多分、第1話的なアレ

現実は、小説や漫画やアニメのようにはならない。


空から女の子が降ってくることもないし、引き出しから青い猫型ロボットが出てくることもない。


宇宙戦争は起きないし、自転車は空を飛ばない。


体がゴムみたいに伸びる少年もいないし、火を吹いたりする忍者もいないし、元気を分けてくれと懇願されることもない。


超能力なんて存在しないし、魔法や魔法使いも勿論いない。


妖怪も、神様も、天使も悪魔も、宇宙人も。


ここにあるのは、存在するのは、紛れもなく地球で生まれ、地球で育った、そういう生命体だけである。


俺だってそうだ。1度も、この星はおろかこの国から出たこともないのだ。


ただの、平凡で退屈で窮屈で怠惰な


17歳、高校2年の男の子。



朝。けたたましく鳴り響くスマホのアラーム音で目が覚める。


くそっ。もう朝か。


この星の1日は短すぎる。学校に何時間も拘束され、睡眠不足もはなはだしい。お??甚だしいってこの使い方であってたっけか??


まぁ、どうでもいいか。日本語なんて、ニュアンスでどうにでもなるのだ。


間違って使われている日本語なんてこの世には氾濫しているではないか。日本人の語彙力などその程度でしかないのだ。


『日本人なんだから、日本語なんて勉強しなくてもいいでしょ』


なんていう輩もいるが、日本人だからこそ母国の言葉を正しく使えるように勉強するのではないか。


日本語が下手な外国人を笑うが、そう笑うお前達だって十分に日本語が操れていないではないか。


だからと言って、間違っている、と蜂の巣をつついたように、火に油を注ぐように捲し立てるのも言ってしまえば間違いである。


間違っていても、全国的にそういう言い方が通じるのであればそれは間違いとは言いにくい。


情けは人の為ならず


という言葉があるがこれは広く


情けをかけるのはその人の為にならない、つまりその人が成長しない


という意味で使われているが正確には


情けをかけると巡り巡って自分に返ってくる。つまり、情けをかけるのは自分の為である。


と、いう意味なのだ。まぁ、少し主観というか俺個人の見解的なものも混ざってはいるが概ねこんな感じだ。


その他にも、心の置けない仲、など様々あるがこれ以上は正直考えるのが面倒なので割愛する。


知りたければ自分で調べろ。情報が欲しければ自分で動け、他人に頼るな。


ggrksとかいうやつだな。

死後になりつつあるが。


高校に入って驚かされたのがスケルトンの意味を透明だと本気で思っている奴がいることだろうか。


いや、どうしてそうなった。貴様らには脳というものがないのか。


スケルトン、と言われて最初、俺は分からなかった。無論、本来の意味を──本来の意味というのもおかしいが──知っていたからだ。


そんな事を考えているとスヌーズ機能によりスマホがまたしても鳴る。


ええい、喧しい。


スヌーズを切ってとりあえずベッドから上半身だけ起こすとベッドのそばにあるテレビのリモコンを取ってテレビをつける。


おぉー。ニュース番組だ。


当然だ。こんな時間にニュース番組以外をしているところをあまり見かけない。都会ならまだしもこんな田舎では尚更だろうな。


少し前まで東北で起こった震災をと謳っていたテレビの出演者も、今はニュースを語り、それを時に面白おかしく、時に真剣に淡々と喋っていた。


まぁ、『忘れない』と言っても無理がある。


出演者が、テレビが、毎年の様にこの月になる度に震災、震災と口煩く言ったところで皆忘れるのだ。


だってそれは、当時者ではないから。


忘れない──なにを??


何を忘れないのか。どうして忘れてはいけないのか。本当に忘れていないのか。


例えば半年後に、震災のことを思い出す人がどれだけいる??


結局、人間なんてそんなものなのだ。


実体験がなければそれはすぐに薄れる。


だってそうだろ??


震災で、どれだけの犠牲者が出たとしてもそれは被災地から遠く離れた自分には関係の無いことだ。


忘れないと言われても何を忘れないのかが分からないのである。


逆に。震災にあった人間はそれを忘れたくとも忘れられないだろう。


脳に、頭に、目に、記憶に、体に、心に、魂に


全てが焼き付き、こびりついて取れないだろう


ある人は、家族を亡くし


ある人は、友人を亡くし


ある人は、恋人を亡くし


それを、どう忘れろというのだ。


忘れろという方が無理があるではないか。


大体、毎年、毎年津波の映像などを放送しているが、トラウマ?PTSD?の人はたまったものではないだろう。


偶然つけたテレビ。偶然変えたチャンネルで忘れたくとも忘れられない。悲惨で幸福をさらった津波の映像など見せつけられる。


被災者にとってこれほどの苦痛があるものか。


そう思うのだ。


忘れろ。無かったことにしろ。


そう言いたいわけではない。

ただ、やり方を考えろ。それだけの話だ。


俺自身は全く関係ない。被災地から遠く離れた人間であるため、映像を見たところで何も感じはしない。


それは、映画や、アニメ、ドラマで見るような


『テレビの中の世界』


でしかないのだ。だってそうだろ?


どこかで、誰かが誰かに殺された


そんなニュースを見て、何を思う?


自分のことではないのに何を思う?


サスペンスドラマや、見た目は子どもで頭脳は大人の見た目と中身が食い違った探偵のアニメなどをよくやっているがそれだって


『殺人事件の被害者遺族』

『殺人未遂事件の被害者』


からしてみればどうだろうか。


心の底から楽しめるだろうか。犯人は誰だろうなんて余裕を持てるだろうか。


否応なしに、思い出してしまうのではないだろうか


恐怖や、憎悪を。


ま、どれもこれも単なる想像でしかない。


何度も言ってるように、被災地から遥か遠いところに住んでいるし、自分の周りにはそういう事件と関わったことのある人などいない。


ん。

今度は別のアラームをスマホが鳴らし出した。


そろそろ起き上がって支度をしなければ。


のろのろとベッドから抜け出し寝間着を脱ぐとベッドの上に投げ捨てる。

そして、ハンガーラック?にかけてあった制服に着替える。


着替えが終わり2階の自室を出て階段を忙しくおりると居間に入る。


2対の椅子が対面して置かれた机には2つ朝食が置かれている。

勿論、無いのは両親の分だ。


父親は俺が起きる時間には家を出ているし母親は父親とほぼ同じタイミングで朝食を摂っているため俺と、姉の分しか残されていない。


「ねぇ、お姉ちゃん起こしてきてくれる?」

「え、嫌だよ。母さん行ってきてよ」


仕方ないわねぇ。そう言うと母親は2階へ上がっていく。ほぼ毎朝のやりとりだ。


姉がおりてくるのと俺が朝食を食べ終わるのはほぼ同じタイミングだった。

食器を片付けると行ってきますと短く言って家を出る。


納屋に向かって歩いていく途中でイヤホンを取り出してスマホに挿し、自分の耳にもイヤホンを挿す。


んー。挿すという表現でいいのか??

まぁ、いいか。


納屋から手早く自転車を出すとサドルにまたがり家を出る。


小道を抜けて道が広くなるとポケットからスマホを取り出して適当に選曲するとスマホをポケットに仕舞う。


イヤホンから流れてくる音楽に特に耳を傾けるでもなく、ただ、自転車を漕ぐ。


警察なんかに一連の行動を見られていたら完全に止められるだろうなぁ。

そもそもこの辺の警察はほとんど機能していないからそんなことにはなりはしないだろう。


数十分ほどで高校へと到着する。

校門には、毎朝の事であるが数人の教師が立っていた。


何がしたいのか毎朝群がるだけ群がっている。


放課後、下校する時も群がっている。


正直邪魔である。以前、下校しようとしたら保護者の乗った車と話し込んで校門を塞がれたことがある。


貴様ら教師には常識がないのかと言ってやりたくなるのを我慢して裏門から出た。


今日も、おはようと声をかけてくるが適当に頷いて挨拶は交わさない。


駐輪場に自転車を置いて鍵をかけると生徒玄関に向かう。

当然のように生徒指導の先生が立っていた。


どいつもこいつも何なんだ。暇なのか。高給取りが。税金ドロボーか。


おはようという挨拶に今度はこちらも皮肉をたっぷり込めた笑顔でおはようございますと返してやり毎日大変ですねと付け加えておいた。


下駄箱で上履きに履き替えて教室へ向かう。


この学校は、1階に保健室や事務室があり

2階に1年生の教室といくつかの空き教室。

3階に2年生の教室と職員室。

4階に3年生の教室といくつかの空き教室。

正門の裏手、裏門のほうの校舎には被服室や調理実習室や音楽室などや理科室などがあり、体育館も隣接されている。


なんと第1体育館と第2体育館、第3体育館がある。

と、言ってもただ1階、2階、というだけの話だ。

集会は大体、3階の第3体育館で行われる。


正直な話。無駄な作りだと思う。


教室に入ると既に何人かの生徒が教室にいた。

とりあえず自分の席に座るまでにすれ違ったり近くを通る人にだけおはようと告げる。


うーん。かったるい1日の始まりだ。


友達、なんて上辺だけのつきあいだ。


学校という閉鎖空間に閉じ込められることによって得られる友情は学校卒業後に瓦解する。


まぁ、青春なんてそんなもんだ。その時、そのときは、楽しくとも後で思い返したところで何が何故楽しかったのかが理解に苦しむ。


その時楽しければいい、それだけの関係。


薄っぺらい友情。


それを悲しいとは思えなかった。



放課後は決まって数人の友達と集まって何かをした。

放課後の教室に集まって主婦の井戸端会議のようにただ世間話のような事をする時もあれば、大会優勝など掲げない部活にお邪魔して適当に体を動かしたり、学校を出て近くの店にたむろしたり。


それが、心地よかった。


この時が、永遠でないと知っているから。


大切にしよう。


そう思えた。


「また明日」


それだけ言って、友達と別れて自分の家へと自転車を進める。


イヤホンを装着して、音楽を流す。


さーて。明日は何をしようか。


夕暮れにそよぐ春風に髪をぐしゃぐしゃにされながら、俺は笑った。





明日も空から女の子が降ってくることもないし、引き出しから青い猫型ロボットが出てくることもない。


宇宙戦争は起きないし自転車は空を飛ばない。


体がゴムみたいに伸びる少年もいないし、火を吹いたりする忍者もいないし、元気を分けてくれと懇願されることもない。


超能力なんて存在しないし、魔法や魔法使いも勿論いない。


妖怪も、神様も、天使も悪魔も、宇宙人も。


今までも、昨日も、今日も。


これからも、明日も、未来も。


特別なことなんて何も無い


ありふれて、平凡な日常があるだけ


ありふれて幸せな毎日が、あるだけ

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