第10話 晴天と暗雲(了)

 降り頻るガラス雨の中を、レイは防護服なしに走ってきた。


「レイさん!? どうしてここに?!」


 ライトは声を張ったが、レイの耳にはまったく届いていなかった。ライトの前をあっという間に通り過ぎ、ペルソナの方へ駆けていく。


 ライトはレイを追いかけようとした。だが立とうとしただけで足元がフラついてしまった。


 ライト!


 響き渡る雨音の中であっても、その声だけはハッキリとライトの耳に届いた。ライトは顔を上げる。


 傘の先端部にウェイミーの姿があった。ライトは這いつくばりながらもウェイミーの元へと急いだ。その速度はカタツムリ並だったが、鉄傘を差し駆けてくるウェイミーに一刻も早く会いたくて、死に物狂いで進み、ようやっと出会えた。


「遅くなってゴメン! 今【治癒】するから!」


 ウェイミーはライトの胸に、甲冑の上から両手を当てた。途端、ウェイミーの手に深紅の光が宿った。それはライトの身体に素早く行き渡ると、疲労困憊していたライトの顔の血色がみるみる良くなった。


「ありがとう、ウェイミー」


 ウェイミーは微笑みを返した。


「どうやってここまで来れたの?」


「私にもよくわからないの」とウェイミーは俯く。「この塔の小さな部屋に閉じ込められたんだけど、突然ドアが開いて、気になって廊下を覗いたらレイさんの分身が倒れてて……」


 ライトは表情を険しくし、周囲を注意深く見渡す。だがやはり、その姿を確認することはできなかった。


 ウェイミーが何も言わないということは、彼らは上手く隠れているか、近くにはもう居ないのだろう。疑問は残るが、気を取り直して任務に集中しなければならない。


 ライトはウェイミーを熊の人形の姿に変えると、勇んで駆け出した。


 やはりレイはペルソナの元にいた。ヘリコプターとの間に入り、手を広げてペルソナを擁護する姿勢を取っている。


 ヘリコプターはさすがに発砲を止め、ただただ滞空していた。ペルソナも現状に混乱しているのか、随分と大人しくなっている。頭上にあった董色の雲も消えていた。


『……何なんだよ……何なんだよ、あんたは?!』


 ハジメの怒鳴り声に、ライトは思わず眉をしかめた。より一層足を速める。


『他人はおろか家族のことさえも蔑ろにしたくせに、どうしてそんな怪物のことは守ろうとするんだ! 俺が大好きだった姉さんは、出来損ないの母親よりも優しくを育ててくれたじゃないか!! 何でそんな風になっちゃったんだよ!?』


 レイが深く溜息をついた。『私、あなたとあのろくでもない母親養うためって言って家を出たけど、あれは嘘だったの』


『嘘?! じゃあ何のために!?』


『好きな人が、いたの』


 ハジメの息を呑む音が聞こえた。


『娼婦だった私を、当時のあの人は心から愛してくれた。だからあの人が一緒に暮らそうと行ってくれた時、今までの辛い生活から解放されると思って喜んでついて行ったわ。でも、人生そんなに甘いものじゃなかった』


 レイが溜息が再び聞こえた。


『私が都市に来てほどなく、彼の会社は倒産した。そして彼は私に多額の借金を残して蒸発してしまった。私を捨てた彼を酷く恨んだわ。あと一月もすれば、子どもも生まれるはずだったから、余計にね』


 ライトは胸が苦しくなった。


『私は闇医者に子どもを堕ろさせて、売ったわ。そしてその金を借金の頭金と近々の生活費にしたの。その後は血ヘド吐くほどに働いて、その過程で現れた分身も同じように働かせて、死ぬ気で借金を返済したわ。けど彼への怒りはまだ治まらなかった』


 ライトはレイとペルソナのすぐ近くまでやってきた。だがこれ以上は近づかないようにした。


『この子が現れたのは、ちょうどその頃。発見した時は、まだ抱きかかえられるくぐらいの大きさだったわ。その時に殺してしまえば、多くの人がガラス雨の犠牲に済んだだろうけど、私はそうしなかった。寧ろ利用してやろうと思った。その時には私はもうそれなりの地位にいたけれど、さらに上に行って、何もかも掌握したくなったの。そして廃れていくこの都市を、我が子のように育ててみたくなったの。その後は、あなたも知っての通りだよ』 


『見損なったよ、姉さん……』ハジメは抑揚のなく言う。『私、本気で悔しかった。あんなに優しかった姉さんを、都会のしがらみがここまで変えてしまったんだって、ずーっとそう思ってた。でもこれは全部、姉さんが望んでやってきたことだったんだね』


「ハジメ……」


『さようなら、私の大好きだった姉さん……。ーー全機、撃てー!!』


 ライトたちに弾丸の雨が降り注ぐ。


 ハジメが言葉を言い終える前に、ウェイミーはライトに志創能力ソートを用いた。ライトからの指示がなくとも、ライトがしようとすることを推測できたからだ。


 そしてライトは、一瞬にして無我のゾーンに入った。


 ハジメが言葉を言い切った直後には、ライトはレイの前に立っていた。そのおよそ二秒後、ヘリコプターの一斉射撃が始まる。高速で動く弾だが、ライトにはカタツムリの歩みのように見えた。


 弾は数珠のように連なった状態で、真っ直ぐ向かってくる。ライトは、一番最初に発砲を始めた機関銃の最初の数発の弾に狙いを定める。それらを剣のしのぎ(剣の側面)で、横へと正確に払い飛ばした。払い飛ばされた弾たちは軌道を変え、すべて別の機体から発射された弾たちに命中。それらの軌道を変えさて落下した。


 ライトはそれを繰り返し、向かってくる弾すべての軌道を明後日の方向へと逸らした。その素早い動きは残像を生み、はたから見ればライトが複数人いるように見えた。


 発砲は十数秒で終わった。囲には、ヘリコプターの飛行音とガラス雨の微かな音ばかりが淡々と響き渡った。


「ライト君……あなた一体何者?」


 レイの質問に、ライトは少しだけ息を切らして答える。「に、光を照らす、ただの旅人です」


 格好をつけたつもりのライトだったが、レイにはイマイチ伝わっていない様子だった。咳ばらいをして、ライトの前に出てきた。


「ハジメ、今ならまだ間に合うわ。自主して」


『……姉さんは、これからもそいつと一緒にこの傘都を支配し続けるのか? 多くの人たちの生き方を、独占し続けるつもりなのか……?! 』


「この都市が生きていく方法が他に見つかるまでは、そうするしかないわね。けどこれからはーー」


『もういいよ。どのみち、あの頃にはもう、戻れないんだからーー!』


 一機のヘリコプターがレイに向かって突っ込んできた。


 ライトはやむなく、ヘリコプターを撃墜させようと剣を構えた。だがその瞬間、ライトよりも早く、ペルソナがヘリコプター向かって勢い良く飛び出していったのだ。


 ライトとレイの声なき声は、爆音によって掻き消された。そして続いてやって来た爆風によって、二人は傘の上から吹き飛ばされた。


 急降下する中、ライトは何とかレイを捕まえた。そして彼女を強く抱きしめ、頭をフル回転させる。


 地面に激突した瞬間、ウェイミーに体の傷を治癒してもらえば、助かる可能性はゼロではない。だが治癒が間に合う保障はどこにもない。そして今でさえ落下の恐怖で冷静さを保てていないのだから、激突する前にショック死してしまう可能性も十二分にあった。


 そしてなによりも、レイは絶対に死なせてはならない。


 どうする。どうする。恐怖と戦いながら、ライトは決死に考えた。


「ライト君、大丈夫ですよ」


 レイの声が胸元から聞こえてきた。その声は、今まで聞いた中でもっとも温かみのある声だった。


 ほどなく、ライトは柔らかい衝撃を受けた。

 

 確認するとそこにはスカイブルーの布が、見渡す限り一面に広がっていた。それは数日前に見学した、新傘布ネオグラスファイバーだった。布はビルとビルの間にピンと張られている。その上を、しばらくの跳ね続けた。


「こんなもの、いつの間に……」


「私は分身にテレパシーのようなものを送れますからね。傘に上がる前に、言っておいたんですよ」


 何てぬかりのない人なんだと、ライトは内心で呟いた。


 跳ねが収まっても、レイは大の字に寝そべって、その場を動かなかった。目からは大粒の涙が、スコールのように流れていた。だがそれでも、彼女はライトにその言葉を伝えた。


「ライト君……本当にありがとう……そして、ごめんなさい……」


 その後ライトとレイは無事救助され、病院に搬送された。レイの素肌には細かいガラス雨が刺さっていたが、大した怪我ではなかった。


 レイは事の経緯と自身の過去を、洗いざらい全て都民に告げた。その上で、この傘都の復興と発展、そして労働条件の見直しを図ることを堂々と宣言した。都民たちは困惑気味だったが、彼女の誠意ある言葉に、大きな拍手を送った。


 それを聞き届けた後、ライトとウェイミーは傘都をこっそりと抜け出た。そして光に溶け込むようにして、この世界を後にした。




「なぁ、あいつらのこと追わなくて良かったのか?」


「今回は様子見だ。いずれまだ会うことになる」


「その時はコソコソ隠れないで、正面から会ってやろうぜ! そんでもって俺はあいつと正々堂々勝負して圧勝してやる!」


「好きにしろ。ーー俺達も帰るぞ」


「報告書頼んだぜー」


「お前の勝手な行動で失敗したと報告しておこう」


「ざけんじゃねー!」


 二人の男たちは闇に沈むようにして、この世界を後にした。



<第二章 了>

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