブルもジュリアが注意した位置に配置するようになってた。その証拠にジュリアの指摘にディックは満足してた。」

 麻美いつの間に、図面なんて確認してたんだろう。

「それ、本当?」ジュリアも驚いたようだ。

「こんなこと嘘ついても仕方ないでしょ。ジュリアが仕事に復帰するかしないかは置いといて、あの場所はいつだって誰かが抜けるのを、大勢の人が待ってる。だけどあの場所はジュリアを待ってる。だからジュリアは自分に自信なくしちゃダメなのよ。ジュリアはスクラップになんてならないわ。」

「麻美、ありがとう。初めて会ったなんて嘘みたい。」ジュリアは霧が晴れたように笑った。

 本当に麻美ったら初対面とは思えない口ぶりで言うから、聞いていてハラハラした。

「そうだ、忘れるとこだった。マザーから伝言があったの。」

「なに?」

「明後日の夜ちょっとしたパーティーがあるから、出席するようにって。ジュリアもライアンとアリアちゃんと来て欲しいって。」

「大変!急いでドレスを用意しなくちゃ。貴女達はドレス持って来てるの?」

「まさかパーティーに出席するなんて思わなかったから、用意なんてしてない。」

「私もドレスなんて持って来てないわ。LAに来る前に買ったワンピでいいかなって…。」

 私と麻美はドレスと聞いて焦った。麻美の言うようにちょっとしたパーティーなら、LAに来る時に奮発して買った、あの服で何とかなるだろうか?

「ダメよ。」甘い考えは、ジュリアにバッサリと否定された。

「ちょっとしたパーティーとは言っても、マザーのパーティーならドレスコードはキチンと守らないと、礼儀に反するわ。今からドレスを見に行きましょう。」


 ジュリアに連れて来られたのは、言わずと知れたロデオドライブだ。

 ディオール、ティファニー、ルイヴィトン、シャネル、プラダ…。高級ブティックが軒を連ねる。

 私はきっと顔が真っ青になっているに違いない。

 こんなブランドのドレスなんて冬のボーナスを叩いても足りないだろう。

「麻美どうする?」

「無理だよ。ここはジュリアの買い物に付き合って、後でグローブかビバリーセンターにでも行こう。」

「そうだね。」

 グローブは庶民派ロデオドライブと呼ばれるモールでアバクロなどの日本でも馴染みのあるブランドがあり、お値段も手頃だとLAに来る前に同僚聞いていた。

 ビバリーセンターはグローブから車で数分の場所にある。セレブも訪れる有名なモールだがH&Mも入っているので、このふたつのモールを回れば、私達にもなんとかなるだろう。


 どこから見ても場違いな私と麻美を余所に、ジュリアは『メルヴェイユー』という高級ブティックに入って行く。

 この店はパーティー用のドレスや靴や小物だけを扱っているようだ。

 店員はチラリと見ただけで、私達三人を相手にする気はなさそうだ。

 ドレスを買いに来るなんて、今日の予定にはなかったのだから、三人ともジーンズやパンツにシャツ。アクセサリーもピアス程度で、作業服を来ていないだけマシといった格好をしている。

 けれどジュリアは全く臆することもなく、店員を呼び止めた。

「アシュリーがいたら、ジュリアが来てると伝えて」

「お待ち下さい。」と店員はやや慇懃無礼とも言える態度でスタッフルームに入っていった。

 失礼な店員は客の言葉を伝えるだけの礼儀はあったらしく、スタッフルームから長身の男性が現れた。

 ジュリアが彼に向かって軽く手を振り合図すると、彼は笑顔でジュリアに近寄ってくる。

 彼はモデルなんだろうか?黒のタキシードを着こなし、背筋を伸ばた体に長い手足、お肌もツヤツヤの彼は超イケメンだ。

「ジュリア驚いたよ。連絡してくれればいいのに。」

「ごめんなさい。急遽ドレスが必要になったものだから。」

「僕を忘れずに頼ってくれるなんて嬉しいよ。で、後ろのアリスとドロシーは君の友達?」

 アリスとドロシー?私と麻美のことをそう呼んだ。日本人は幼く見えるという意味だろうか?私達は顔を見合わせた。

「魔法の国に迷い込んで、どうしようって顔してるね。」と彼はクスっと笑った。

「私の大切な日本の友達よ。いじめないでちょうだい。」

 ジュリアはアシュリーに私と麻美を紹介した。

 アシュリーは私達三人を別室に案内し、シャンパンを出してくれた。

 別室は白で統一されているが、優雅な装飾が施されお姫様気分にさせる。ドレスを選ぶにはピッタリの部屋だ。シャンパンも演出のひとつなんだろう。

 アシュリーと他のスタッフが、ドレスと小物を乗せたカートを運んできた。

 店に入って来た時とは、うって変わってVIP待遇だ。

 アシュリーはジュリアに茜色のドレスをあて、満足気に頷く。

「このドレスはジュリアに着て欲しいと思ってたんだ。うん。素晴らしい。さあ着てみて。」

 試着して現れたジュリアは、手が届かない星のように美しかった。

 大きくカットされた胸元からは、白い肌が露わになり、身体にまとわりつくように流れ、裾で緩やかに広がるラインは、ジュリアの妖艶さを充分に引立たせた。

「ジュリア…。素敵…。」

 私と麻美は口があんぐりと開くほど見惚れた。

 茜色はまさにジュリアの赤だ。

 アシュリーが選んだ靴やバッグ、ジュエリーを身に付け、美の女神ジュリアの完成。

「さすがねアシュリー。これを頂くわ。次は麻美ね。」

「いえ、私達は…。」

 アシュリーとジュリアはドレス選びに夢中で、私達の遠慮の言葉も耳に入っていない。

「そうね。やっぱりこれがいい。さあ麻美着てみて。貴女の可愛いイメージとは違うけど、きっと着こなせるはず。」

 麻美はジュリアとアシュリーに試着室に追いやられた。

 麻美は胸元がスクエアカットされ、ギャザーの入った濃い茶色の生地が胸を覆い、胸の下から足元まで柔らかなクリーム色の生地が、Aラインを作った、ラインストーンの装飾が見事なドレスだった。

 麻美のイメージとは違っているけど、見違えるほど似合っていた。

「完ぺきね。凄く素敵よ麻美。自分でもそう思うでしょう?」

 麻美は言葉もないほど、自己陶酔の世界に入っていた。

 ジュリアとアシュリーは自分達のセンスに得心して、次は私のドレスを選び出した。

「問題は彼女だね。夏は手強い素材だ。」

「そうね。これはどう?夏の肌によく合うと思うわ。」

「そうだな、それもいいが…。うーむ、そうだ!ピッタリのがある。」

 アシュリーはスタッフに声をかけると、ここにはないドレスを持って来させた。

「うん、これだ。これが彼女のドレスだ。」

 私に差し出されたのは、シャンパンゴールドの豪華なドレスだった。

 こんな豪華なドレスが私に似合うですって⁈

 この二人は本気で思っているの?

 麻美が試着したからには、私も着ない訳にはいかない。

 私は二人をがっかりさせるのではないかと、ドキドキしながら試着室のカーテンを開けた。

「もっと背筋を伸ばして、肩の力を抜いてやや後ろに引くと…。」

 アシュリーは私の姿勢を直し、回れ右をさせて鏡に私を映した。

 これは、私?

 麻美が自己陶酔の世界に浸ってしまったのがわかる。私も今どっぷりと浸っている。こんな自分を見た事はない。

 シャンパンゴールドのシルクは胸元から始まり、身体に吸い付くように裾まで流れ落ち、裾から上に向かって黒の刺繍が施されている。

 ウエストから薄いオーガンジーが、後ろに引きずるように優雅にドレープを描いた。

「夏、凄く綺麗だよ。」

「麻美こそ、見違えた。お姫様みたいよ。」

 私と麻美は互いに褒めあった。

「三人とも凄く似合ってるよ。君達のドレスだ。パーティーを楽しんで。」

「でも、私達こんな高価なドレス買えないわ。凄く残念だけど…。」

 私と麻美はあからさまにガッカリして、買えないことを伝えた。

「支払いならもう済ませたわよ。ライアンが自由に使っていいって、カードを持たせてくれたのよ。」

「そんな悪いわ。こんな高価なドレス買って貰うなんて、ダメよ。」

「気にする事ないさ。ライアンにはこのくらい何でもないさ。だろ?ジュリア。」

「そうね。彼ならきっと何処かでドレス代くらい回収するわね。」とジュリアは思わせぶりに笑った。

 私と麻美は何度も拒否したが、聞き入れて貰えなかった。

「このドレスは君達を待ってたんだ。人がドレスを選ぶんじゃない。ドレスが着る人を選ぶんだよ。それは恋さ。自信を持って着ておくれ。」

 久しぶりにアシュリーの座右の銘を聞いたと、ジュリアが笑う。

 けれどアシュリーの座右の銘は、私と麻美には効果覿面だった。

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