雨が降る日

吉野 桜

第1話

 真っ赤な空の端に翳りが見え始め、僕は再認識させられた。

  僕の不幸体質は今も健在だと。


  小学校に入学する前日、僕は骨折をして、五月に一人きりの入学式を行った。

  中学校での入学式の最中、急な腹痛で救急車を呼ばれた。ただの食中毒で済んだのは良かったが、結構な騒ぎになってしまった。おかげで入学後の皆の視線に、哀れみが込められていた気がする。

  しかし高校に入学してからは、僕に不幸は訪れなかった。その代わり、親族が三人も立て続けに病に倒れた。

  今のはほんの一部で、小さな不幸には連日襲われている。

  要するに、僕は超がつくほどの不幸体質なのだ。

  しかし僕はあろうことに「幸助」という名前だ。

  名前に込められた意味は、”幸せになってその幸せで他人を助けてほしい”というものだ。

  幸せになるどころか、他人までも不幸にしてしまう僕は……。

  そんな僕に最近、幸せが訪れた。

  なんとなんとなんと、……彼女ができたのだ!

  しかもそれは、高校入学時に一目惚れをした相手だった。

  僕はもともと、一目惚れの相手――菜々ちゃんに、告白する気なんて毛頭なかった。告白したところで、不幸体質な僕が、いい返事をもらえる訳がないからだ。

  しかし、不幸なことに、悪友の太一も菜々ちゃんに一目惚れしたのだ。

  なぜ不幸かって?

  菜々ちゃんが奪われるのが嫌というわけではない。むしろ菜々ちゃんには幸せになって欲しいくらいだ。悪いのは太一――もとい、エロメガネだ。

  奴は一人暮らしという、男子にとって楽園のような境遇にいる。そのため、エロ本をベッドの下に隠すことなく、堂々と家に置いている。……その数八〇〇(推定)。

  菜々ちゃんがそんな奴の毒牙にかかったら……と、想像するだけで鼻血が滝のように流れ……、じゃなくて、悪寒がする。

  僕は菜々ちゃんを、そんな毒牙から救うべく、告白したのだ。

  すると意外なことにあっさりとOKをもらえた。

  きっと神様も、ようやく名前の意味を理解してくれたのだろう。


  そして今日は、記念すべき初デートの日である。

  駅前に待ち合わせをして、映画を見て、買い物をした。

  こんなの普通の人にとっては当たり前かもしれないが、僕にとってはこの上ない幸せだ。

  しかし、やはり僕には不幸という言葉がお似合いらしい。

  帰路につこうとしたとき、雨が降り出したのだ。

  そして今、雨宿りを始めて、十分が経っていた。空と同調せんとばかりに、僕の心は曇っていた。


  僕はさすがにこの状況に耐えかねて、口を開いた。

 「やっぱり菜々ちゃんだけ傘を使えばいいよ。僕は濡れても平気だから」

  実は、こんなこともあろうかと、僕は折りたたみ傘を持ってきていた。

  だが生憎、その傘は、一人がギリギリ入ることができるサイズだ。

 「だ、か、ら何度言わせるの。それじゃ不公平だよ。もっと他の方法とか……あるでしょ」

  菜々ちゃんが少し頬を赤らめた。

  い、いや……まさかとは思うけど……違うよね?

  僕はおずおずと口を開いた。

 「ほ、他の方法って、例えば?」

 「たたた、例えば、ええーっと……、あああ、あいあい傘とか?」

  菜々ちゃんの顔は真っ赤で、声がうわ擦っている。

 「い、いや……、この傘は小さすぎて二人も入れないけど」

  さすがに初デートからそんな体験は恥ずかしすぎるので、ぼくは止めようとしたが、

 「べ、別にこうすればいいでしょ」

  そう言っておもむろに僕の手から傘を奪い取り、体を寄せてきた。

  右肩越しに菜々ちゃんの温もりを感じることができる。

  僕の高まる鼓動が、菜々ちゃんに伝わっていないか心配だ。

 「行くわよ」

  僕と菜々ちゃんは、寄り添いながら歩いていった。

  うつむき加減に歩く菜々ちゃんを、彼女に悟られないよう、僕はまじまじと見つめた。濡れても尚、艶を誇る黒髪。キリリとした目は、どこか寂しそうに空中をさまよっている。それにすっと伸びた鼻筋。

  ……やはり、いつ見ても菜々ちゃんはかわいい。

 「幸助くん、どうかしたの?」

 僕の視線に気付いたのか、恥ずかしそうに声をかけてきた。

 「……ううん、何でもないよ」

  自分でもわかるくらい、声が弾んでいた。

  ここで、ふと気が付いた。

  自分が幸せを手に出来たことに。

  こんな幸せは初めてだ。

  今日の雨は人生史上最高の雨――

『ビチャッ』

 「「あ……」」

  ――……。うん、幸せの代償が水たまりを踏んだくらいならやすいもの――

『ビシャャー!』

 「きゃー!」

  ――…………、車に水をはねられるなんて、よくあることだ。それに、菜々ちゃんに水がかかってないんだからむしろ嬉しいくらいだ。だいたい、このくら――

「ハックション!」

  ――いの不幸なん――

「ハァックション!」

  ――て、いつものこと……だ。

 「だだだ、大丈夫!?」

  ……はあ。

  僕の目からも雨が降ってきた。

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雨が降る日 吉野 桜 @Yoshino_sakura

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