71 白山神社と石坂供養塔

 『白山神社』と聞くと、「あれ、うちの近くの白山神社のことかな?」と全国の方が思うくらい、全国あちこちにある。調べてみると、全国に2000社以上あるようだ。

 これら全国各地にある白山神社は、岐阜県、石川県、福井県の三県にまたがって聳える『白山』を、霊山信仰の聖地として崇められたことに始まる。


 白山への信仰は、やがて山頂に奥宮が設けられ、修験者のための登山道が開かれる。その奥宮へ登拝する拠点として置かれたのが、全国の白山神社の総本宮である白山比咩神社(シラヤマヒメジンジャ)だ。

 同社のホームページによると、紀元前91年(崇神7年)に創建されたとあるが、文献に登場するのは853年(仁寿3年)に従三位に叙せられたという記録が最初のようだ。

 自然崇拝の対象である山が、山岳修行や修験の霊場へと変わっていくのは平安時代中期(9世紀)と考えると、この頃に創建されたと考えられるのではないだろうか。

 祭神は白山比咩神(菊理媛(きくりひめ)神)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)である。


 私の実家は、江戸の頃から東京都文京区白山にあったが、その『白山』という地名は、地元にある『白山神社』から来ている。都営三田線には『白山』という駅まである。

 この白山神社の歴史も古く948年(天暦2年)に、前述の石川県にある白山比咩神社から勧進を受けて、現在の文京区本郷1丁目界隈に創建されたという。その後江戸時代に二度遷座し、1655年(明暦元年)に現在の地に落ち着いた。

 文京区の白山神社は、1975年(昭和50年)に選定された東京十社の一社で、明治時代には准勅際社・府社に列格されていた。


 表通りから参道を入ると、両側は低層マンションや民家が立ち並ぶ。道が突き当たると、立派な石造りの鳥居が立っており、その先に数段の石段がある。石段を登り切ったところに、石造りの柱が左右に立っており、その上部を結ぶように鋼線が貼られ、中央には鉄製だろうか、『右三つ巴』紋がついている。あたかも巴紋が空中に浮かんでいるようである。この門柱には明治43年11月建立とあるが、私の祖父はこの年に生まれている。私の実家は戦前まではこの近くの東洋大学の正門の前あったということから、祖父はこの境内で遊んだことだろう。

 本殿手前にある手水舎の龍頭は、中々迫力のある立派なものだ。この境内に住み着いているのだろうか、人馴れした野良猫が竜頭の脇から顔をだし、水を飲んでいる様子が、なんともかわいらしい。


 私は現在は多摩地域に住まいがあるが、多摩市にも白山神社がある。小田急・京王多摩センター駅を南に出ると、正面の高台には多摩中央公園がある。その東側の端に多摩の『白山神社』はある。

 ここ多摩の白山神社は、残された棟札から1618年(元和4年)に八王子代官小宮山介為などによって加賀の白山大権現から勧請されたことが分かっている。

 ところが1875年(明治8年)に、境内から出土した十一面観音像を含む神像7体の成立は平安・鎌倉期とされたことから、ここに白山神社が出来る前から祭祀所があり、五穀豊穣、家運隆昌、子孫繁栄が祈願されてきたのだろう。


 ある日多摩市の資料を読んでいると、多摩の白山神社に『石坂供養塔がある』との記述を見つけた。これは観に行かねばと、カメラを片手に飛び出した。

 境内を隅から隅まで歩いてみたが、一向に見つからない。『坂』といえば、下の道から車があがれるように付いている坂だけだが、どこにも供養塔のような石標はない。そのほかには本殿の前に高さ10m位の高低差を上る階段だけである。

 たまたま居合わせた神主さんや氏子さんたちに『石坂供養塔』の事を伺うと、なんと返ってきた言葉は、『そのような供養塔は聞いたことも見たことも無い。』というものだった。それでもあきらめきれず、境内の裏の杉林の中まで分け入り探したが見つからない。

 本殿右手奥に入っていくと、『土公神』があった。細長い卵型で、高さ1m位の天然石に『土公神』と記されている。

 この土公神は、1856年(安政3年)に大風で倒れた天道松を売ったお金に、村人達が出し合った資金を加えて、1858年(安政5年)に建立されたといわれている。

 当初は白山神社の裏山の頂上に安置されていたものが、明治に入って土地が売られてしまったため、倒れた天道松の跡に移築された。さらに昭和50年代の多摩ニュータウン開発により、本殿左側の現在の位置に移されている。

 この『土公神』は、「どこうしん」、或いは「どくしん」と読み、陰陽道における土を掌る神様だ。季節によって遊行するとされていて、

 春はかまど

 夏は門

 秋は井戸

 冬は庭

に宿るとされている。宿っている最中に宿っている場所を工事などしたりすると、土公神の怒りをかい祟りがあるといわれている。


 それにしても、肝心の『石坂供養塔』が見つからない。陽が落ちるとぐんぐん暗くなってきて、日没サスペンド。後ろ髪を引かれる思いで境内を出ると、参道の石段を数段下ったところで何やら呼びかけられたような気がして振り返った。すると、目の高さの位置に小さな石柱が目に入ってきた。本殿に続く石段の最上部に、小さな2本一対の石柱が左右に立っている。まるで石橋の親柱のようである。

 思わず左側の石柱に駆け寄ると、外側には高さ30cm位の石柱が、内側には高さ15cm位の石柱が並んで立っている。大きい方の石柱の内側の面には『石坂建立 落合村』と記され、その右の面には、『宝暦2年 11月吉日』と記されている。小さい方の石柱には内側に名前のようなものが3行記されているが、風化していて読み取れない。

 右側に行ってみると、外側の石柱は高さ20cmと左側のものよりやや小ぶりで、内側の小さい石柱が高さ15cm位のものだ。左と同じく小さい石柱の内側には名前のようなものが3行記されているが判読できない。


 なんと、『石坂供養塔』とはこの石柱の事だったのである。思わず小躍りして、大声を上げたくなった。宝暦2年というと1752年のことであるから、江戸中期に村人たちの寄進によってこの階段が築かれたのだろう。

 本殿の前に行き目を閉じて手を合わせると、江戸の人々の息吹を感じたような気がした。

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