第9話 再会と決行

「この部屋だよ」


 こじ開けられた形跡のあるドアを、アランは慎重に開けて中に入った。歩を進める度、ウェイミーは血が凍つくような感覚に襲われていたが、それでも意を決して後に続いた。


 室内はサッカーコート大の広さがあった。天井は跳べば届きそうなくらいに低い。そして5mほど先が吹き抜けになっていた。あれだよ、とアランは吹き抜けの下を指差した。ウェイミーは欄干に手を掛けて覗き込む。途端、全身の鳥肌が総立ちした。


 ビル三階ほどの高さから見る底。白の背景の上に無数の細かい黒点がうごめいていた。生理的な不気味さが全面に押し付けらる。吐き気を催した。


「あれってありだよな? 飼ってるのか?」


「よく似てるけど、あれは蟻じゃないよ」


「えっ? じゃあ何なの?」


「ペルソナっていう、この世界を侵蝕しようとするだよ」


「ぺ、ぺるそな? そーぶつ?? 姉ちゃんさっきから意味わかんねぇよ」


「とにかくライトと合流しよう。私たちだけじゃどうしようも――」


 ウェイミーはそれを見て悲鳴を上げ、その場から飛び退いた。


 ペルソナが欄干の上にいた。それは蟻にとてもよく似ていた。しかし蟻と全く異なるのは、その大きさが新生児ほどあることだ。触角や左右に開くあごの動きなどがよくわかってしまった。黒い光沢が恐ろしさを増している。


 ペルソナが飛びかかってきた。ウェイミーは咄嗟に手で払う。グシャ! ともパリッ! ともつかないような音を立てて床にぶつかり、ペルソナは仰向けで痙攣けいれんしていた。


 その気持ち悪さに目を取られている間に、他のペルソナが集まっていた。壁に開いた穴からわさわさと現れて、ウェイミーたちに這い寄ってくる。


 ウェイミーとアランはほぼ同時に部屋から飛び出す。当然ペルソナは後を追ってきた。黒い波のように、ウェイミーたちに迫り来る。


 ウェイミーとアランは廊下を懸命に走った。その間、何人かの兵士たちとすれ違った。果敢に立ち向かう者もいたが、あっという間にペルソナたちに飲み込まれてしまった。ほどなく彼らの叫び声は途絶えた。


 ウェイミーとアランが体力的にも精神的にも危なくなってきた時だった。


『こちらライト! そっちは無事か、アラン!』


 ライトの声が聞こえた。


「あっ! 忘れてた! ライト兄ちゃんからコンパクトミラー借りてたんだった!」


 アランはポケットからコンパクトミラーを取り出した。ウェイミーも鏡面を覗く。


 鏡面にはライトの顔が映し出されていた。ウェイミーの表情が一瞬だけ緩み、すぐ真剣になった。ライトもまた同様だった。


「こちらウェイミー! 何とか全員無事だよ! でも今ペルソナに追いかけられてる!」


 ライトは目を丸くした。『あと三分だけ頑張れる?!』


「三分ね! 頑張る!!」


『ありがとう!』


 鏡面からライトの姿が消え、通常の鏡に戻った。ウェイミーはコンパクトミラーを閉じ、強く手に握った。


「……うーん……」


「エマ!?」


 アランに呼ばれ、ほどなくエマは意識を取り戻した。「アラン……? ――えっ、何で私アランにおんぶされてるの!?」


「ちょっと色々あったんだよ! それよりどこか痛いところとかない?!」


「わ、私は大丈夫!」


 アランは不敵に笑った。「絶対に俺がお前を守るからな!」


「一体何がどうなって――」


 エマは首を後ろに捻り、そして悲鳴を上げた。「あの気持ち悪いの何!? 何で私たち追いかけられてるの!?」


「今説明してる余裕は――」


 アランの足がもつれた。転ぶことはなかったものの、走る速度が確実に落ち始めた。ペルソナたちとの距離はもはや1mほどしかない。


「アラン君!」


「私を下してよアラン! もう大丈夫だから!」


「んなことできるか!」


「でも!」


「俺がお前を守るって言っただろ! だからお前は黙って守られてろ!!」 

 アランの速度が上がった。歯を食いしばり、遮二無二に脚を動かす。そしてウェイミーさえも少し追い抜いた。


 エマはアランの服を強く握った。その目には涙が浮かんでいた。


『ウェイミー!』


 ライトの声がコンパクトミラーから響いた。ウェイミーはそれを開いて、そこにライトの姿がないことを確認する。


「エマちゃん! アラン君にしっかり掴まっててね!」


「えっ、は、はい!」


「アラン君! 手ぇ出して!」


「え!? こ、こう?!」


 ウェイミーはアランの手を掴み、そしてコンパクトミラーの鏡面に触れさせた。途端、三人は鏡の中に吸い込まれた。


 支えを失ったコンパクトミラーは床に落ちた。その衝撃で鏡は粉々に割れ、間もなくペルソナたちがその上を通り過ぎた。


 ウェイミーたち三人は勢いよく飛び出し、そして床に倒れ込んだ。


「ウェイミー!」ライトはウェイミーにいち早く駆け寄ると、そっと手を差し伸べた。「もう大丈夫だよ。怖い思いさせて、ゴメン……」


「ううん、ダイジョブだよ」ウェイミーはその手を取って、ゆっくりと立ち上がった。「私の方こそ、心配かけちゃってゴメンね……」


 二人は互いをじっと見つめ合った。


「今はそんな状況じゃねぇと思うんだが」


 ウェイミーはハッとして声がした方向を見る。そこに居た人物の姿を確認して驚き、同時に顔を赤らめた。「お、王様!」


 アランとエマも驚きの表情で王を見た。王は二人を一瞥しただけで、すぐウェイミーに視線を戻す。


「無事生き延びたか。というか、お前ら知り合いだったのか」


「はい、大切なパートナーです」


 王は苦笑して返した。


 ウェイミーは部屋を見渡した。ウェイミーの胸の高さほどの作業台、そのサイドにあるコンロと流し、天井から下がる棚、そこに収まる大量の銀色の器具――。「この部屋って……」


「見ての通り、厨房だよ。王様のお城のね」


「こんな緊急事態にどうしてここに居るの?」


「こんな時だからこそ、コアの悩みの種が解消できるんだよ」


 ウェイミーは首を傾げた。


「時間が惜しいから始めるぞ」


「はい、お願いします」


 王は作業台の下に備え付けられた冷蔵庫から、卵やバターなどを取り出し、並べ始めた。


「何が始まるの?」


「思い出のスイーツ作りだよ」ライトは我が物顔で言った。「それじゃあ僕も行ってくるよ」


「へ? どこに?」


「もちろんペルソナの処理に」ライトはコンパクトミラーから剣を取り出すと、コンパクトミラーをウェイミーに手渡した。「ウェイミーはここにみんなと居て」


「どうして?! 私も行くよ! の姿になれば邪魔にならないでしょ!?」


「いや、ウェイミーにはここに居てほしいんだ。今扉にはペルソナ除けの札を貼ってるけど、それが破られた時に対応できる人は僕以外に君しかいない。それにウェイミーは僕よりもペルソナの気配も繊細に感じ取れるから、危機回避もし易い」


 ウェイミーはライトの言葉を頭では納得していた。しかし心では納得できていない。


「私、今回何もやってない……」


「そんなことないよ」ライトはウェイミーの絹のような髪を撫でる。「アランとエマをちゃんと守ってくれた。それに王様と先に会ってくれてたお陰で、僕も王様の居場所を特定しやすくなった。だからお願い、ここに残って」


 ウェイミーは俯いた。ふとライトの手が目に入る。若干強めに剣を握っていた。心なしか震えているようにも見えた。


 ウェイミーは両手をライトの胸に重ねて置いた。「それならせめてだけでも、傍にいさせて」


 刹那、ウェイミーの体が淡く輝いた。それはほんの少しの間だったが、ライトの表情は適度に緊張し、瞳に自信が宿っていた。


「効果はちょっと薄いけど、その分長く続くようにしたから」


「ありがとう。それじゃ、行ってくる」


「行ってらっしゃい」


 ライトは軽くウェイミーを抱き締めた後、威風堂々と戦場へと赴く。

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