40 日本経緯度原点と日本水準原点
山を越え、谷や川を渡り、村と村を結ぶ道ができると、やがて地図が生まれる。地図を作るには、位置と高さの基準が必要となる。現在日本では、位置の基準は『日本経緯度原点』が、標高は『日本水準原点』が基準となっている。
この二つの基準点がどこにあるかご存じだろうか? 多くの方が『兵庫県の明石?』と思い浮かべるのではないだろうか。しかし兵庫県の明石にある東経135度の子午線は『日本の標準時』を定めたもので、地図の基準点ではない。
◆日本経緯度原点
国土地理院作成の地形図には茶色の文字と黒の文字で記された二種類の緯度、経度が記されている。
さらに地形図左下スケールの上に「茶色の経緯度数値は世界測地系(平成14年4月1日から適用)による」と注釈が付いている。
黒い字で書かれている経度、緯度は従来から使われている日本測地系(tokyo)である。
それでは、『世界測地系』と『日本測地系』の違いとは何なのだろうか。ここで、基本に返って緯度、経度を考えてみよう。
【緯度】赤道を0度として地球の中心核からの角度を表している。同緯度をつないで線を描くと、赤道と平行にパイナップルの輪切り状になっている。
【経度】北極から見て基準線からの角度を示している。イギリスのグリニッジ天文台を通る経線を0度として左回りに東経、右回りに西経として、太平洋上180度で東経と西経が出会い、180度の経線を日付変更線としている。
経線のことを「子午線」とも呼ぶが、これは十二支の子(ね)が北、午が南を示していることから、北と南を結ぶ線という意味である。
さて、このように基準線は決まっているのに、なぜ世界中で複数の測地系が存在し、それぞれが違う数値なのだろうか?
実は、地球は真球体ではないのである。もし地球が完全な球体であれば、どんな計り方をしても答えは一つだが、地球はややいびつ・・・南半球より北半球がやや萎んでいて、西洋梨のような形をしている。したがって、計り方によって様々な数値が出てくるのである。
日本では、1882年(明治15年)に当時の内務省地理局が、江戸城天守台で経度測定を実施して原点とした。
その後さらに詳しい観測が行われ、1918年(大正7年)文部省告示によって、港区麻布台の東京天文台の子午環中心位置の経緯度が、日本経緯度原点となった。
現在では測量法施行令により、「東京都港区麻布台二丁目18番1地内日本経緯度原点金属標の十字の交点」と謳われており、旧国土交通省狸穴分室の脇に磨きこまれた御影石を数枚を並べた中心に金属標が埋め込まれていて、脇に『日本経緯度原点』と刻み込まれている。
さて2011年に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う地殻変動で、日本経緯度原点の座標は、南北方向に0mm、東方向に276.7mm移動した。(2011年
10月21日政令第326号「測量法施行令の一部を改正する政令」)
その結果、現在の日本経緯度原点の世界測地系での座標は次のとおり修正されている。
地震前 北緯35°39′29.1572″ 東経139°44′28.8759″
地震後 北緯35°39′29.1572″ 東経139°44′28.8869″
◆日本水準原点
国土地理院発行の地形図の注釈を見ると「高さの基準は東京湾の平均海面」とある。
海水面を基準とした標高を『海抜』というが、『平均海面』とはなにか?
平均海水面は「静穏な水位」すなわち風や波によって変化する海水面の平均的状態を意味し、潮汐などで変化する海水面の一定時間の平均として求められる。
この平均海面は場所により違うことが知られている。
例えば、パナマ運河の太平洋側と大西洋側では、太平洋のほうが20cm高いことが知られている。
では『東京湾の平均海面』といっても何処を基準としているのだろうか?
実は高低の原点は、なんと国会議事堂の前庭に設置された『日本水準原点』なのである。
1884年(明治17年)に霊岸島量水標(現在の東京都中央区新川、当時の隅田川河口にあたる)における1873年(明治6年)から1879年(明治12年)までの験潮記録をもとに東京湾平均海面(Tokyo Peil: T.P.) が決定され、国会議事堂の前庭に建設された日本水準原点標庫内部の水晶板の零目盛の高さは原点設置時の精密水準測量でT.P.+24.500m と決定された。この標庫を建設する際、地下10mの安定地層に基礎を置いており、高さの狂いはほとんど生じないとされている。
しかし1923年(大正12年)に発生した関東大震災で地殻変動が発生したため再測量が行われ、 T.P.+24.4140m に改定された。 現在は神奈川県三浦市の国土地理院油壺院験潮場の験潮(検潮)と、定期的に行われる原点水準測量によって原点の高さを点検している。
さらに、今年3月の東北地方太平洋沖地震の影響で、24.3900m(▲24m)に改正された。(2011年10月21日政令第326号「測量法施行令の一部を改正する政令」)
日本水準原点標庫の中を見たことはないが、正面の青銅製だろうか、菊花紋章のレリーフの付いた扉の上部に鍵穴があり、下に蝶番がついていて鍵を回して扉を開けると、中には地下10mの岩盤に固定されて目盛りの振られた水晶板があるそうだ。
正面の扉の上には、右から『水準原点』と印されている。この日本水準点標庫は、石造り平屋建てで、東京都教育委員会の設置した標識によると
建築面積 14.93㎡
軒 高 3.75m
総 高 4.3m
と、非常に小ぶりな建物となっている。
左右には小さな高窓があり、裏には鋼鉄製の扉がついている。ローマ風の神殿建築に倣い、トスカーナ式オーダー(配列形式)を持つ本格的なものだ。近代洋風建築として建築史上貴重なもので、東京都指定有形文化財に指定されている。
日本水準原点標庫のある場所は、国会議事堂前の北詰にある公園の中の小高い丘の上にある。正面に立って見上げると、ちょっとした驚きがある。
正面軒下を見ると、左右端に菊花紋章をあしらい、右から『大日本帝國」と印された銘が入っているのである。
現代の公的な建築物に『大日本帝國』と印されている例など、私の記憶にはない。戦後GHQは、戦前の日本の帝国主義を封印すべく、色々なものを壊しているが、戦前の日本帝国主義の象徴ともいえる『大日本帝國』と記された建物を壊すことをしなかったのは非常に興味深い。よくここまで残ったものだ。
さて、東京の標高データをつらつら見ていると、「海抜マイナス1m~マイナス3m」の地区がある。これは地下ではない。
『江東0m地帯』である。墨田区、江戸川区、江東区を流れる荒川沿岸が海抜0m以下なのである。
とすれば、万が一東京湾の堤防が決壊すれば、ここら辺一帯の地図は『水色』になってしまう。
過去に0m地帯が2週間も水浸しになったことがあるのをご存知の方は年配の方々だろう。
1949年(昭和24年)8月に関東地方を襲った「キティー台風」により浸水したのだ。
ここら辺は戦前から工業が盛んで、その工業用水用に地下水がくみ上げられたため、戦前から地盤沈下が激しく、「マイナス」の海抜を持つ地域が出来てしまった。
万が一首都直下地震が起こり津波が押し寄せると、津波は最大3mと予測されていることから、海抜マイナス3mのところでは、3m+3m=6m の水深となることから、3階建て以上の建物に避難しなければ、津波に飲み込まれてしまうことだろう。
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