死体

家の鍵を閉めて、車の鍵を開ける。


先月買った、クリーム色の中古クーペ。 


今日のために用意したといっても過言ではない。 


少々汚れているが、それも含めとても気に入っている。 


荷物を積み込んでタバコを一服。 


ゆらゆらと低い天井に消えていく煙をぼんやりと見つめながら思う。 


これまでの長い過去と、これからのうつくしい話。 


永遠の蛹になれるように。もう一度、固い卵の殻の中へ還れるように。 


いつの間にか短くなっているタバコを消し、エンジンをふかす。低い振動が心地よい。 


ハンドルを握る。 


わすれものは、ない。 




深夜の高速道路を走る。 


走れば走るほど誰もいなくなっていく道を奥へ奥へと進んでいく僕は、まるでモグラみたいだ。


おかしくて胸が痛いから、窓を開けてまふゆの空気を吸い込む。 


一瞬で肺が冷たい空気で満たされ、反動で涙がこぼれた。 


きらきら、きらきらと凍りついてうるさい。 


手で拭って前を向く。 


モグラは、目が見えない。 




長いハイウェイも終わりは唐突だ。 


ぼんやりと霞む料金所を通って、今度は誰もいない下道を走る。 


走れば走るほど、家も街頭も少なくなっていくこの道を過ぎたら、僕は何になれるのだろうか。


角を右に、左に何十回も曲がって、いよいよ本当に何もなくなってきた。 


あるのは、僕と荷物と車と、前に伸びる道、だけ。 


僕の後ろに道はない。 


ハッピーエンドは行き止まり。 




家を出てから三時間ほどたって、ようやく目的近くにたどり着いた。 


ぐるぐると山道を幾度となく繰り返し着いた、黒く、広い森の入り口で一度車を止める。 


外に出て、煙草を一服。 


落ちてくる雪と上っていく煙が絡まって、とても綺麗だ。 


どちらもすぐに消える。 


雪にたばこを突き刺して、墓標を作る。 


車に戻ってアクセルを踏み、禁断の森へ。 



振り返りはしない。 




道なき道をどんどん進む。 


ライトに照らされた凍えた樹が 


白に染まった岩が 


ガラスのような枯れ葉が 


ひどく愛しくて、僕はまた涙を流す。 


暗い、暗い、でこぼこ道。 




森に入って一時間ほど経っただろうか。 


とても大きなクヌギの樹の前に、車一台分くらいのスペースがぽっかりと空いている 


僕はついに車を止めた。 


今は辺り一面やわらかな雪で満たされているが、 


季節がまた廻れば草は伸び、蔦は這い、僕を還してくれるだろう。 


エンジンを止めて、外に出る。 


クヌギの巨木の下へ行き、煙草に火をつける。 


ずるずると座り込んで目を閉じると、浮かんでくるのは淡い記憶ばかり。 


ここへ来たのは誰のせいでも何のせいでもなく、ただ僕が僕を抱えきれなくなったから。 


息をしていることに気づいてからの呼吸はとても苦しかった。 


みんな、ありがとね。 




最後の灰が落ちると、立ち上がり、トランクを開けて準備を始める。 


まずは外側から。 


ベリベリとガムテープをウィンドウやドアに貼り付けていく。 


隙間がないようにぴったりと。 


次に車のマフラーに雑巾を詰める。 


真っ白い、新品の雑巾。 


これで外の作業は終わりだ。 


大きく深呼吸してから車に乗り込み、今度は内側からガムテープを貼りつける。 



恵まれた人生だった 


たくさんを与えられていた 


代わりに、深く、大きな穴が育っていった 


それはどこまでも暗く、少しずつ僕の中でその領域を広げていった 


与えられただけ、空っぽになっていった 


ゆっくりと 


じわじわと 


だから今、僕はガムテープを貼っている 


貼り終えると、後部座席からリュックを取り、CDを出す 


何度も何度も聴いた、お気に入りのアルバム 


隔絶された、音楽の世界にいるときだけは、穴の存在を忘れていることができた 


コンポに、セットする 


同じくリュックの中から練炭を取り出し、助手席の下に置いてある七輪に入れて火をつける 


考えていたより煙たくないみたいだ 




さて、と。 


僕は座席にゆっくりともたれかかり、コンポの再生ボタンを押す 


静かに、甘く歪んだギターが流れ出す 


そばに置いておいたアルコールを手に取って、飲む 


中には砕いて入れた、眠くなるためのクスリ 


これまではちっとも効かなかったけど、こんなに入れたんだから今度こそちゃんと効くよね 


目を閉じる 


イメージする 


だんだんと太陽の時間は長くなり、少しずつ雪を、僕を融かしてしていく 


骨になった僕の中を 


苔が、ツタが、満たしている 


空っぽの頭蓋の中ではずっと、大好きな曲がこだましている 


体が重くなる 


朝が来る前に眠れますように 


そう、思った。 

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死体 @hiems311

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