46 浅草寺の戦災樹木

 東京浅草にある『浅草寺』は東京都内で最古のお寺さんと言われていて、山号を『金龍山』という。『浅草寺縁起』によると、創建は628年(推古天皇36年)といわれ、本尊は聖観音菩薩であることから、『浅草の観音様』と呼ばれ親しまれている。

 大きな提灯をぶら下げた『雷門』が有名だが、実は正式名称は『風神雷神門』という。門の前に立って見上げると、提灯の上には『金龍山』と記された扁額が掲げられ、右手には風神の像が、左手には雷神の像がにらみを利かせている。中央にぶら下がる大きな提灯は11尺(高さ3.9m、直径3.3m)もあり、重さは700kgもあるという。表面に貼られた因州和紙は、10年に一度貼り替えられるそうだ。提灯の真下に行って見上げると、提灯の下部には見事な龍神が彫られている。火事の多かった江戸の町を守るために、水を司る龍神があしらわれており、浅草寺を守る神の一つである。

 雷門を潜ったら、ぜひ後ろを振り返っていただきたい。裏側にも左右に像が祀られている。右手は金龍像(女性の姿)で左手が天龍像(男性の姿)だ。いずれも水を司る龍神であり、浅草寺を参拝する人々を守るために風神、雷神と対で置かれたという。金龍像も天龍像も龍神が人間の姿に化身した姿を現しており、よく見ると尾が付いている。


 雷門を入ると、本堂に続く参道の両側は日本でもっとも古い商店街だとも言われている仲見世だ。その昔、浅草寺の清掃をしていた近所の人々に営業許可を与えたのが始まりとも言われている。

 関東大震災で瓦礫と化してしまったが、1925年(大正14年)に鉄筋コンクリートで再建されたというから、大正ロマンただよう商店街なのだ。昭和20年3月の東京大空襲で内部は焼失したものの、関係者の方々の努力で見事に復活して現在に至る。昨今は外国人観光客も多く、土日ともなると、朝のラッシュ時の新宿駅のホームのような混雑で、歩くのもままならない。

 仲見世を通り抜けると、正面に宝蔵門が現れる。別名仁王門ともいわれ、両脇には仁王像が祀られている。そして、中央上部にはここにも大きな提灯がぶら下げられているが、そこには『小舟町』と記されている。この提灯は雷門のものより一回り小さく9尺(高さ3.8m、直径2.7m)ある。名前の通り日本橋小舟町の人々の奉納によるものだ。

 仁王門は、942年(天慶5年)に平公雅により創建されたが、その後火災で失われ1649年(慶安2年)に再建された。再建された山門は、入母屋造、本瓦葺の楼門で威容を誇っていたが、1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼失した。

 前回の東京オリンピックの開催された1964年(昭和39年)にホテル・オータニの創業者大谷米太郎氏が寄進して、鉄筋コンクリートで再建された。山門と宝蔵を兼ねていることから、現在では『宝蔵門』と呼ばれるようになった。

 宝蔵門をくぐり抜けると、いよいよ観音堂の前へとたどり着く。観音堂の前にある大きな香炉から立ち上るお線香を、患部にあてると良くなるということから、参拝客の多くが、お線香の煙を身体中に浴びてゆく。

 宝蔵門に戻り東側に目を転じると、大きな銀杏の木が数本立っている。その中でも一番大きな銀杏の木は樹齢800年で、源頼朝公が浅草寺参拝の折、刺した枝から発芽したと伝えられている。戦前は国指定の天然記念物であった。

 幹周りは5mを越すが、木の中心部に洞があり、内部は何やら黒々としている。指先をこすり付けると、何やら黒いものが付いてきた。指先に目を近づけてよく見ると、何やら煤のようである。

 なんとこの煤は、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲の際の焼夷弾により焼け爛れた木の煤なのである。今では、何事もなかったかのように、多くの人々に涼しげな木陰を提供してくれている。

 1945年(昭和20年)3月10日の大空襲では、浅草寺は本殿、五重塔、宝蔵門などが焼夷弾を浴びて消失した。

 さらにこの銀杏の南側、二尊仏の裏手にも大きな銀杏の木がある。こちらの銀杏は、樹齢600年~650年といわれ、幹周りは3mほどあるのだが、やはり近づいてみると、焼けた痕が残っている。

 戦火を浴びた銀杏はこれだけではない。観音堂裏手にある銀杏は、外皮の南側が半分が皮をむいたようにツルツルになっているのである。本来の銀杏の木の幹は、ごつごつした木肌をしているが、ツルツルしている側は、焼夷弾で焼けて炭になった部分が、風化してしまったのだ。

その他、炭化した部分が残っている樹は簡単に見つけることができる。

 観音堂を時計と反対周りでぐるっと回ると、現在の五重塔の脇にも、木の幹の上のほうが、風化した痕の残っている銀杏がある。

 この銀杏は、『水吹き銀杏』と呼ばれていて、観音堂に火が燃え広がったときに、銀杏の木がチューと水を吹き出して観音堂を守ろうとしたという言い伝えが残っている。


 数百年にわたり、江戸の街を、そして行きかう人々の様々な思いを見てきた銀杏は、何を語りたいのだろうか。

 あの忌まわしい戦争が終わって70年が経ち、当時のことが人々の記憶から風化しようとしている。しかし、戦争の悲惨さを風化させてはならない。

 次の時代を担う子どもたちに、多くの人々の犠牲の上に今の日本があることを教えてあげなければならないと思う。

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