30 江戸切絵図の見方

 地図といえば、日常生活の中で必要欠くべからざるものだ。車で知らないところに行くときは、カーナビが威力を発揮する。カーナビの無い時代は地図帳を助手席において苦労したのも、今となっては懐かしい思い出だ。そんな便利な地図について、その歴史をちょっと覗いてみよう


 日本における記録の中で初めて『地図』の記載が登場するのは、平安時代初期に編纂された『続日本紀』だ。『続日本紀』の記述の中に「天下の諸国をして国郡図を造進させる」とあるので、この頃には地図は誕生していたことと推測されるが、残念ながら現存しない。もし見つかれば、国宝物だ。

 正倉院の御物の奥から奈良時代の地図が出てくることを期待しているのだが。


 実態の把握できる日本地図として最古のものは、805年(延暦24年)に下鴨神社に奉納された『行基図』であるとされているが、現存するものは江戸時代の模写だ。

 さらにこの行基図の模写は、延暦年間には無かった『加賀国』が記されており、信憑性にかけるとも言われている。そのほか様々な『行基図』やその模写が残されているが、いずれも信憑性にかけるものが多い。


 江戸時代になると、今でもよく目にする『江戸切り絵図』が刊行されるが、これなどは住宅地図の元祖とでも言えるだろう。版元によって江戸切絵図には4種類あると言われている。

 切り絵図を観ると、色々な疑問がわいてくる。

 「なんで名前があちこち向いているんだろう。」

 ・・・記されている名前が天地逆だったり、横向きだったり統一性がない。

 「名前の頭に■が付いたり、●が付いたり、はたまた家紋がついたりしてるのは何の違いがあるのだ?」

 「色々な色に塗り分けられているが、どんな違いがあるのか?」


 まず、名前があちこち向いているのは、「表門のある方を頭にして名前を記す」というルールがあるからだ。だから絵図をみると、どの位置に表門、あるいは玄関があるのか一目瞭然なのである。現代の一般的な地図は、地図を正置して(北を上にして)読めるように作られており、多くのみなさんは、これに慣れているので、江戸切絵図に違和感を覚えるのだろう。ただ、この表門のある方を頭して名前を記すのは、ある意味合理的でもある。


 次に

 家紋のついた屋敷が上屋敷

 ■のついた屋敷が中屋敷

 ●のついた屋敷が下屋敷

というルールがある。

上屋敷は、幕府から拝領したいわば公邸で、江戸城に近い場所に置かれた。

 中屋敷は、隠居した主や、跡継ぎが暮らす屋敷で、江戸城に比較的近い場所に置かれることが多かった。

 下屋敷は、やや郊外に置かれた別荘とでもいうもので、すべての大名が持っていたわけではない。


 切絵図の色分けは、塗られた色により

 白色・・・武家屋敷

 赤色・・・寺社

 鼠色・・・町屋

 水色・・・堀、川、池など

 緑色・・・森、土手、馬場など

 黄色・・・道、橋

となっている。

 ここまで知ると、切絵図を見るのが楽しくなってくるのではないだろうか。


 さらに注意深く見ていくと、鼠色に塗られた町屋には町名が記されているが、武家屋敷には町名らしき記載が無いことに気づくだろう。これは、武家屋敷には住所は無かったということだ。 


 江戸時代後期の1800年代になると、伊能忠敬による日本地図が作られたが、シーボルトは、この日本地図の一部を持ち出したことをきっかけに、国外追放となる。地図の戦略的重要性が認められていたということだろう。

 明治になると地図を管轄するのは、陸軍の中に陸地測量部(当初は参謀本部間諜隊と称していた)ができて、正確な日本地図が作成される。

 当時一般に公開された地図は、わざと戦略上重要な地点や建物などを間違えて作成したものを公開していたくらいだ。第二次世界大戦後、陸軍陸地測量部は、『国土地理院』と名を変えて現在に至る。


 現代の切絵図ともいえる住宅地図は、全国各地にその出版社があるが、中でも一番多く目にするのが、九州は福岡に本社を置くゼンリンだろう。

 ゼンリンは、別府の温泉街の観光ガイド図を作ったことから始まったという逸話は、NHKの番組でも取り上げられた。

 社名の『ゼンリン』は、「地図は平和でないと作れない。隣近所や隣国と親しくしなければならないから、善隣友好が大切だ」という思いから名付けられたという。

 2011年3月に発生した東北地方太平洋沖地震では、東北地方の街の姿が一変してしまったが、ゼンリンは、同年9月に調査員80名を岩手、宮城、福島、茨城、千葉に派遣して、対象5万戸の調査を2週間かけて調査し、2011年中に震災後の仮設住宅を含めた住宅地図を刊行した。

  仮設住宅の表札の出ていないところは、直接住人から聞き取り調査したということであるから、内容は正確なものだろう。

 ゼンリンが住宅地図を更新するのに要する人員は、年間延べ28万人にも及ぶと聞く。国土地理院の地形図等をもとに調査したデータを加えて作成されるが、このような住宅地図は、世界では例を見ないのではないか。

 そんな住宅地図も、眺めてみるとなかなか面白いことが見えてくる。


 私の住む街の住宅地図を観ると、私の家には「駅員3」と表記されていることはもちろんであるが、もう一つ「石敢當」と記されている。しかし「駅員3」は決して「石敢當」さんと同居しているわけではない。なんで、こんなことになってしまったのだろうか?

 これこそが、「ゼンリンは現地調査を行って住宅地図を作成している」証拠でもあるのだ。


 まずは、この謎を解く前に、「石敢當」について説明しよう。

 「石敢當(いしがんとう)」は、中国は福建省が発祥の地といわれる魔よけで、日本でも沖縄から東北まで各地に見られる。しかしながら、内地に存在するものは非常に少なく、圧倒的大多数は沖縄に存在し、現代でもその伝統が受け継がれている。

 沖縄では、市中を徘徊するマジムン(悪霊の総称で、動物の姿になったマジムンに股の下をくぐられると死んでしまうという言い伝えがある)は、真っ直ぐ前にしか進めないため、道の突き当たりにぶつかると、家の中に飛び込んできてしまうといわれている。

 そのため丁字路の突き当りには、「石敢當」という魔除けを置くようになった。マジムンが「石敢當」にぶつかると、砕け散ってしまうので、家の中まで飛び込んでこないのだ。


 さて、我が家は西側に門扉がありる。そして門扉の脇は丁字路になっている。そこで、昔沖縄に暮らしていた時に、地元のホームセンターで購入してきた「石敢當」を丁字路の突き当たりの壁に貼り付けたのだ。

貼り付けて以来十数年にもわたって、「駅員3」は「石敢當」さんと同居することに相成ったわけである。

 石敢當は、主に石にその文字を彫ったものが一般的で、ホームセンターに行くと、ちょうど表札と同じ素材の御影石などに『石敢當』と掘られたものが売られている。

 おそらくゼンリンの調査員さんは、沖縄に行ったことが無く、「石敢當」の意味を知らなかったのだろう。

 また、ある日宅配便の配達員さんが、我が家に荷物を運んできた。荷物の受け渡しが終わると、配達員の若いお兄さんは、

 「ところで、あの表札に書かれている『石敢當』は、なんてお読みするんですか? この方に荷物が届いたときに、スムーズに荷物を配達できるように、私のアンチョコにお名前をメモしておきたいのです。」

 さすがくろねこヤマトさんは、素晴らしい社員さんをお雇いだ。自身の仕事に誇りを持ち、自らの仕事に工夫を持って取り組んでらっしゃる姿には、感動さえ覚えた。もちろん「あれは魔除けだよ」という説明をさせていただき、二人で大笑い♪

 「石敢當」さんが同居者の表札とすると、沖縄には数万人・・・いや数十万人の「石敢當」さんが暮らしていることになってしまう。それくらい、沖縄のあちこちには石敢當が見られる。流石にゼンリンの沖縄の住宅地図に、「石敢當」が記されることはない。

 話しは脱線するが、沖縄にはもうお一人超有名人である魔除け・・・守護神がいる。みなさんよくご存じの「シーサー」だ。

 シーサーは災いをもたらすマジムンを追い払う伝説の獣で、「獅子(しし)」をうちなー口で言うと「シーサー」となる。

 もとは、屋根を瓦で葺くときに、割れた瓦を集めて漆喰で固めてシーサーの形にしたもの1体を屋根の上に置いたのが始まりだ。

 いつしか内地の狛犬の影響を受け、阿吽の形相の2体を一対として玄関などに飾られるようになった。

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