第34話 思惑
「ジュリア、本当に大丈夫?」
「大丈夫よ。お義母さん。いつまでもライアンから隠れていられないもの。」
私の看病の為に滞在してくれていた姑が、一旦自宅に戻る。
私の養父母は私が20歳の時に事故で亡くなったので、この世に父母と呼べるのはライアンの両親しかいない。
ライアンの両親も兄弟達も私を本当の家族にしてくれた。
だから姑が居なくなるのは、心細くて一緒に連れて帰って欲しいと駄々をこねたい気持ちで一杯だ。
「ジュリア、今回の事は本当にごめんなさい。」
「そんな、お義母さんが謝る事じゃないわ。」
「いいえ、私達もっと貴女を構ってあげるべきだった。貴女に鬱陶しがられるのが嫌で距離を置いてたのよ。
それに親は自分の子供が何歳になっても、子供のした事に責任を感じるものよ。
貴方もいつか分かる時が来る。こんな気持ちが分かる時が来ない方がいいのよね。
でも、子供が何歳になろうと、仕事で成功しようと心配はするものだというのは、きっと分かるようになるわ。」
「でも、いつまでもライアンから逃げて意気地なしで心の狭い女だと思うでしょ?」
「いいえ、ライアンは浮気という卑怯な手で貴女の心を壊したんだもの。時間がかかるのは仕方ないわ。」
「私まだライアンを許せないの」
「ライアンを許す必要ないわ。許しちゃダメ。ジュリアが許しても私が許さない。」
「お義母さん…?」
姑がこんなに怒っているなんて思わなかったから驚いた。
「ジュリア、人を許すのは簡単じゃないわ。でも怒りを持続させるのは難しいことなのよ。だけどそれは時間が必ず解決してくれる。
今ジュリアがしないといけないのは、自分を許すことよ。
ライアンが浮気したのは自分のせいじゃないか?いつまでもライアンから逃げてる意気地なしで心の狭い自分。そんな風に思っている自分を許すの。
他人の事は許せなくても、自分の事は許せるわ。自分を許す努力をなさい。そうすればライアンとも向き合える時が来ると思うわよ。ライアンとどうなろうとジュリアは私達の大切な娘よ。忘れないで。」
姑の言葉が嬉しかった。本当の親でもそんな風に言ってはくれないんじゃないだろうか。
私はこくりと頷いて自分を許す努力をしてみると、姑に約束をして自宅に帰って行くのを見送った。
私と麻美を乗せた飛行機は予定通りLAに到着した。
入国手続きを済ませゲートを出ると、杏さんのお母様が出迎えてくれた。
「初めましてジョンソン夫人。アサミ・ミクラです。こちらはナツ・カトリです。」
「お二人が来るのをずっと楽しみにしてたのよ。私のことはマザーと呼んでちょうだい。近所の子たちは皆そう呼ぶの。」
「はいマザー。10日間お世話になります。」
マザーは杏さんと同じ黒い髪と瞳をしていたが、杏さんのように彫りの深い顔立ちではなかった。けれど杏さんとは違う美しさがあった。杏さんを華やかに魅了する真紅の薔薇と例えるとすれば、マザーはたった一輪でも凛とした華やかさと優しさを感じさせる月下美人のような幻想的な人だ。
マザーに会ってからというもの私達は驚きと緊張の連続だった。
迎えに来てくれた車はロールスロイスのリムジン。麻美は緊張のあまり車に乗り込む時に躓いた。私達は出発前に新しい洋服を購入していたのだが、それは私達にとっては少し無理をした金額の洋服だった。その洋服もこの車には似つかわしくないどころか滑稽に見える。
けれどマザーの服装は薄手の白いニットのセーターにクリーム色のパンツ。パンツの色とほぼ同色のハイヒール。装飾品も真珠のネックレスのみ。そんなラフな格好で違和感もなくサラリと超高級車に乗り込む。本当のお金持ちというのは飾りたてて見せびらかすのじゃなく、高級な物が普通に身に付いているものなんだ。私達は緊張しつつもシンデレラ気分を味わった。
マザーが途中で運転手に声をかけ車を停止させた。
マザーの秘書件執事のアダムが車のドアを開け、私達に降りるよう促がす。
「御覧なさい。ここがお二人の見たがっていたお宅よ。」マザーがガイドしてくれた。
「どう夏?」麻美が私の方を見て尋ねる。
「残念だけど外観は全然覚えてないの。」
「お二人を迎えに行く前に寄ってみたのだけど、このお宅の方何処かに出かける前だったみたいで急いでらしたのよ。でも直ぐに戻られるでしょう。楽しみは後に取っておきましょうね。」
留守と聞いて気落ちする私を、マザーは優しく慰めてくれた。
ライアンの家は白い二階建てのシンプルな外観だった。日本人の私達には大きくて立派な屋敷に見えたが、車中から見たこの辺りの家からすれば小さな方かもしれない。
私達はまた車内に戻り丘の頂上にある、マザーの豪邸へ向かい走りだした。
ライアンの家から30分程走ると、リムジンが一旦停止した。
一度カタンと音がして、静かに門が開き始めた。
5分ぐらい前に大きな石の門をくぐったが、それは外側の門で屋敷の敷地に入る玄関口といったものらしい。
そして今くぐっている門は、邸に通じる入り口で、他にもゲストハウスや厩舎それに使用人達の寝泊まりする建物にもそれぞれ門が取り付けてあるそうだ。
そう聞いただけで屋敷の敷地は、気が遠くなる程広いのだとわかったが、そんな広大な屋敷での生活など想像もつかない。
「さあ着きましたよ。」
何もかもが自分の存在する世界と違い過ぎ、思考がショートしていたので、マザーに声をかけられ思わず上ずった声を出してしまった。
車から降りて目にしたのは、邸などというものではなかった。
ライアンの家を邸と呼ぶなら、マザーの家はお城だ。
麻美を見ると、いつも物怖じしない麻美でさえ緊張しているようだった。
「お腹がすいたでしょう?先に着替えを済ませてらっしゃい。お食事の用意をしておきますからね。」
私達はメイド達に各自の部屋へ案内された。
ひ、広い…。
キングサイズのベットにウオークインクローゼット、手入れの行き届いた趣味のいい家具。
バスタブ付きのサニタリールームには、しっかりとアメニティーグッズまで揃っていた。
ドアの取っ手、タオル掛け、蛇口など細部にまでこだわりが伺える。
まるで由緒あるホテルのようだ。
昼間なら照明を必要としない明るい部屋。
窓からは庭園が見下ろせ、色とりどりの花に囲まれた噴水が水をあげている。
麻美の部屋も同じだろうか?
軽くノックして麻美の部屋を覗いた。
「もう用意できたの?私もう茫然としちゃって…。」
そうらしい、麻美は着替えどころかキャリーケースすら空けていなかった。
麻美の部屋は私の部屋とは違っていた。
広さは同じぐらいだが、内装は麻美のイメージにピッタリだ。
「早く着替えたほうがいいよ。」
麻美を急かせて、私は勝手に部屋の中を観察した。
刺繍が施された天蓋付きのベット、白い枠組みでライラックピンクの可愛らしいソファ。
小物類も可愛らしい物ばかりだが、チェストなどの家具が薄いベージュで統一されていたので、子供じみてはいなかった。
大人乙女チックといった感じだろうか。
きっと杏さんからの情報で、マザーが私達に合う部屋を選んでくれたのだろう。
麻美の着替えも出来たので、私達はメイドに付き添われ食事の場に行った。
「今日はお天気もいいしサンルームで頂きましょう。」
高い天井。外に向かって一面が丸みを帯びたガラス張り。一部がガラスの引き戸で外に出入りできるようになっている。
「貴女方はインテリアのデザインをなさってると娘から聞いているのだけど、このサンルームの模様替えを考えているの。何かいいアドバイスをいただけないかしら?」
家具や調度品も見事だ。品の価値も相当な物だろうが、見事なのはその配置だ。私達にあてがわれた部屋もそうだが、それぞれに配置された場所は絶賛に値いする。
「そんな、とんでもないです。このサンルームは完璧です。家具は永く愛せるものばかりで、年月を重ねるたびに味わいの深さを増していくでしょう。それに合わせて計算された配置になっています。足す事も引く事も出来ません。どうかマザーこのサンルームはこのままお使い下さい。」
私はマザーの思いも聞かず率直な意見を言ってしまった。
けれどマザーはくすりと笑い言った。
「やっぱり、夏ならそう言ってくれると思ったわ。
このサンルームの家具の配置は、亡くなった夫が長年かけて仕上げたのよ。夏がそう言ってくれたら夫も喜ぶわ。」
そう言ってマザーは嬉しそうに微笑んだ。
「旦那様もインテリア関係のお仕事を?」
「いいえ、全然畑違いの仕事よ。インテリアは夫の趣味ね。」
私は気になっていた事を口にした。
「マザーはあのお宅に行った事がおありですか?」
「残念だけど中に入った事はないのよ。いつも来てもらうばかりだから。」
「どんな方なんでしょう?」
「そうねぇ、気さくな人だけど…。あまり自分にも他人にも興味がないっていうか、だからと言って冷たい人じゃないの。無頓着って感じかしら。」
「もしかして、持ち主の方はライアン・ブランドさんという方ですか?」
思いきってライアンの名前を出してみた。
「あら、ライアンをご存知なの?それなら話が早いわ。ライアンならあのお宅の方と私よりも懇意にされているから、きっと力になって下さるわ。早速ライアンのお宅に伺ってはどうかしら?」
マザーはそう言うとアダムを呼んで、私をライアンの家まで連れて行くよう指示を出した。
私は急な展開に頭がついていけず、自分の語学力に自信喪失しそうだ。
けれどマザーは私の心中などお構いなしに話しを進め、早く支度をするように促す。
私と麻美はマザーに言われるがまま、サンルームを出て部屋に戻ったが、麻美は自分の部屋に入らず私の部屋についてきた。
「夏、悪いんだけど一緒に行かなくてもいい?なんだか疲れちゃって…。」
「えっ?うん、いいよ。大丈夫?具合悪いなら部屋に戻って寝た方がいいよ。私も残ろうか?」
「ううん、いいよ。ライアンに会う為に来たんだもん。早く会いに行った方がいいよ。」
「でも、なんだか変じゃない?マザーの口振りだと、あの家はライアンの家じゃないって事だよね?私よく分からなくなってきた。」
「ライアンがあの家で留守番してる時に夏と会ったのかも。本人に会ってみないとわからないよ。」
「そうだね。じゃあ行ってくるね。」
今の疑問だらけの状態で、一人でライアンに会いに行くのは不安だった。
麻美の事も気がかりだし…。
この旅行が決まってから、麻美の様子はおかしかった。
目的はライアンに会うことかもしれないが、麻美の性格からして他に観光とかショッピングの予定を立てたとしてもおかしくない。LAやライアンの話しをしても、どこか上の空みたいな時があった。LAに着いてからの麻美は言葉すくなく、いつもの麻美ではない。私はふっと麻美には他にも目的があるんじゃないかと思った。
やはりライアンに会いに行くのは延期してもらおう。そう決めて部屋をでた。けれどマザーがちょうどお茶の時間に着くはずだからと、手土産にチーズケーキまで用意してくれていたので、延期したいとは言い出せなかった。
車に乗り込んだ私にマザーが言った。
「夏が行けばきっとライアンの助けにもなれるわ。いってらっしゃい。」
「それはどう言う意味…」
マザーの意味深な言葉の答えを聞くどころか、最後まで言う事もできず、車はライアンへ向かって走り出した。
夏を乗せた車を自分の部屋から見送り、マザーがいるであろうサンルームに行った。
「マザー、お聞きしたい事があります。よろしいですか?」
「麻美、来ると思っていたわ。」
ついにその時が来た。そんな感じだった。
全ての答えは、マザーが知っている。私はそう確信していた。
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