29 江戸時代の治安 二足の草鞋を履く

 『二足(二束)の草鞋(わらじ)を履く』という意味を正確に説明できる方は、意外と少ないのではないだろうか。『二足の草鞋を履く』という語源が、実は江戸時代にあった。


 江戸の町は、町奉行所や火付盗賊改方が警察機能を担っていた。半七捕り物帖や銭形平次などの主人公は、岡っ引き(『目明し』、『御用聞き』、関西では『手先』、『口問』などとも呼ばれていた)を家業としているように描かれているが、実際は正規に任命を受けたものではなく、同心などが利用した『非公認の犯罪捜査協力者』、あるいは同心の『私兵』という位置づけだった。

 ただし地方の領主によっては、岡っ引きを公認していたケースもある。


 岡っ引きは、江戸時代、武士である同心が犯罪捜査を行うには、裏社会に通じたものを使わなければ困難であったことから、軽犯罪者の罪を見逃してやる代わりに、手先として使ったことが始まりと言われている。

 博徒や的屋の親分が岡っ引きになることも多く、『博打打が岡っ引きとなって、博打打を取り締まる』という摩訶不思議なことが起こったことから、『二足の草鞋を履く』という言葉が生まれたのだ。


 つまり、『二足の草鞋を履く』とは、通常両立しえない仕事、あるいは相反する仕事を掛け持つことをさして使われるのである。

 従って、昼は学校で教師として働き、夜は塾で講師として働く・・・これは同種、類似の業を兼ねることであり、『二足の草鞋を履く』とは言わない。


 岡っ引きの報酬は、非公認であったことから、奉行所などから支払われることはなく、仕えている同心から小遣い銭程度しか得ていなかったため、銭形平次のように『岡っ引き専業』となるものはいなかった。


 食うためには『強請り』や『恐喝』まがいの行為をして金を集めていた岡っ引きもいたことから、幕府はたびたび岡っ引きを使うことを禁じるが、実効は無かったようだ。


 よく時代劇で、お上から『十手を預かる』という下りが出てくるが、実際岡っ引きは常時十手を携帯していたわけではなく、奉行所が必要と認めたときに、その都度岡っ引きに貸し与えていた。


 江戸時代の犯罪捜査は、自白中心で「冤罪が多かったのではないか!?」と心配する方も多いこととだろう。

 しかし、冤罪が判明した場合の捜査担当者への処罰は、非常に厳しいものがあったことから、実際は非常に慎重に行われていたようだ。

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