第30話 実在するもの
今朝早くに警察署に行き被害届けを出した。
いろいろ事細かく状況を聞かれ、自分が被害者なのか加害者なのか混乱するほど疲労困憊した。
麻美がいてくれて良かった。一人だったら途中で逃げ出していたかも知れない。
警察署を出て外に出ると、大きく深呼吸した。
「夏、今日のマッサージはキャンセルしたんだけど、杏さんの店には寄って欲しいの。どうしても見て欲しいものがあるんだ。時間は取らせないから」
「少しならいいよ。」
本当は断わって、早く家に帰りたかった。
サングラスとマスクで顔は隠れているけど、誰にも見られたくない。
けれど麻美の言い方があまりに深刻そうで断われなかった。
麻美は南京町に一番近いパーキングに車を止めて、自分もサングラスをかけた。
平日の昼間でも南京町は行き交う人が多い。
麻美もサングラスをかけてくれた事で、通りすがりの人に見られるのも嫌だと思う気持ちが薄らいだ。麻美のさり気ない気遣いに感謝した。
「こんにちは。」
「麻美さん。夏さん。来てくれると思ってたわ。
夏さん。新しいアロマオイルを作っておいたの。イランイランにローズオットーをブレンドしたオイルよ。鎮静効果があるわ。」
「ありがとうございます。前に頂いたのダメにしてしまってごめんなさい。」
「貴女が謝ることなんてないわ。試したら感想を聞かせてちょうだい。ハーブティーを淹れるから二人ともゆっくりして行ってね。」
杏さんは優しく微笑んでハーブティーを淹れに奥に入って行った。
事件の事には一切触れず気にかけてくれた。麻美が通い詰めるのも分かる気がする。
「夏、こっちに来て。」
麻美が陶器類が並んでいる棚の方へ手招きする。
「杏さんって本当に優しい人だね。」
麻美の横に並んで、陶器に触れながら言った。
「これ、見て欲しいの。」
「私に見せたいって言ってた物?」
麻美からフォトフレームを受け取った。
小高い丘の頂上に大きな豪邸が写っている。どこの景色だろう。海外にはよくある景色だけど…。豪邸のもう少し左下。丘の中腹辺り。これは⁉︎まさか⁈
麻美の顔を見る。麻美はゆっくり頷いて無言で私に確認をとった。
ここなんだね。
私も無言で頷いた。
このテラス。柵の所々に嵌められた8角形のタイル。そしてシルクツリー。ライアンのお気に入りの場所。間違いない。
「二人ともお茶が入ったわよ。召し上がれ。」
二人同時に振り返る。
「杏さん。この写真は?」
「あら、二人とも気に入った?」
杏さんはにっこりしながら写真に写る丘の頂上の豪邸を指差し答えた。
「母の家なの。」
杏さんが淹れてくれたハーブティーをいただきながら、詳しく話しを聞いた。
もう見つける術はないと諦めようとしていた。
その度ぎゅっと胸が締め付けられる程に苦しかった。
昨日ライアンが助けに来てくれた時に感じた。
どうして私の元に現れる事が出来るのか、ライアンにも分かっていないのだと。
けれど今、全ての答えはここにある。
「夏、LAに行こう。」
杏さんはLAに行くなら、お母様の家に泊まればいい、きっと力になってくれるからと言ってくれた。
私は遠慮したが麻美は二つ返事で杏さんの申し出を受けた。
「だけど、驚いたね。杏さんって凄いセレブだったんだ。仕草とか気品があるとは思ってたけど、麻美知ってたの?」
「全然。知らなかった。夏、パスポートの期限大丈夫?」
「大丈夫。でも私一人でも平気よ。会社だって二人も休めない。」
「心配しなくてもいいよ。私に考えがあるから任せて。それに最後まで見届けたいの。」
麻美は淡々と答えた。きっと言葉通り策があるんだろう。
麻美は私を家まで送り、今夜また来ると言って会社に行った。
昨日深夜まで頑張ったお陰で、今日は早めに撮影を切り上げる事が出来た。
俺はクリスティーンとジョシュとサム、そしてライアンを家に招いた。
クリスティーンの提案で、寿司バーに寄って寿司と日本酒をテイクアウトした。
「珍しいじゃないか、お前が他人を家に呼ぶなんて。最近クリスティーン達とも仲良しだし、お前変わったな。ていうか様子が変だぞ。」
「ライアンったら、レオンは貴方だけのものじゃないのよ。それに私達は秘密結社なのよ。」
フッフフとクリスティーンが含み笑いをする。
「なんだよ、それ?俺に内緒で何企んでるんだよ。」ライアンはイラついた。
「クリスティーンの言う事は、あまり気にしないで。日本のアニメオタクなんだよ。」サムがホローする。
「実はその秘密の事で来て貰ったんだ。」と一言言ったとたん、
「えーっ何か進展あったの?」
「また行っちゃったとか?」
「何か手がかりに気づいたんですか?」
「何なんだよ。さっきから。」
と一斉に反応が返ってきた。
「ライアン、今大変な時に悪いと思ってるんだ。でもお前にも知ってて欲しい…。」と前置きをして、ライアンにも分かるように最初から話した。そして、昨夜の出来事を伝えた。
「すご〜い。ロマンティック。レオン貴方サマーのヒーローじゃない。」クリスティーンは両手を握り締めてうっとりしている。
サムは腕時計をチラリと見て、ちょっと失礼するよと言って電話をかけに行った。
「レオン。手は大丈夫ですか?でもびっくりです。」とジョシュは感動したように目を輝かせた。
ライアンは一人無言だった。呆気に取られてるみたいだ。
電話をかけに行ったサムは直ぐに戻り、電話の内容を話しだした。
「日本にいる物理学者の仲間に電話したんだ。昨日の夕方頃に台風が神戸を直撃したらしい。大きな雷が落ちて、神戸の中心地で三ノ宮という場所一帯が停電したらしよ。参ったなあ。本当だったなんて…。」
「いやだサムったら、信じてなかったの?」これだから頭の固い物理学者は、とでも言わんばかりにクリスティーンが横目でサムを見る。
「にわかには無理だよ。でも、今は信じてるよ。きっとサマーが勤めているオフィスは三ノ宮にあるんだよ。」とサムは俺に頷いた。
クリスティーンはiPhoneを取り出し、また調べ始めた。
「あった!北野町と三ノ宮は直ぐ近くよ。歩いて行ける距離ね。」
クリスティーンは俺にiPhoneを見せた。
「とにかく真っ暗で、外を見る余裕もなかったよ。」
「一昨日貴方の家を出てから、直ぐに父がよく使っている興信所に依頼したわ。大至急だって言ったら、日本の知り合いの興信所に依頼してくれるって言ってた。直ぐに会いに行けるわよ。」クリスティーンの励ましが嬉しかった。
「おい、待てよ。三人共こんな話し信じてるのか?夢に見た女が実在するなんてあり得ないだろう?」
ずっと無言だったライアンが、やっと口を開いた。当たり前の反応だと思った。
「ライアン。夢じゃないわよ。二人には現実なのよ。」
「クリスティーンはともかく、サムは物理学者だろう。こんな話し信じていいのか?」
「ライアンが信じられないのは理解できるよ。でもレオンが嘘をついていると思えないんだ。
ライアンは二度目と三度目にレオンが、サマーの元へ行ったとする直後にレオンと居合わせた。そしてレオンの異変に気づいたのはライアン、君だろ?夢なのか現実なのかハッキリさせるには、サマーを探し出す事だよ。」
サムには説得力があった。
「ストレスとかで夢遊病にでもなったんじゃないか?」
だがライアンはなおも食い下がる。
「じゃあ、サマーに渡したジャケットはどうなの?控え室から出てないし、見つかってないんでしょう?」クリスティーンが応戦した。
「ひょっこり何処からか出てくるさ。」
「天気や停電はどう説明する?」
「…。わかったよ。もう勘弁してくれ。」
ライアンは両手を挙げた。
「いいんだ。ライアン。信じられなくて当然なんだ。当事者の俺でさえ戸惑ってるんだから。でも昨日みたいな事もあったから、お前にも知っていてほしかったんだ。」
「レオン、俺はお前の為になる事なら何でもしてきた。それはこれからも変わらない。今の俺は問題を抱えてて力になれないけど、信じる努力をしてみる。それでいいか?」
「ありがとうライアン。十分だよ。」
四人がかりで説得され、まさかなあ?なんて危うく信じかけた。しかし、サムとジョシュまで信じてるなんて…。
けれど、確かに最近のレオンの様子はおかしい。
それに以前は境界線があって、人を寄せ付けないところがあった。
長年付き合っている俺にさえ、距離を置く時があったのに、近頃は別人のようだ。
マギーと俺が付き合い出した時もそうだ。アイツは忠告なんてする奴じゃなかった。ジュリアの病院に来た時もそうだ。思い返せばレオンの変化が見えてくる。
夢だか現実だか知らないが、確かにレオンの異変を目の当たりにしたのは俺だけだ。
裸足で歩き回った様な汚れ。
昨夜のトランス状態。なくなったジャケット。
手の傷。傷などない唇の血。確かに…。
京都に留学経験があるジュリアなら、俺よりはマシな話しができるかも知れないが…。
だが今はそんな話しなどできる状態じゃない。なにしろ同じ家にいてもジュリアは顔すら合わせようとしないのだから。
レオンの夢物語など考えるのはよそう。今はジュリアとの修復が第一だ。
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