第32話 旅立ちの計画

 あの台風の夜から一週間が過ぎた。

 医者からは全治二週間と言われたが、殴られた時の腫れや痛みもほとんど引き。傷も瘡蓋がとれ始めメイクで隠せる程度になったので、会社に出勤した。

 後藤和也は事件の翌日に懲戒解雇になり、部長のおかげで接近禁止命令も出して貰えた。

 けれど麻美は過剰なほど私を一人にしようとしなかった。

 自宅以外で一人になれるのはトイレの個室ぐらいだ。

 とはいえ私も会社に出勤するのは少し怖かった。後藤和也はもういないんだと分かっていても、あの時の恐怖が蘇りそうな気がした。

 けれど、一日も早くLAに出発したい。そんな焦りにも似た気持ちに突き動かされている。

 麻美からは聞いていたが、部長は出勤すると直ぐに私を呼んでLA行きが決まった事を話してくれた。心の傷を癒すにもいいだろうとLA行きを勧めてくれたので少し胸が痛む。

 荻野社長の計らいで一週間後の出発となった今は、仕事の引き継ぎや取引先への挨拶にスケジュールがびっしりだが、後一週間でライアンに会えるかも知れないと思うと少しも苦にならなかった。

 例えあの家にライアンがいなくても、なにもかも謎が解けそうな気がする。



「ハーイ、レオン。今から私の家に来て。」

 クリスティーンからの誘いの電話だった。相変わらず此方の返事を聞かない誘い方に笑ってしまう。

 この二ヶ月プライベートは波乱続きだったが、撮影の方はワイヤーの欠陥以外全て順調で、昨日無事にクランクアップした。

 思いがけずクリスティーン達とも友達になれた。いや俺にとっては恩人だ。あの日クリスティーン達が家に押しかけて来て、サマーとの事を打ち明け信じてくれなければ、今頃俺の精神は壊れていただろう。

 その上クリスティーンは、サマーを見かけた北野神社まで探しあててくれた。あの時の興奮は今も忘れられない。

 撮影もクランクアップした事だし、サマーの住む街に行ってみよう。犬の散歩コースだとすればそうそうコースを変えることはないだろう。

 北野神社で張っていれば、サマーに出くわせるんじゃないか?楽天的と言われるのを承知でクリスティーン達に話してみよう。


 クリスティーンのマンションに着くと、ドアの前でジョシュが出迎えてくれた。

「もう皆さんお揃いですから、一緒に部屋まで行きましょう。」とジョシュはマンションのドアを開けてくれた。

 最上階に着いてエレベーターのドアが開いた途端に俺は引き返そうかと困惑した。

 クリスティーンが満面の笑みで仁王立ちしていたからだ。きっと何か企んでる…。そんな俺の心中を他所に、クリスティーンは待ってたのよと俺の手首を掴み部屋へ引きずり込んだ。

 ジョシュに助けの視線を送ると、ジョシュは笑いを堪えるように俯く。

 リビングルームに入ると、引き攣った顔のライアンもいた。ライアンも同じ出迎えを受けたんだろう。

「ライアンも呼ばれたのか?」

「ああ、大事な話しがあるから直ぐに来いって。なんなんだ?」

「さあ…?ところでライアンは高所恐怖症だったろ?大丈夫か?」

「窓に近づかないようにしてる。もう吐きそう…。」

 二人でコソコソ話していると、サムが水を持ってやってきた。

「ライアン大丈夫かい?ソファに座って水を飲んだら少しは楽になると思うよ。君が高所恐怖症だなんてクリスティーンは知らなかったんだよ。許してやってくれないか。」

 サムを手伝ってライアンをソファまで連れて行き、いつもの様に暗示をかけた。

「ライアンここは三階だ。三階の高さは大丈夫だろ?虫だって飛べる高さだ。さあ水を飲んで落ち着こう。」

 仕事でどうしても飛行機に乗らないといけない時には、眠剤が効いてくるまでこうして暗示をかけてやる。そうすると少しは気分がマシになるらしい。

 クリスティーンとジョシュが飲み物とカナッペを運んできた。

「ライアン本当にごめんなさい。冷たいおしぼりよ。額に当ててちょうだい。」

「ありがとうクリスティーン。で、大事な話しって?」

 ライアンはさっさと話しを済ませて帰りたいんだろう。だがクリスティーンのくれたおしぼりを額に乗せ、ソファの背もたれにグッタリと頭を倒している状態では一人で帰すのは心配だ。話しが済み次第送ってやろう。

「実はね、サマーの事を依頼した探偵から報告があったのよ。該当する女性が見つかったって…。」

「なんだって⁈本当に!」

 クリスティーンの言葉に全員が驚き身を乗り出した。

 グッタリしていたライアンさえも、ガバッと勢いよく体を起こした。きっと一番驚いているのかもしれない。

「ええ、名前と誕生日が一致しているんだけど、住所が違うらしいの。探偵が言うには多分実家から住民票を移していないんだろうって。部屋も家族の名前で契約しているんだろうって。若い独身女性がそうするのは少なくないらしいわ。」

「ああ、それは賢いね。」とサムは頷く。

「でも、名前と誕生日が一致しただけで本人だという確証はないんだろう?」とライアンは訝しんだ。きっとまだ信じていないんだろう。それも仕方ないと思う。

「ええ、今その女性を調査してくれてるわ。詳しい事が分かり次第連絡をくれるわ。」

「マジで探してたんだな…。なんでそんな簡単に信じられるんだ…?」ライアンは俯き弱々しい声で静かに言った。

「ライアン…。貴方が直ぐに信じられない気持ちもわかるわ。だって実際のところ私も話の内容には半信半疑だったもの。でもレオンって人はこんな突飛な嘘をつける人間じゃない。それはライアンの方がよく分かってるでしょ?だから信じる事にしたの。

 この間レオンに信じる努力をするってライアン言ったでしょう?だからレオンを信じる努力の助けになるんじゃないかと思って貴方にも来て貰ったのよ。」いつものクリスティーンとは思えない程、冷静な大人の対応だった。

「そうだな。俺は今自分の問題で手一杯だから、お前の悩みまで考えてやれないんだ。悪いなレオン。

 それに俺は少し淋しかったんだよ。クリスティーンの言うようにお前の事は俺が一番理解してると思っていたから…。」ライアンは真っ直ぐ俺の目を見てこたえた。

「いいんだライアン。この間も言ったようにお前に俺の今の状況を知っていて欲しかっただけだよ。

 それにライアンとジュリアの助けになる事が出来るなら何でもしたいと思ってるんだ。だから遠慮なく言って欲しい。」

「そうよライアン。私だってレオンと同じ気持ちよ。でも貴方やジュリアが言ってくれないと私達何も出来ない。

 確かに貴方はジュリアに酷い事をしたわ。でもずっと張り詰めた貴方を見てるのも心配なのよ。そんなだとジュリアとちゃんと向き合うのだって難しいわ。だから少しは気分が変わればと思ったの。」

「二人ともありがとう。クリスティーンにはマギーの件だけで充分にして貰った。」ライアンは涙目になった。クリスティーンの言うように、ずっと張り詰めていたんだろう。

「あら、何の事かしら?それよりライアン具合はもう良くなったの?」クリスティーンがいつもの調子に戻る。

「あーっもう忘れてたのに…。」ライアンはまたグッタリとソファの背もたれに倒れた。

「クリスティーン!」サムがクリスティーンを嗜める。

「ご自宅までお送りしましょう。」ジョシュがさっと立ち上がる。

「いや、俺が送るから…。」片手を挙げてジョシュを止める。

「ぷっ、くっくく…冗談だよ。最悪の気分はとっくに吹っ飛んだよ。」ライアンは肩を揺らして笑いだした。

 皆もほっとして笑いだす。

 ライアンはいつもこうして場を和ませる。こんな陽気なライアンを久しぶりに見れて心から嬉しかった。

 あの計画を今話そう。

「実は日本に行こうと思ってるんだ。クリスティーンがサマーのいた神社を見つけてくれただろう。そこに行けばサマーと会えると思うんだ。」

「お前って奴は!いい加減にしろよ!お前がそんな場所を彷徨いたら、どんな事態になるか分からないのか?仮にサマーがお前を見つけても近寄れないと思わないか?」またライアンにこっ酷く怒られて気落ちした。

「そうよレオン。今探偵が探してくれてるんだから、その報告を待ってからでも遅くないと思うわよ。」

「差し出がましいですが、レオンは自身の事に無頓着過ぎます。今はライアンさんとお嬢様の言う通りにされた方が賢明です。お気持ちは察しますがね」

「長年有名人の幼なじみをして来た僕から見ても、その計画は無謀としか言えないよ。」

 クリスティーンとジョシュ、サムにまで嗜められては計画は諦めるしかない。

「俺って本当に馬鹿なんだな…。」

「そう落ち込むなよ。またいつ瞬間移動だか夢だか分からんが、サマーの所に行ってもいいようにお前の携帯番号でも書いた紙を持ってたらどうだ?」ライアンの一言で少し元気が出た。

「そうかその手があったな」

「大丈夫よ。探偵がきっと見つけ出してくれるわ。直ぐにいい報告がきそうな予感がするの。」

 クリスティーンの予感が当りますように、そんな藁をも掴む気持ちだった。





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