第6話 裏切と罰則

 傘都滞在二日目の朝を迎えた。木製のブラインドの隙間から差し込む朝日は、本物と見分けがつかなかった。


 ライトはウェイミーを懐に入れ、ホテルの二階にあるレストランにやって来た。開店後まもなく来たのだが、既に多くの宿泊客で賑わっていた。


 ライトは好きなものばかりを好きなだけバイキングし、四人がけのテーブル席に着いた。そして頂きますと呟くと、意気揚々と箸を手に取る。


「ライトさん、おはようございます」


 正面を見ると、分身の姿があった。ライトは即座にネームプレートを一瞥いちべつし、ヨシヨであることを確認した。バイキングの列に並んでいる最中にも、三、四人の分身を見掛けていたからに、少し不安になっていた。


「おはようございます」


「ここ、失礼します」ヨシヨはニコッと笑って、淑やかに、ライトの左側の席に座った。


「昨日はよくおやすみできましたか?」ベーグルを手で千切りながら、ヨシヨは言った。


「はい。とてもいいベッドだったので、ぐっすりと」


「それは何よりです」


「ヨシヨさんも宿泊されていたんですね」


「急に仕事が入ってしまったもので。帰宅するよりもここに泊った方がいいかな、と」ヨシヨはベーグルを口にした。「ついでにここのベーグルも食べたかったので」


「緊急の仕事だったんですか?」ライトはウィンナーを頬張る。


「実は昨夜、商業区のある一区画にある飲食店十数件を一斉摘発したんです。私は

その応援に」


 そうですか、と一言言って、ライトは食事を続けた。その後食事が終わるまで、二人の間にこれといった会話はなされなかった。


 本日のプランは工場見学だった。

 まず代替太陽照明サンライト工場を訪れる。太陽に酷似したのある光を、傘都全体に隈なく届ける電球を作っている場所だ。聖母の庇護our Lady of asylumに設置されている電球の数は一千万個以上にも及ぶそうだ。


 生産はそのほとんどをロボットが行っていた。大量の電球が効率よく、次々と作られていく様子に、ライトは感嘆した。しかしそれは最初だけで、ものの数十分で感動しなくなっていた。


 生産ラインを巡回していく途中、ライトはガラスが詰まった大量のドラム缶を見つけた。それに関する説明はされなかったが、あのガラス雨のガラスに違いないと思った。


 次に傘布かさぬの工場を訪れた。ガラス雨から傘都を保護する、重要な役割を担うパーツを生産している。先月、新傘布ネオグラスファイバーが完成し、明後日以降、その張り替え作業が大々的にあるらしい。


 そのことについてはライトは慮るところがあった。が、開発部の職員に新傘布の凄さを熱弁されたからに、それほど頭が回らなかった。その話で覚えていることは、原材料にガラス雨を再利用しているという、サラっと言った一節のである。


 生産はやはりロボットによるもので、目新しさは皆無だった。


 定食屋でスピーディーに昼食を済ませ、三つ目に、傘都外にあるという雨水発電所のタービン製造工場、四つ目に、自動車の自動運転装置製造工場を訪れた。


 広報担当の職員と面会して早々、ライトは挙手をした。


「すみません、お手洗いをお借りしてもよろしいですか?」


 掲示された案内に従い、ライトはトイレに向かう。精神的にも肉体的にも大分疲労が蓄積しており、一人になったところで大きな溜息をついた。


 まもなくトイレに到着した。ウェイミーをポケットに入れたまま入るのは少々気が引けたが、置き場所もないので仕方なく入る。


 小便器の前に立って間もなく、ライトは人の気配を察する。首だけをそちらに捻った。


 分身だった。アップル・グリーンの作業着と帽子を着用し、物が詰まったバケツを手に持っていた。清掃作業員だとわかる。


「失礼します」


 彼女は素っ気なくそう言って、ライトのすぐ左側にある小便器を掃除し始めた。ライトの現状や視線など、まるで意に介さずに。


 過去にこのような状況になったことが、ライトには無いわけではない。だが今回は別人ないし別個体とは言え、相手はすでに見慣れた顔の女性だ。


 ライトにこれまで感じたことのない羞恥心が芽生えた。早く終わってくれと体に訴えかけるも、小水は止めどなく流れる。


「ライトさんですね」


 分身に話しかけられ、ライトの体が若干震えた。軸がわずかにずれる。


「識別番号972、クナツと申します。そのままで結構ですのでお聞きください」


 ライトは何度も頷いた。


「ハジメさんから伝言を預かっております。『今日中にナビゲーターに「職場体験がしたい」と言え』だそうです」


「職場体験?」


「それと『今夜はルームサービスを頼め。メニューはスペシャルピザだ』とも」


「ルームサービス?」


「伝言は以上です。お取り込み中失礼致しました」


 クナツはライトの後ろを通り、何事もなく、右側の便器の掃除を開始した。


 ライトは、すでに出し終えたことにようやく気付き、ファスナーを閉めて洗面台で手を洗った。その間、何度かクナツを横目で見た。


「あなたは、分身なのにハジメさんの協力者なんですか?」


「分身は分身で、色々と大変なんですよ」


「そんなことして、大丈夫なんですか?」ライトは乾燥機で手を乾かす。「バレたりしたら、他の人よりも大変なことになりませんか?」


「分身はレイ様の直属であることを理由に、都民よりは監視が薄いんですよ」クツナは乾いた笑いを溢す。「第一私のような出来損ないは、監視の目を割くほどの存在でもないので」


 ライトは唇を真一文字に閉じた。


「そろそろ戻られた方がいいですよ。怪しまれます」

 ライトは短く返事をして、そそくさとトイレを出た。去り際、クナツはライトが使用していた便器の清掃に取りかかっていた。


 さらに二軒の工場見学をし、本日のプランは終了した。ライトはぐったりと車のシートにもたれる。


「お疲れ様でした」ヨシヨは涼やかに言う。「あとはホテルに向かうだけですので、よろしければ少しの時間お休みになってください」


 その言葉に唆され、ライトは鉛のように重くなった瞼を閉じる。そのまま閉じ続けてしまえば、夢の世界へと沈んでいくに違いなかった。だが良くも悪くも、そうはならなかった。


 痛烈な叫び声が聞こえたからだ。


「今回だけは見逃してくれ!」


 ハッとして、ライトは信号待ちしていた車から外を見た。


 ビジネスマンと覚しき男が、路上で声を荒げていた。彼の両脇には、臙脂えんじ色の制服をまとう男がおり、腕を押さえ付けられている。そして正面には、同じ制服を来た分身がいた。


「頼む! せめて家族だけでも!!」


 分身はビジネスマンに一枚の紙を見せていたが、間もなくそれを下げ、男二人に顎で指示をした。傍らに停車しているワゴンに乗せるつもりなのだろう。車体にはOLAのロゴが入り、フロントガラス以外の窓は、外から中が見えないよう、黒い板のようなもので塞がれていた。


 途端、ビジネスマンが強く暴れだし、サイドの男たちの腕を力一杯振り解いた。そして分身を跳ね退けて逃亡を試みた。


 そのタイミングで車が動き出す。一瞬、ライトが車の進行に気を取られた間に、乾いた破裂音が耳に届く。慌てて視線を戻す。


 ビジネスマンは路上で倒れていた。ふくらはぎの辺りを押さえている。少し離れたところに立つ分身は、手に拳銃らしきものを握っていた。その銃口は当然、ビジネスマンの脚部に向けられていた。


 ほどなく彼らの姿は見えなくなった。


「あれは条例違反者を連行していたところですね」

 ライトは鸚鵡おうむ返しする。


「おそらくは傘都労働条例、業績達成規則の違反でしょう」


「ノルマを達成できなかった、ということですか?」


「概ねそうですね。そこまで珍しい光景ではありません」


「……」


「そう怖い顔をしないでください」ヨシヨは晴れやかな口調で言う。「連行前には必ず、勧告と猶予がされています。にも関わらず連行してしまったのは、彼の自己責任です」


「あの人はあの後どうなるんです?」


「傘都永久追放の刑に処されます。都民の間では雨ざらしなどと称されています」


「生きていけるんですか?」


「それは我々が関与するところではありません」

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