第2話

 彼の目の前を走る道は県道になっていて、

うなぎの寝床のような山あいを西にのびてい

き、横根山の峠を越えると足尾に至る。

 まもなく小学生の一団がやって来て、茂の

目の前を通りすぎて行く。

 「おじさん、おはようございます」

 登校班長らしい女の子が言うと、誰もかれ

もがいっせいに声をあげた。

 「おう、おはよう。今日も元気だな。しっ

かり勉強してくるんだぞ」

 彼はすわったままで、これ以上ないほどの

笑顔をふりまこうとする。

 それでも足りないのか、両手をあげ、盛ん

に手招きした。

 だが、誰もが班長の顔色を見つめるばかり

で、彼のもとに寄って来ようとはしない。

 黄色の帽子をかぶり、ピンクのランドセル

に黄色のカバーを付けた小さな女の子が集団

から少し遅れてやって来た。

 その子が茂の手招きにつられ、にこにこし

て茂のもとにやって来た。

 「だめよ。列を乱しちゃ」

 班長の一喝に、べそをかきそうになった。

 「いかんべ。少しくらいなら。まだ一年生

だもんな。ちょっとくらい、待っててやって

もいかんべ」

 彼が班長をたしなめると、

 「じゃあ、ちょっとだけよ。学校に遅れる

とみんながこまるからね」

 と彼女が言うと、

 「はい、ちょっとだけです」

 と習い覚えたばかりの丁寧語で答えた。

 孫がそばにいない茂にとって、幼い子とた

わいない話をするのは、とても幸せなひとと

きだった。

 「さあ、行くわよ」

 班長の掛け声で、男女合わせて五人の生徒

が小走りになった。

 「おじさん、ありがとう。元気でね」

 一年生の女の子がふりむき、大きな声をだ

した。

 このように、目の前の歩道を通りかかる人

とあいさつを交わすのが彼の楽しみである。

 せがれ夫婦は、スーパーをやめてから、何

をやったらいいかと悩んだが、結局は隣町の

大きなスーパーで働かせてもらうことにした。

 まだまだひとりでやっていける。

 若い人のじゃまをしてはいけないと、彼は

ひとりでスーパーの裏手にある四畳半くらい

の部屋で寝起きしている。

 彼の妻は、病気がもとで、数年前に他界し

ていた。

 その痛手から、彼は未だに回復していない。

 一台の軽乗用車が路肩に寄って来て、路肩

に停まったかと思うと、左の窓があいた。

 「茂さん、元気だね」

 スーパーの常連客だった、年輩の男の人だっ

た。

 彼は山奥のひとり住まいで、一週間に一度、

スーパーまで買い出しに来てくれていた。

 茂は懐かしさで胸がいっぱいになった。

 涙腺がもろくなったせいか、最近はすぐに

熱いものをこぼしそうになる。

 あまり人には見せたくない。

 彼は残り少なくなった歯をぐっとかみ合わ

せた。

 「あんたも元気でな。俺、がんばるから」

 茂がそう言うと、

 「そうだ、そうだ。お互いにがんばんべ」

 彼は窓から左手をだし、茂と握手を交わし

てから去って行った。

 茂は、また、うつらうつらし始めた。

 どのくらい時間がたっただろう。

 急に背中が重くなる感じがして、彼は目を

開けた。

 首をそっとまわすが、誰もおぶさってはい

ない。

 おれもやきがまわったな。それとも、もう

ボケはじめたかと小声でいい、しばらく様子

をみることにした。

 だが、背中は重くなるばかりである。

 病気でもあるか、と、彼は用を足すつもり

で、そっと立ち上がろうとした。

 だが、できない。

 からだが動かないのだ。

 急に、彼は怖くなった。

 

 

 

 

 

 

 

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