第6話 現実は…

 トイレ、いや居心地の良いパウダールームから、またペタペタと音を立てて最初に寝かされていたソファに戻る。戻る時に部屋をもう一度見渡したが、本当に広いリビングルーム。きっと私の6畳間の部屋が4つは入るわ。

 私がそっとソファに腰を降ろすと彼が「どう、少しは落ち着いた?状況が整理できたならいいんだけど」と微笑む。私の考えなんてお見通しみたい。


「ええ頭の中を整理したつもりよ。そこで質問をしたいのだけど、いいかしら?」

「ああ、僕に答えられる事なら何でもどうぞ」

「じゃあ、名前を教えてくれないかしら?私は名乗ったんだし、あなたの名前も教えて貰えると話しやすいわ。」

「失礼をしたね。ライアン・ブライド。ライアンでいいよ。」何故か嘘をついた。すぐにバレてしまうのに。サマーだって本当の事を言っているとは限らないんだから、お互い様じゃないか。

「ありがとう、ライアン。ところでこの家には、貴方の他に誰かいないのかしら?例えば家族とか。」

「こんなパジャマ姿の女が、突然家にいたりしたら家族の人が驚くんじやないかしら。貴方が誤解されたら申し訳ないもの」と早口で付け加えた。

 彼は大笑いして答えた。

「僕が一番驚いているよ。妻が上の部屋で眠ってるけど、彼女なら心配ない。話せば理解してくれる。」本当に妻と呼べる女がいればだけど…。今は家族がいると言った方が、サマーが安心するんじゃないかと思い、またつまらない嘘をひとつついた。

「そう、それならいいのだけれど…。」

 既婚者なんだ。なんだかガッカリするなんて変よね。今は奥様がいるって事に少しは安心しなくちゃいけないのに。

「最後の記憶を辿ってみたの。」

 とパウダールームで思い出した最後の記憶を話した。

「サマー、きみはまだ熱がある様だったけど、薬をのんだ方がよくないか?市販薬でよければあると思うが」

「いいの。薬なら昨日買った薬を持ってるわ。熱に浮かされてると変な行動をとるものよね。なんで薬をパジャマのポケットにいれたりしたのかしらね」と照れ隠しに薬の袋を振りながら苦笑いしてごまかす。


「なあ、サマー。まだ自分は日本にいると言い張っているが、これを見てくれないか?」と彼はリモコンのスイッチをおした。

 白い壁の一部がすっと開ていく。まさか隠し部屋⁈一瞬呼吸を忘れ壁が開いていくのを見ていた。だが現れたのは教室の黒板のようなテレビだった。ポップコーンでも食べながら映画鑑賞でもしようと言うつもりかしら。

「無駄にデカいテレビだろ」と笑いながら、またリモコンのボタンを押すと、テレビ画面に外国人キャスターが何やら話す映像が映し出される。

「さあ、このリモコンで好きなチャンネルにあわせて、君の馴染みのある日本の番組があるか確かめてみるといい。」と私の手にテレビのリモコンを握らせる。その言葉遣いや手のしぐさからライアンの気遣いみたいなものが感じられて、何故だか心が痛んだ。

 確かに今は海外の番組らしき映像が映っているが、他のチャンネルはわからない。けれど、チャンネルを変えるまでもないような気がした。絶望の淵に立たされた気分だった。でも、ほんのささやかな望みから震える手が違うチャンネルボタンを恐る恐る押してみる。コメディドラマだった。俳優は当たり前のように外国人ばかり。お約束の様に番組が仕込んだ笑い声。

 ワハハハ、ワハハハ、ワハハハ。

 私が笑われている気分だった。

 次々と素早くチャンネルボタンを押した。

 せめて出演者の中にひとりでも日本人がいれば、今の惨めな気持ちから救われる様な気がした。

 けれど、どの番組の片隅にさえ日本人はいなかった。でも指は止まらず、忙しなくボタンを押し続ける。目は瞬きすら出来ず、渇いた瞳にうるおいを補給するかのように下瞼に涙が溢れ視界がぼやけていく。右手の親指しか動かしていないのに、全力疾走した後の様に胸が圧迫され、ハァハァと息があがり肩が上下する。それでもボタンを押す指が止まらなかった。

「もう、止めるんだサマー。もう十分だろう。」サマーの耳には届いていない様だ。

 彼女は必死にボタンを押し続ける。そんな彼女が哀れで胸がいたんだ。俺のせいだ。サマーをこんなにも取り乱しもがかせたのは、俺が自分の保身の事だけを考えて、いきなり現実を突きつけたせいだ。もっと他にやり方があったんじゃないのか?

「もう、止めるんだサマー。」思わずサマーを抱きしめた。サマーの華奢な体が砕けてしまいそうなほど強く抱きしめ、サマーの身に今起きている全ての出来事を受け止めてやりたい。ただそう思った。


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