47 こち亀 両津巡査長と浅草 友情はいつも宝物

 浅草寺の起源は、隅田川から聖観世音菩薩が引き上げられとことに始まるとされているが、その菩薩像を川から引き上げた漁師の桧前浜成・竹成兄弟と、その菩薩像を鑑定した土師真中知の三人を神として祀ったのが浅草神社の始まりである。


 明治維新の神仏分離令により浅草寺と袂を分かち、1863年(明治元年)に『三社明神社』と改められ、1873年(明治6年)に『浅草神社』と改名された。

「三社さま」として親しまれているのは、元来三人の神様をお祀りしたことに由来する。 

 浅草寺観音堂の右手を観ると、雑木林で隔てられた向うに浅草神社はある。その浅草寺との境の林の中には、多くの句碑や顕彰碑、塚などがある。その中にまじてって比較的新しい御影石製の『友情の碑』が異彩を放っている。

 近づいてみると、磨き上げられた表面に『友情はいつも宝物』と題が記され、右下にはなんとあの『両津巡査長』が描かれているではないか。さらに左肩には漫画のワンシーンが刻まれている。

 あの『こち亀』は、葛飾区だけが舞台ではなかったのだ。その碑に刻まれた内容は、次の通りとなっている(碑文をそのまま転載させていただいた)。


友情は いつも宝物

1976年に「週刊少年ジャンプ」で連載を開始して以来、多くの人々に愛されてきた

「こちら葛飾区亀有公園前派出所」。

物語の舞台となるここ浅草は、

主人公である両津勘吉を育み、

また多くの感動を生み出してきました。

この碑は、両津勘吉の少年時代の友情を描いた

「浅草物語」にちなみ、人を思いやる気持ちの大切さ、

そして子供たちが夢や遊び心を忘れず

健全に成長してくれるよう願いを込めて建てられました。


平成17年8月6日 建立


「浅草物語」概略

ある日、浅草で一緒に遊んだ同級生が偶然再会。

かつての悪ガキ両津勘吉は警察官に、

かつての優等生は、逃亡犯になっていました。

両津は、子供の頃にここ浅草神社(三社様)の神木、

槐(えんじゅ)の木の下に一緒に埋めた

ベーゴマの話を持ち出して二人の友情を確かめ合いました。

そして、逃亡犯は自首することになったのです。

ジャンプ・コミックス「こちら葛飾区亀有公園前派出所」57巻

「浅草物語の巻」より

「こちら葛飾区亀有公園前派出所」

作者・・・秋本 治

連載開始・・・1976年週刊少年ジャンプ(集英社)


両津勘吉

職業・・・警察官(巡査長)

誕生日・・・3月3日

出身地・・・東京都台東区千束

身長・・・約162cm

体重・・・約71kg

特技・・・自転車乗り


 なんとも素敵な碑文ではないか。亀有駅北口には両津巡査長の像が建っているが、こちらの友情の碑も捨てたものではない。


 浅草神社の境内には様々句碑等があることは冒頭で述べたが、浅草寺境内にも歌碑が一つある。

 それは子供の頃誰でもが口ずさんだ歌・・・『鳩ポッポ』である。アイボリー色の花崗岩をアーチ状の壁に配し、その中央にブロンズ製の歌碑が建てられている。

花崗岩の壁とブロンズ製の歌碑の上には、それぞれ実物大のブロンズ製の鳩が2羽づつとまっている。

 『鳩ポッポ』は、東くめ作詞、作曲は滝廉太郎で、1900年(明治33年)に作られ、1901年(明治34年)7月に刊行された「幼稚園唱歌」に第十二曲として収められている

 この歌碑は、1962年(昭和37年)に建立された。とても綺麗に保存されているので、建立されて来年で50年経つとはとても思えない。

 今では考えられないが、私が子供の頃ここ浅草寺の境内にくると、確か鳩の餌を一袋10円か20円で売っていた記憶がある。


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