第10話 発病

 いつの間にか眠ってしまったらしい。サマーが忽然と消えてしまってから、しばらくの間呆然とするしかなかったが、気持ちを切り替えようとシャワーを浴び、新しいウオッカを淹れてソファに座ると、また何が起きたのか考え込んでしまった。そのうちに意識をなくしたんだろう。

 まだ頭がぼんやりしているが、いつもの様にコーヒーを飲む気にはなれなかった。まだショック状態から立ち直れていないと認めざるえない。

 携帯の呼び出し音がして現実に戻る。

「悪いライアン、寝坊した。」

「珍しいなお前が寝坊なんて、いつもは時間ぴったりなのに。具合でも悪いのか?」

「いや大丈夫だ。20分で行く。」

「焦らなくていいさ。ラッキーなことにクリスティーン女王様もまだきてない。こっちはいつもの事だがな。」

「そうか、じゃあ後で。電話くれてありがとう。」

 電話を切ると眠気覚ましに仕方なく水をペットボトルのまま飲んだ。

 次の映画の共演者との会食が12:00からだったが、もう30分も過ぎてしまった。今から急げば打ち合わせには間に合うだろう。

 服を着替え車に飛び乗る。髪は洗いっぱなしでクシャクシャだが、いつもそんな事は気にしない。

 途中で渋滞につかまったがなんとか打ち合わせには間に合った。共演者達に遅刻を詫び席に着く。クリスティーンはまだ来ていなかった。ライアンの言う通りいつもの事で誰も気にはしない。むしろ居ないほうが話が進むからだ。クリスティーンは幼い頃から名子役で有名になり、成長してからも美人女優としてチヤホヤされているので、我が儘女優としても有名になった。そんな事は珍しい事ではないが、彼女の場合は自分の価値が理解できていて、いかにして自分を光らせるかを心得ていた。どんなに汚れた役でも完璧にこなす。まさに天性の才能の持ち主と言える。今回2度目の共演になるが心地よい緊張感がある。

 しかし、クリスティーンといいサマーといい、女の気まぐれと言うのか、勝手に現れて勝手に居なくなる。一言断りがあってもいいだろう。しかもあんな非現実的なやり方で。そうだ現実にあり得ないんだ。またサマーが消えた時の光景を思い出して背中がゾクリとする。

「レオン、レオン、おい」ライアンにぐっと肩を掴まれた。

「ああライアン、どうした?」

「どうしたじゃないだろう。さっきから何度も呼んでるのに、まるで上の空じゃないか。」

「悪い。考え事してた。」

「お前本当に大丈夫か。顔色も悪いし。何か悩みがあるなら話せよ。」

 今朝起きた現象を話せと言うのか。人が消えるのを目の当たりにした自分にさえ未だに理解不能なのに、その場に居合わせなかった人間に何が分かるというんだ。誰にも信じてもらえるはずがない。アホ扱いされるのがおちだ。

「ライアン心配かけてすまない。たいした事じゃないんだ。最近寝不足が続いたせいだよ」

「レオン、やっぱり熱でもあるんじゃないか。今日はもう帰って休め。撮影が始まってから倒れでもしたら、皆んなに迷惑がかかる。」

「わかったよライアン。悪いけどそうさせてもらうよ。」そう告げるとそそくさと席をたった。ライアンの言う事がもっともな気がした。失敗をやらかして職員室に呼ばれた子供が先生から解放されたような気分だ。

 どうしてもサマーの事が頭から離れなくて、他の事に集中できずにいる。何かにこんなに気持ちや思考が占領されてしまうことなど今までになかった。いつだってオンオフの切り替えができるタイプの人間だと思っていたのに。

 打ち合わせをしていた部屋をでてすぐクリスティーンと鉢合わせした。

「あらレオン調子はどう?ってあまり良くはなさそうね。熱があるんじゃない。」

「えっ、そう見える?」

「ええ、顔色がわるいわ。早く帰った方がいい。私の運転手に送らせるわ。」

「いや、慣れた道だから大丈夫。気遣いありがとうクリスティーン。」

「遠慮しなくていいのよ。どうせ私を待ってる間は暇なんだから、それに貴方は私と同じくらいこの世界に貴重な人よ。さあ、いらっしゃい。」といいながらクリスティーンは俺の手首を掴んでぐいぐいと自分の車まで引っ張っていった。

 クリスティーンの言葉に驚いていた。

 自分がクリスティーンを評価していたのと同じように、クリスティーンも俺のことを評価してくれていたのが妙に嬉しかった。まさか我が儘女優のクリスティーンに優しくされるなんて思いもしなかったから。それにクリスティーンにまで体調を心配されて初めて自分は具合が悪いと気付いた。俺は無抵抗のまま車に押し込まれ帰宅の途についた。

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