第9話 畏怖と寵愛
白黒は片手に剣を、反対の手に
場所はスラム街。家というにはあまりにも粗末な建物が立ち並び、鮮やかさのかけらもない色に満ちている。この世界独特のファンシーな雰囲気を残してはいるものの、その空気は殺伐としていた。加えて、迫り来る恐ろしい気配がそれを際立たせた。
しばらくして白黒と
「あれが出口ね!」
白黒は
力任せに開けようとしたが、もちろん駄目だった。ならば剣でドアを斬ってしまおうかと咄嗟に考え、剣を構えたところで思い止まる。そんなことをして出口そのものを破壊してしまったら取り返しがつかないと、思い至った。
刹那、二人は地響きを感じた。恐怖と脅威を孕んだ地響きだ。
「
一時の間を開け、
「なっ、何言っているの?!」と白黒は目を丸くした。「あんな怪物に捕まったら大変なことにーー!!」
「いいからもう放っておいてよ!」
「もういいの。ちょっとだけだったけど、白黒とお喋りできて、私とっても楽しかった。絵にも描けないくらい素敵な時間だった。それがあれば、あいつに捕まって酷いことされても頑張れる。だから白黒、私のことはもういいから、早く元の世界に帰って。白黒が私なんかのために、わざわざ危ないことする必要ないよ」
「けどさっき『私もここから出る!』って、急に言い出したじゃない! あれは何だったの?!」
「それも……もういいの。だって、多分もう間に合わないから……」
「間に合わない? だからそれってどういうーー!」
ドーン! という轟音が白黒の言葉を遮った。
振り返ると、数十m離れた場所にあった家らしきものが宙を舞っていた。そしてそれが元々あったであろうその場所に、
「白黒、早く逃げてっ! あなただけでも助かって!」
ややあって白黒は立ち上がった。そして迷うことなく、
「白黒!? 待って! 何で!?」
「そんなの、決まってるじゃない」白黒は振り返らずに言う。「
白黒は剣を握る手に力を込めると、跳ぶような勢いで地面を蹴って走り出した。
緋猩猩は臨戦体勢に入る。名一杯息をす吸い込んで、大きく胸を膨らませると、白黒との距離が詰まってきた頃合いを見計らって真っ赤な
火炎放射機のように放たれた炎を、白黒は反射的にサイドへ跳んで回避した。そのタイミングはかなりギリギリで、白黒の艶やかな髪の先端が炎の熱に焦がされた。それでも彼女は一切心を取り乱さすことなく走り続ける。
緋猩猩は攻撃方法を変えた。放射し続ける炎ではなく、球状の炎を立て続けにいくつも発射させた。
無数の火の球が迫り来ても、白黒の足は止まらない。寧ろさらに速度を上げて敵に迫った。火の球は、時に軽快に避け、時に光の剣で
緋猩猩は咄嗟に平手を上げたが、そんな姑息な攻撃は今の白黒には通用しない。白黒は大きく跳躍してその攻撃を避けると、渾身の力を込めて剣を振り下ろした。
「ヒギャァアアー!!」
肩から胸にかけてを深く切り裂かれた緋猩猩は、断末魔のような悲鳴をあげながら背後に倒れた。緋猩猩が激しくのたうち回るため、周囲に地鳴りが響き、ポツポツと血が散った。
地鳴りのせいで白黒は尻餅をついて倒れた。だが剣を杖にしてすぐに立ち上がった。上手く体勢を整えることに成功すると、剣を構える。今や彼女の目からは、生き物を危めることを躊躇する様子は感じられなかった。
緋猩猩の動きに激しさがなくなりだした。大分体力を消耗したと判断し、白黒は緋猩猩にトドメを刺すべく、足を踏みだそうとした。
「止めてっ! もう止めてぇー!!」
振り返ると
「
「お願い! それ以上ママを傷付けないで!!」
「?!」
唖然とした白黒の横を通り過ぎ、
「待ってて、今手当てするから!」
緋猩猩の背は小さな血溜まりに浸かり、もはやグッタリとしていた。それでも
「ママ、聞いて。私、ママのこと、世界で一番大好きよ。私みたいな駄目な子のために一生懸命働いて、育ててくれてるんだもん。でも、お酒を飲んで酔っ払ってるママと、私のことを殴ったり蹴ったりするママのことは、世界で一番大嫌いっ……!」
「私が、駄目な子だって言うのはわかってるっ! でもっ、だからっ、だから何でもいいからっ、一度くらいぃママに褒めてもらいたかったの……。『凄いね』って、言ってもらいたかったのぉお!」
白黒は
「私ぃ、絵ぇ描くのはちょっとだけ得意だから……もう少し頑張ったら賞とか、そういうの、もらえると思ったのぉ……。そしたら、ホントにもらえたからぁ。これでママに褒めてもらえるって、思ってたのに、なのにぃ……!」
ふと、緋猩猩の手が動いた。白黒は警戒したが、すぐにそれを解いた。緋猩猩の大きな手は
「ママ……」
緋猩猩は一切声を発してはいなかった。だが
カシャン! という小さな音が聞こえたのはその直後だった。白黒が振り返った視線の先にあるのは一枚のドアだけだ。
「えっ!? でもそれじゃあママが……!」
白黒は視線を
「……うん、わかった。ありがとう、ママ」
緋猩猩の手が静かに引かれ、地面に着いた。間もなく
「白黒、やっぱり私、白黒と一緒に行く」
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