13 江戸の町3 江戸の『休日』

 世の中2016年は4月29日金曜日から『ゴールデンウィーク』に突入する。

この『ゴールデンウィーク』は海外に行って『Golden Week』 と言っても通じない。つまり和製英語ということだ。

 日本を『黄金の国ジパング』と紹介したマルコポーロがこの時期に日本にやって来たからだとか、ロッキー山脈の雪解け水で砂金がたくさん採れるので、この時期の人々は砂金採りに出かけてしまい、街は休日状態になってしまったからだとか諸説紛々、まことしやかな起源が飛び交っているが、一体誰が『ゴールデンウィーク』という言葉を使い始めたのだろうか?


 実は『ゴールデンウィーク』の起源は、第二次世界大戦後に始まったことだ。1951年(昭和26年)に大映が使った映画の宣伝用語で、これが翌年以降にあっという間に広まって言ったというのが、真相だ。

 1951年の春に公開された獅子文六原作の『自由学校』が正月映画やお盆映画の興行成績を抜いて大映創設以来の大ヒットとなったことから、この時期に多くの人に映画を見てもらおうと考えられたのだ。


 『ゴールデン』の由来は、当時の娯楽の王様であったラジオ放送で、一日のうち一番視聴率の高い時間帯を『ゴールデンタイム』と呼んだことからつけられたと言われている。NHKでは『ゴールデンウィーク』は映画宣伝用語であったことから、ニュースなどでは『大型連休』と言っていた。現在はどのように扱っているのか、NHKのホームページをのぞいてみると、NHK ONLINE の放送文化研究所に次の記述を見つけた。以下同ページからの転用である。


 「ゴールデンウイーク」(黄金週間)は、連休で観客の入りがよかったため、この期間中に大作をぶつけるようになった映画界が、宣伝も兼ねて作り出したことばで、昭和27~28(1952~53)年ごろから一般にも使われるようになったようです。しかし、1970年代の「石油ショック」以降、「のんきに何日も休んではいられないのに、なにがゴールデンウイークだ」といった電話が放送局に何本もかかってくるなど抵抗感を示す人が目立ってきました。また、「外来語・カタカナ語はできるだけ避けたい」「長すぎて表記の際に困る」など、放送の制作現場の声もありました。そのうえ、週休2日制の定着で前後の土曜・日曜を加えると10日ぐらいになることもあり、ウイーク(週間)も的確な表現ではなくなってきました。このため、放送では原則として「ゴールデンウイーク」は使わず、「大型連休」を使っています。

 ところで、この「大型連休」という言い方も、同じニュースや番組の中で何度も繰り返して言われると耳障りな場合があります。さらに、おととし以来の厳しい経済状況の中で、この言い方に抵抗感を持つ人も増えているものと思われます。このため、原則として「大型連休」という語を使いながらも安易に繰り返すのではなく「今度の(春の)連休で…」「この連休中(連休期間中)に…」「4月末からの(この○○日から始まる)連休で…」など、ときには別の言い方や伝え方を織り込むような表現上の配慮やくふうをすることも必要でしょう。

* 主な新聞社や通信社は、記事の中で以前は「ゴールデンウイーク」と「大型連休」をほぼ同じ率で混在した形で使っていましたが、最近は「大型連休」を使うほうが多いようです。同じ活字メディアでも、雑誌は旅行案内や若者向けの情報誌を中心に「ゴールデンウイーク」や頭文字をとった「GW」の表記が引き続き多く使われているようです。



 確かに私なども休日は月に一回あるかないかで、朝は始発電車に乗って東京の郊外から、都心まで通い、帰宅して晩御飯を作って風呂に入ると日付が変わっている。しかしながら、『大型連休』というよりも『ゴールデンウィーク』と言った方が、心ウキウキと感じるのは私だけだろうか。

 和製英語でありながら、今では日本人観光客の多い海外の観光地では『ゴールデンウィーク』が通じるところもあるようだ。


 歴史を紐解くと日本で『七曜週休制(日曜日が休日で土曜日が半休)』が採用されたのは、明治に入ってからのことだ。そして週休二日制が根付くのは昭和も終わりに近くなってからである。


 それでは、江戸時代の『休日』はどのようになっていたのだろうか。

 まず武士は『三勤一休』といって、三日勤務すると一日休みを頂いた。・・・そう、「休みを取る」のではなく、「休みを頂く」のである。

 商家の丁稚は、年に1月16日と7月16日の二回休みを頂けたそうだが、これを当時は『藪入り』と言った。

 武家に奉公にあがっている女性は、年に7日間ほど『宿下がり』といってまとまって休みを頂いたようだ。

 商家や職人は、毎月『1日(月初)、15日(中日)、28日(月末)』を休んでいる。それ以外は、五節句と、年末年始、お盆の時期を休んだ。

 農家はというと江戸時代の農民が領主に休みを届け出た記録が残っていて、それによると年間32日の休みがあった。

 ところが、ある農民の記録した日記からは年間82日休んだことが読み取れる・・・ということは、建前と本音があったということだろうか。


 一般的な商家や職人の一日の労働時間は、朝8時から夕方18時までで、10時と14時にそれぞれ30分の中休みと、正午にお昼休みが1時間あったので、休み時間を除くと8時間労働ということになる。


 話しは変わるが、明治になって官営富岡製糸場ができると、そこに働く女工たちはどのような待遇だったのだろうか。

 1925年(大正14年)に発刊された「女工哀史」で、製紙工場に働く女工の過酷な長時間労働のイメージがあるが、実は富岡製糸場での女工の待遇は、


 ◆勤務時間 始業 午前7時00分 終業 午後16時30分 実働7時間45分

       ただし季節により変動

 ◆休  日 年間76日 

       内訳 日曜日 50日 

       祭日 6日 

       年末 12月29日~12月31日 

       正月 1月1日~1月7日

       暑休 10日

 ◆このほか食費や寮費などは、製糸場が負担していた


現在のブラック企業よりどれほど恵まれていたことか。

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