第10話 赤色と白色
「お前たちいい加減にしろ!」
屋敷のエントランスで、髭の執事の荒々しい声が響いた。
「お嬢様は今、生きるか死ぬかの瀬戸際! お前らのような輩に構っている場合ではない! 帰れ!!」
「その瀬戸際だからこそ面会させて頂きたいのです」対称的にライトは、静なか口調で言う。「
ライトは風呂敷包みを抱えていた。闇市で大枚を叩いて購入した絵画である。
「だから、それが仮に事実なのであれば、それを今ここで我々に渡せば済む話ではないか!」
「それは……できません」
これを見つけた時は、コアの気配しか感じなかった。だが屋敷に近づくにつれてペルソナの気配も感じるようになった。炎でジリジリと炙られているような棘のある気配だ。故に今これを不用意に手放すことはできなかった。そればかりか、風呂敷を解くことさえ憚られた。
「話にならん! お前たち、お客様をお見送りしろ!」
エントランスに集まっていた執事やメイドたちがライトとウェイミーを取り囲んだ。そして無理矢理に出口へと押し出そうとした。ライトもウェイミーも必死に抵抗したが、徐々に後退させられてしまった。その間に、髭の執事は急ぎ足で奥へと向かう。
「待って! 待ってください!」さすがにライトも焦った。「せめてここで絵を見てください! 赤いオランウータンの絵です!」
髭の執事が足を止めた。それを見て、ライトは抵抗しながらも風呂敷を解こうとした。
「熱っ!?」
突然、風呂敷が燃え上がった。あまりに突然のことだったので、ライトは驚いてそれを手離し、大理石の床に落とした。間もなく執事やメイドたちが一斉にライトたちから離れる。
風呂敷は瞬く間に燃え付きた。絵画が現れると画面から二つの火の玉が飛び出した。一つは白。ウェイミーに向かって飛んできた。そしてもう一つは赤。髭の執事の頭上を越えて屋敷の奥へ飛んでいった。
ライトは咄嗟にウェイミーの前に飛び出す。が、火の玉は霞の如くライトの身体をすり抜け、ウェイミーの胸に吸い込まれていった。途端、ウェイミーは糸が切れたかのように気を失った。
「ウェイミー!」
ライトが駆け寄ると、今度は電源が入ったかのように、ウェイミーはパチッと目を覚ました。心なしか、ウェイミーの顔色が良くなっているように思えた。ライトは思わずホッと溜息をついた。
「ライト」ウェイミーはライトの手を握る。「
ライトは首を傾げた。彼女に何が起きたのか。絵画から何が出てきたのか。
「お前たちぃい!!」髭の執事は鬼の形相でライトたちに向かってくる。「件の絵のことをどこで知ったのかはわからんが、この際そんなことはどうでもいい! お嬢様の命を狙った輩として、お前ら二人を嬲り殺してやる!!」
「ちょ、誤解です! 僕たちは――!」
「問答無用! お前たち、今度こそそいつらを捕まえろ!! そして地下の空き部屋に閉じ込めておけ!!」
執事やメイドたちは怒声を上げながらライトたちに襲いかかって来た。ライトもウェイミーも逃げる暇もなく拘束された。ライトたちは抗ったが、担ぎ上げられ成す術なく運ばれて行く。
「執事長!!!」
一人の若い執事が奥から走って来た。余程の慌てぶりで、髭の執事の前で盛大に転んだ。
「どうした!?」答えを聞く間もなく、髭の執事は青褪めた。「ま、まさか――!」
「お嬢様が」若い執事は息を整えつつ言う。「お嬢様が意識を取り戻しました!!」
それを聞くや否や、髭の執事は血相を変えて走っていった。ライトたちを拘束していた執事やメイドたちも、二人を投げ出し髭の執事を追って行ってしまった。
「あ、あの!」若い執事がライトたちに駆け寄った。「あの、白黒さんというのはどちら様のことですか?!」
「白黒さん?」
「私です!!」
ウェイミーが突然名乗りを上げ、ライトはキョトンとした。
「お嬢様がお呼びです! すぐにお越し下さい!!」
顔を合わせた途端、ウェイミーと
危篤状態だったというのが嘘のように、
「あの」ライトは傍らにいる髭の執事に言う。「
ライトはここに来るわずかな時間で、ウェイミーから事情を聞いた。それによって知ったことと白紙になってしまっていたあの絵画との関係を知りたいと思い、髭の執事に尋ねた。
「お嬢様のお母様は、大変教育熱心な方でした」ライトの方を見ずに、髭の執事は坦々と語る。「母子家庭で、さらに貧しかった時期もあったからでしょう。娘の将来を案じ、とても厳しく教育をしておられました。お嬢様にとって、仕事漬けの母親と過ごす貴重な時間で、母親に甘えられないことは大変苦痛だったに違いありませんが、それでも母親の期待に答えようと必死だったと思います」
「絵を書くことも、その一つだったんですか?」
髭の執事は首を横に振った。「お嬢様はほんのわずかな休憩時間を裂いて絵を描いていらっしゃいました。そうすることで寂しさを紛らわせていたのでしょう。私がお仕えするようになった当初は、そのことがとても辛く思えて仕方がありませんでした」
「それじゃあ、あの赤いオランウータンの絵は……」
「あれは、確かお嬢様が十歳くらいの頃に学校の授業で描いたもので、省主催のコンクールで入賞した作品です。そのことにお嬢様は大変喜ばれ、奥様に報告されたのですが、奥様はむしろ激情しておりました。『こんな無駄なことに時間を費やすな』と……。そしてその絵や賞状、さらにはスケッチブックなどを、お嬢様の目の前で燃やしてしまったのです。その時の光景は、私ですら鮮明に覚えておりますから、お嬢様はにとっては、痛烈に心に刻み込まれてしまっていることでしょう。巷では、そのオランウータンが奥様を風刺したものだったという噂もありましが、奥様があそこまで激情された理由は、今や知りようがありません」
ライトは何か言葉を発しようとしたが、止めた。思い浮かんだ言葉はいずれも陳腐で月並みな言葉ばかりだった。
「奥様が亡くなってから、まだ数年しか経っておりません。お嬢様は、我々の前では気丈に振る舞っておられましたが、色々と無理が重なり、今回のようなことになったのだと、私は思っております」
ややあって髭の執事はライトの元を離れ、
髭の執事は
「
「お嬢様」髭の執事は顔を上げず、言う。「今後はこのようなことがないよう、存分に我々を頼ってください。非力ではございますが、皆、心は一つです」
「わかりました。約束します」
ほどなくメイドの一人が感極まって、
ライトとウェイミーはそっと部屋を抜け出た。今なら屋敷中の人間が室内にいるからに、帰るところを見られる心配はないだろうが、念には念を入れ、屋敷を出てから、このイディア界を去ることにした。
廊下の途中で、ウェイミーは足を止めた。「これ……」
「ん? どうかした?」
「ううん、何でもない!」少し先に進んでいたライトに声をかけられ、急いでウェイミーはライトの横に並んだ。
ウェイミーが見ていた壁には、額に収まった一枚の絵が飾られていた。幼い子どもが描いたであろう、大人と子どもが笑顔で手を繋いでいる絵だ。最初に見た時はこれが白紙だったことを、ウェイミーはここを去る直前に思い出した。
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