第35話 新たな出逢い 夏
ライアンの家はプラヤビスタにあった。
プラヤビスタは商業施設と住宅地が融合した新しい街で、公共施設などの費用を住民からも徴収するため、他の住宅地より税金が高い所らしい。
ロールスロイスよりは馴染みのあるベンツで、送ってくれたので道すがらアダムがガイドをしてくれた。
賑やかな商業施設が並ぶ通りを抜け、脇道に入って行くとヨーロッパ風、モダン、スパニッシュといった様々な様式の住宅が建ち並んでいる。
公園も多く愛犬のふぅを遊ばせてあげたいと思うドックランも見つけた。
この辺りは百種類以上の野生動物と植物を保護しているため、時には公園にモグラが顔を出したりするそうだ。
ベンツは一戸建ての家の前に緩やかに止まった。
「ここがライアン様のお宅ですよ。」
アダムが車のドアを開け、意気地のない私の背中に手を添え玄関まで連れて行ってくれた。
アダムがチャイムを鳴らし暫くすると子供を抱えた女性が現れた。
「まあ、アダム。お久しぶり。」
「お久しぶりですジュリア様。アリアお嬢様、ご機嫌はいかがですか?」アダムは親子と親しいらしく、和かに挨拶を交わしている。
ジュリアと呼ばれる女性は栗色の髪と、髪の色より濃い栗色の瞳をしていた。その瞳は私を一瞥すると一瞬不快な色を滲ませた。
顔色がすぐれていないようだ。具合でも悪いのだろうか?頬もこけているみたいだけれど、美人にはかわりなかった。
私は戸惑っていた。もう逃げ出したい。この親子はいったいライアンとどういう関係なんだろう?いいえ、疑う余地などない。
アダムはここに来た
「まあ、日本からわざわさあの家を見に⁈ライアンは留守にしているけれど、もうじき戻るはずよ。それまで中でお茶でもどうかしら?」
私が日本からあの家を見に来たと聞くとジュリアは僅かに頬に赤みが刺すほどパッと明るくなった。
私は気楽にお茶しながら雑談できるほどの鋼の心臓など持ち合わせていない。ましてやこんな状況でライアンと出くわすなんてとんでもない修羅場だ。
「いえ、お留守にお邪魔するのは申し訳ないので、また出直します。」
「遠い所から来てくれたんだもの遠慮なんてしないで。」
ジュリアはそう言うと、私の手を握って家の中に引き込んだ。
「では私は一旦戻りますので、帰る時にはご連絡下さい。お迎えにまいります。」アダムにそう告げられると見放された気持ちになって、ジュリアの手を振り払い車まで猛ダッシュしたくなる。
「アダム、ポーチでレモネードでもどうかしら?少しぐらい休憩して帰ってもかまわないんじゃない。」ジュリアの言葉が天使の歌に聞こえる。
「ジュリア様の誘惑を断る事など出来ませんね。運転手も呼んでまいります。」
アダムは運転手を呼びに車に戻って行った。
私はリビングに招かれ、お茶の用意をしてくるから待っててと一人取り残された。
麻美の言うようにライアンはあの家で留守番していただけなんだ。
だから妻がいるのは嘘じゃなくて、天使のような子供までいた。
やはり来るべきじゃなかったんだ。
泣き出してしまいそうだ。
ダメダメ今泣いたらライアンに迷惑がかかってしまう。早く話しを切り上げてここから逃げ出そう。
ジュリアはコーヒーで良かったかしらと言いながら、持って来たチーズケーキを切り分けて出してくれた。
「どうしてあの家を見に?」
私は杏さんから借りてきた写真を見せ、自分が夢に見た家と似ていたから、仕事柄内装にも興味が湧いたと説明した。
それから名刺も差し出した。名刺は表は日本語だが裏面は英字になっているので、持って来て良かった。
ジュリアは名刺を見ると嬉しそうに声をあげた。
「神戸から来たの⁈私8年前京都に留学していたから、神戸には何度も行った事があるのよ。嬉しいわ。」
驚いた。京都にいた事も神戸に来た事があるのもだけど、いきなり流暢な日本語で話しかけられた事に驚いた。しかも少しだが関西のイントネーションだ。
「日本語お上手ですね。驚きました。」
「もう長いこと使っていないのよ。下手になったんじゃないかしら。家も三ノ宮の近く?」
「家は北野です。ご存知ですか?」
「ええ、行った事あるわ。異人館のある所ね。じゃあ私達すれ違った事あるかも知れないわね。」ジュリアは本当に嬉しそうだ。
「いえ、北野には三年前ぐらいからですから、その前は実家のある灘区に住んでいました。」
「灘区?夏さんの実家は灘区なの?動物園があるでしょう?その近く?」
「よくご存知ですね。実家は動物園の裏側の道を少し入った所です。」
そう告げるとジュリアは、もう一度名刺をマジマジと見直した。
「夏さん、もしかして省吾の…?」
「はい?省吾は父ですが…。なぜ貴女が父の名前を…?」
「うそ!やだ、えっ、本当に?どうしましょう…。こんな事あるのかしら?省吾の娘に逢えるなんて…。やだ信じられないわ。」
ジュリアはパニクッているようだが、私のパニックは更に上をいっている。
「あの、貴女はいったい…?」
「省吾から何も聞かずに来たの?」
「父からは何も…。ここへ来たのもマザーの紹介ですから。」父さんとジュリアが知り合い?
「京都には日本の文化を勉強しに行ってたのよ。その時、神戸に凄い家具職人がいると聞いて会いに行ったの。その人が省吾。夏さんのお父さんね。私は省吾の作った作品に触れて感動したわ。温もりやら優しさ、使う人への思い遣りといった省吾の人柄が伝わってくる作品ばかりだった。それから週に二度は通って色々教えて貰ったの。省吾は私の師匠よ。省吾のお陰でLAに戻ってから沢山いい仕事ができたわ。」
自分の父親がこんな評価を受けるなんて想像もしていなかった。しかも父とジュリアが師弟関係だったなんて。
「その頃夏さんは東京の大学に行っていたんじゃなかったかしら?確か省吾からそう聞いたわ。省吾やお母さんお兄さん達もお元気?懐かしいわ。」
「ええ、皆元気です。母や兄の事も知ってるんですか?」
「勿論よ。お母さんの作ってくれたお料理おいしかったわ。裕也はお兄さんみたいに接してくれたし、賢人は同い年だったから友達みたいだった。そうだ、我が家にも省吾の揺り籠があるのよ。娘のアリアの為に作って貰ったの。」
「本当⁈アリアちゃんは何歳?」
「3歳よ。今はもう大きくなったから、オモチャ箱に使っているのだけど」
「見せて貰ってもいい?」
「ええ、いいわよ。」
私は子供部屋に通して貰い揺り籠を見た。父の作った揺り籠に間違いなかった。
父の揺り籠は少しばかり有名だった。海外からも時々注文が入っているとは聞いていた。
全て手作りの上受注生産なので、結構な予約待ちになり、よく夜中まで仕事していた。
「元に戻しますから玩具を出してもいい?」
ジュリアは何事かと訝しんだが了承してくれ、玩具を出すのを手伝っくれた。
私はジュリアの手を借りて揺り籠をひっくり返し、揺り籠の足元の内側を確認すると指差していった。
「やっぱり、ほらここ。父は見つけにくいここにシリアルナンバーをこっそり入れていたの。5001と入っているでしょ。これは父の最後の揺り籠よ。」
「知らなかった。」
「家族しか知らない事だもの。父は5000個作ったら引退して店は賢人兄さんに譲ると言っていたの。裕也兄さんに双子が生まれたから、その世話をしたかったのかも知れないけどね。
三年前だと父は引退していたけど、これは特別な人の為に作るからと言ってたのを覚えてる。」
「そうだったの。省吾が私の為に…。私を覚えててくれたの…。」ジュリアは涙ぐんだ。
「じゃあもう一つの秘密を伝えるね。」
「父の揺り籠は、使う子供が丈夫に育つようにと願って樫の木で作るのだけど、この揺り籠は頭側になるこの部分の板だけ桜の木を使っているの。お母さんの様に誰からも愛される人になるようにって言ってた。」
突然ジュリアは、わっと大泣きし出した。
どうしよう、余計な事を言ってしまったみたい。さっきまで凄く喜んでくれていたのに。
「ごめんなさい。私つい話過ぎてしまったわ。貴女を悲しませるつもりなかったのよ。」
「夏さんのせいじゃないわ。ただ…私はそんな風に思って貰えるような女じゃないの。愛される事なんて何もない。夫にさえ愛想を尽かされているのよ。」
ジュリアとライアンの間に何があったのか分からないが、私がここに来てはいけなかったのだと言う事は分かった。
このまま残っていてはジュリアをもっと傷つけるかも知れない。けれど泣き崩れるジュリアを見て、不安そうに泣きじゃくる幼いアリア。二人を残して立ち去れない。
私の正体を知ればジュリアは私を憎むだろう。けれど私はジュリアを嫌いになれなかった。
「私の父はお調子者だけど、嘘のつけないいい人よ。家族は皆そうよ。私は父の言葉を信じる。だからジュリアもお願い、父の言葉を信じて。」
「ありがとう夏。そうね省吾は嘘つきじゃない。よく知ってるわ。省吾にありがとうって宜しく伝えて」
「自分で言ったらどうかしら?ちょうどLAに無事到着した報告の電話をしないといけないから。直接言ってくれたら父は大喜びするわ。LAに飛んで来ちゃうかも。」
私は父の携帯に連絡し、凄く懐かしい人にかわるねと言って、ジュリアに携帯を渡した。
電話の向こうでは自分の家族が大興奮する声が、漏れて聞こえてきた。
ジュリアも涙ぐんだり、大笑いしたりして嬉しそな表情に戻ったので、ほっと胸を撫で下ろした。
ジュリアが携帯を切り返してくれたので、私はもうマザーの家に帰ると告げたが、ジュリアは納得してくれない。
それにアダムは帰ってしまっていたので、迎えを待つとなるとまた時間がかかってしまう。
早くこの家を出ないマズイという焦りばかりで、頭が働かない。
「ごめんなさい。友達を待たせているので、早く帰ってあげたいの。」とタクシーを拾って帰るからと告げた。
本当の事だ。麻美の具合も気になっている。それよりもライアンがいつあのドアから入って来るかと思うと、気が気ではなかった。
「そうなの。残念だけど仕方ないわね。逢えて良かった。夏ありがとう。」
やっとジュリアは帰る事に同意してくれた。
そして、あの家には自分が絶対に連れて行ってあげると約束してくれた。
けれど今となっては家の見学などどうでもいい。
LAに来た目的は、こんな形で唐突になくなってしまったのだ。
ジュリアにお礼を言い席を立つと同時に、外からバンっと車のドアが閉まる音が聞こえた。
ジュリアは小窓から外を覗くと、私を見て微笑む。
「良かったわ。ライアンが戻って来た。心配しないで。私がちゃんと話してあげる。」
頭がクラクラする。ああ、なんてタイミングの悪い。後10秒でも早く出ていれば出くわさずに済んだのに…。
気が重い。自分の家に帰るのがこんなに気が重いなんて…。
お袋は親父の様子を見る為に一旦家に戻ると言っていた。
ジュリアとアリアはどうしているだろう。
俺が帰るとまた部屋に引き篭もってしまうのだろうか。
恐る恐る玄関のドアを開け、中の様子を伺う。
なんと、ジュリアの話し声や笑い声まで聞こえる。アリアもはしゃいでいるじゃないか。
誰か来ているようだ。助かった。せめて重い雰囲気の中ただいまを言わずにすむ。
リビングのドアを開けアリアが、腕の中に飛び込んできた。
「パパ、お客様よ。綺麗なお姉さんだよ。」
綺麗なお姉さん?誰だろう?
アリアを抱いてリビングに入ると、見たこともない日本人の女の子がいた。確かに綺麗な娘だが…?
「ライアン、こちら日本からいらしたナツ・カトリさんよ。マザーの紹介で貴方にあの丘の家を見せて欲しいって。」
「……。マジ?君…ナツ・カトリ?」
「ライアン、夏を知ってるの?」
「いや…。全然…。」
俺はぼんやりと答え、失礼なほど彼女を観察した。足はあるようだ。
アリアを抱いて入ってきたライアンは、私の探しているライアンとは全くの別人だった。
あまりにもジュリアの夫は自分の知っているライアンだと思い込んでいた為、人違いのライアンをみて緊張の糸がプツンときれ、ヘナヘナとその場にへたり込んでしまいそうだ。
私は椅子の背もたれに助けを求め掴まった。
「二人ともどうしたの?言葉を忘れちゃったの?」ジュリアは二人の様子を見比べ、不安な表情になった。
「初めましてナツ。ライアン・ブランドです。あの家を見に日本から来たと聞いてびっくりしたんだよ。」
「初めまして。突然お邪魔して申し訳ありません。」
「構いませんよ。妻のジュリアも楽しそうだ。
ちょっと失礼して着替えを済ませてきます。詳しい話しはその後で、ジュリアすまないが手伝って貰えるかい?」
「…ええ。」やはりライアンは変だ。いつも勝手に着替えているから、手伝ったことなどないのに…。
夏の事で何か話しがあるのだろう。
胸がムカムカしてきた。嫌な話はもう聞きたくない。
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