第2話

 散歩を終え、今日春を家まで送り優一も自宅に帰ると丁度、母親が朝食を作っていた。

 「あら、またきょうちゃんとお散歩行ってたの?」

 母も父も慣れたもので、息子の妙な時間の帰宅に対して疑問を抱いたりはしない。

 朝食の支度が整い、ふっくらと炊きあがったごはんを食べ、その甘味を味わいながら今朝起こったことを優一は両親に報告した。

 朝起きたら今日春がいて誰かの心臓で遊んでいたこと。

 握りつぶして部屋が血まみれになったこと。

 人の心臓はゴムのような感触で相変わらず匂いはきつかったこと。

 そして、今年の桜もきっと綺麗に咲くだろうと言うこと。

 両親は優しい笑みを浮かべながら自分の話に耳を傾け、時には驚き、時には声を出して笑いながら朝の一家団欒を過ごした。

 それから高校へ行く準備をする。

 歯を磨き朝の冷たい水で顔を洗えば心なしか気分がしゃきりと引き締まる気がした。

 (髪、少し伸びたかな)

 優一は鏡の中の自分を見て思う。

 目にかかるのが嫌で髪はいつも短めにしている。

 (同い年なんだけどな)

 鏡の中の自分を見て今日春の姿を思い出す。

 今日春は子供の頃から小さく、逆に優一は発育はいい方だ。

 だから小さい頃はよく兄弟に間違われたものだ。

 (実際兄弟みたいなもんだけど)

 今でも身長は今日春の方が低い。

 優一は一七五センチあるが、多分かれは一六十と少しぐらいだろう。

 クラスには今日春よりも背の高い女子もいるぐらいだ。

 高校二年生男子にしては彼は小さすぎるし、顔も童顔だと思う。

 「優一、悪い髭剃りとってくれ」

 背後から父が声をかけてきた。

 「あっ、俺はもう終わったから使っていいよ」

 そう言って洗面台の前を譲ると電気シェイバーの音が響き出した。

 (まだ、必要ないけど)

 いずれ自分も毎朝ああして髭を剃るようになるのだろうか。

 (あいつは髭とか生え無さそうだな)

 生えたらきっと自分が剃ってやるのだろうけど、でも今日春の肌はつるりとしていて髭なんて生えてこなさそうだ。

 (頭も体の成長も止まってるんじゃないか)

 良く考えたら中学ぐらいから今日春はあまり成長してないよう見える。

 もしかしたらあの殺人鬼の殺した者の中には人魚とかもいてその肉でも食べたのかもしれない。

 そんなこと馬鹿らしいことを考えながら着替える。金色のボタンに黒い生地のスタンダードな学ランは町の中に唯一ある高校のものだ。

 町の子はみんなそこの高校に行く。

 だから小学校から中学、高校に至るまでクラスメイトの顔ぶれはほとんど変わらない。

 先生もあまり外部から来ない。

 大学へ行って教育免許を取った町の人が戻ってきて町の学校の教鞭をとることが多い。

 だから教師も生徒も小さい頃から顔見知りだったりする。

 当然、よくテレビのニュースなんかで見る教師と保護者の確執はないし、教師と生徒も仲良くやっているし虐めなんかも勿論ない。

 この町の者は優一も含め町の者ならどんな人間でも仲間外れになんかしないし、敵意を向けない。

 そう、優一の隣人、殺人鬼の今日春なんて正にそうだろう。

 そんな町だから、本当に平和に穏やかにみんなが過ごしているのだ。




 今日春を迎えに行く。

 白い壁に囲まれた赤い屋根の洋風の家が今日春の自宅だ。

 「おはようございます」

 玄関の扉を開けそう挨拶を一言。返事の代わりに慌しい物音と少し高めの声が聞こえる。おそらく今日春の母の声だろう。

 こんな事は毎朝の事で勝手知ったる隣人の家。呼んでも誰も来ない場合は勝手に上り込む。

 リビングに行くと今日春はまだ朝食の最中だった。

 拘束衣を着た今日春に彼の母が食事をとらせているようだ。

 今日春によく似た黒髪で童顔な彼の母親が、今日春の横に座り、雛鳥のように口を開ける彼にせっせとごはんやおかずを運んでいた。

 「おばさん、俺がやるからおじさんの支度手伝ってあげて」

 優一が言うと今日春の母は「ゆーちゃんごめんなさいね。いつも」と言いながら箸と茶碗を優一に渡し亭主の支度を手伝いに席を立つ。

 「何が食いたい?」

 テーブルの上には焼き魚とサラダ、味噌汁があった。

 「おさかな」

 焼き魚は赤い身が鮮やかな鮭だった。

 優一は箸でその身をほぐし口を開ける今日春にその身を食べさせてやる。

 飲み込む前にごはんを口に入れるのも忘れてはいけない。

 そうでないと今日春はおかずだけを食べ続けるからいつまでたっても茶碗の中身が減らないのだ。

 彼の母親が未だ彼に食事を与えていたのは、多分それが原因だろう。

 今日春を溺愛する彼の両親は、何からなにまで彼の言いなりなのだ。「魚が食べたい」そう言えば、今日春が自分で求めてくるまで魚しか与えないのだろう。

 「ほら、味噌汁も飲め」

 そう促せば、今日春は眉を寄せ少し嫌そうな顔をする。

 「もう冷めてるから大丈夫だから」

 今日春は猫舌で熱いものは苦手だから、汁ものを飲みたがらない。与える場合はからしっかり冷まして口に入れてやらないといけない。

 一度、彼の母が熱いまま飲ませてしまった時は口から遠慮なく吐き出し服や床を盛大に汚してしまった。

 だからちゃんと冷めていることを確認してから優一はその唇に椀を近づけゆっくりと傾けてやる。

 わかめと豆腐の味噌汁を今日春はこくりと一口飲み込んだ。

 それからまた白いご飯を無防備に開けるその口に放り込んでやり、そんなことを何回か繰り返すうちに茶碗の中身が空なった。

 「おかわりは?」

 そう聞いてみたが今日春は首を横に振るので、茶碗と味噌汁の入っていた椀を台所のシンクに置きそれから学校に行く支度を手伝ってやる。

 どうせ拘束衣を着てしまうからあまり意味がないような気もするが、一応、今日春にも拘束衣の下に優一と同じ学ランを着せ、学校に持っていく荷物の準備を行う。

 教科書や弁当、ハンカチにティッシュを鞄に入れ、忘れ物が無いかを確認する。

 これは毎朝の恒例行事なので、それも見越して優一は早めに家を出るのだ。

 支度が終わった頃、学校に行くのに丁度いい時間になっていた。

 「それじゃあおばさん、俺達行ってくるね」

 そう声を掛けると家の奥からいってらっしゃいの声が聞こえてくる。

 今日春の母と父の声だ。

 自分の父と母ではないのに優一はその「いってらっしゃい」を聞いてようやくこれから一日が始まるのだと実感できるのだった。




 教室の窓から見える空は鈍い銀色だった。

 なんとなく雪が降りそうだ――そう優一が思った時教室のどこからか「雪だ」と誰かの声が聞こえた。

 みんな一斉に窓の外を見る。

 もうすぐ春なのに、季節外れの雪がふわりふわりと宙を舞っていた。

 きっと積もるほどではないだろうけど、ふと今朝見た桜の蕾が心配になる。

 「大丈夫。だって栄養がたくさんあるから」

 優一の思考を読んだかのように隣の席に座る今日春が言った。

 芋虫みたいに、拘束された身体のまま椅子に座り上体を机に伏せ、優一の方を見上げている。

 何を考えているのか分からない真っ黒な目。

 きっと彼は本当は何も考えていない。

 だから嘘もつかない。

 嘘をつかない今日春が言うことは妙に説得力があった。

 彼がそう言うのであれば本当にそうな気がした。


 「ほら、みんなー!雪はいいから修学旅行の班決めやっちゃうよー」


 担任の柴田京子(しばたきょうこ)が手を叩いて生徒の注目を黒板へと戻した。

 京子先生は去年、町に帰ってきて教師になった。

 小柄だが運動神経は抜群、竹を割ったような性格でクラスメイトにも好かれている。元々この町の出身だし大学に行く前までこの町で過ごしクラスメイトの中には幼馴染だったものも少なくない。

 優一も今日春も小さい頃何度か遊んでもらった一人だ。

 先生と言うよりはお姉ちゃんと言う感じが強く、気軽い感じがして優一も京子が担任になってくれたおかげで過ごしやすい学生生活を送れている。


 「先生、修学旅行行かなきゃ駄目?」

 

 ざわめきの中、ぽつんと浮かび上がるように女子生徒の一人がそう不安げに言った。

 この町の者は大人も子供もここに依存している。同時に外を必要以上に怖がる傾向も強い。

 だから普通ならば喜ぶ筈の旅行を誰一人楽しみにしていないのだ。

 「先生ね。この町大好きよ?人も空気も暖かいもの――でもね。外を見ることは大切だと思うの。外を見てみんなはもっとこの町が好きになると思う」

 そんな事に果たして意味なんかあるのだろうか。

 きっと誰もが思って居るが、それ以上誰も何も言わなかった。

 町のことを思えば、京子のように外に行く人間も必要なのだと思う。

 そうでなければこの町はどんどん外から取り残されてしまうからだ。

 だから、いずれ帰ってくると心に決めて一度は外で過ごさないとならない。

 修学旅行はそういう予行練習のようなものだと京子は言った。

 高校を出たら地元に就職する気でいる優一と、それ以前の問題の今日春にはきっと一生無関係な話だと思うけれど、一度ぐらいテレビ画面越しでない外の風景を見るのも悪くないと優一は思って居た。

 天井の蛍光灯が一本チカチカと今にも切れそうだった。

 誰独り気乗りしていない修学旅行の班決めが始まる。



 当たり前のように優一と今日春は同じ班だ。

 (大丈夫かな――東京なんて)

 旅行先は東京だった。

 動くものがあんなにある町で、人が溢れ返るあの場所で、今日春は殺人をせずに過ごせるのだろうか。

 班決めも終わり通常授業も終わって後は帰るばかり――優一は部活はやっていないから授業が終われば今日春を連れて帰るのがいつものパターンだが。

 「優一くん」

 小さく控え目な声が背後から聞こえて振り返る、そこにはあの授業中不安そうにしていた女子生徒の姿があった。

 彼女の名前は確か――。

 「石井さんどうしたの?」

 石井(いしい)ゆりこは色白で黒い髪の毛を二つに分けておさげにしている。 

 運動はあまり得意ではないみたいだが、勉強はこのクラスで一番できる頭のいい子だった。

 性格は大人しく、しおらしい――と言う事ぐらいしか優一は知らない。

 (あんまり女子と話す事もないしな)

 こと優一は何時だって今日春の世話で手一杯で、外部に目を向けることが少なかった。

 それは会話をしないとか、常に今日春と二人きりだからとかそういうことではないのだが、深く関わることはあまりないから、優一から見た今日春以外のクラスメイトはみないつも一歩引いて見ている感覚に近いのだ。

 男子でも女子でもそれは変わらない。

 頭がいい。優しい。元気で明るい。そういう短い感想しかクラスメイトに持たないのである。

 (そう言えば、顔も名前もちゃんと分かるのに学校以外で遊んだりとかはないな)

 そうぼんやり思う。

 そして、本人でさそう思う程度に表面でしか接していないクラスメイトに彼女は一体何の用があると言うのだろうか。

 「ちょっと……いいかな?」

 彼女は俯きながら消え入りそうな声でそう言った。

 「ん?」

 なんだろうと話の続きを促すと彼女は教室を見回して助けを求めるように上目使いでみつめてきた。

 どうやらここでは言いにくいことのようだ。

 「今日春、待ってられるか?」

 拘束具を纏って椅子に座ったままの今日春がこくりと頷いたので、優一はゆりこを連れて教室の外へと出た。

 教室を出て右に真っ直ぐ廊下を歩く。

 突き当たる場所に階段があって上ると屋上へと繋がっている。

 この月白高校は創設150年、築50年の古い木造校舎だった。

 増改築を繰り返しているからボロボロと言うわけではないが、普段はあまり使わない屋上の階段が一歩踏み出す度に軋んだ音を立てる。

 会話もなく、ただ黙々と階段を上り一番上屋上へと続く扉がある場所までたどりく。

 そこは四畳ぐらいの踊場のようになっていて、冬の間教室などで使ったストーブの予備が壁にくっ付くように両側に6台と掃除用のグレーの金属のロッカーが一つあった。

 屋上は行事で使うとかでない限り基本立ち入り禁止で、この学校に入学してから一回も優一は屋上に出たことはない。

 屋上に続く扉以外空気の入れ替えのできないこの場所は少し埃っぽかった。

 雪が降っているからなのか、電気の消えたそこは薄暗くて人気がないせいか教室よりも冷えている気がする。

 だからだろうか、ゆりこは少し震えていているように見えた。

 「話って何かな?」

 寒いなら早く教室に戻してあげないといけない。

 自分は寒さをそれほど感じてはいないけれど、なにせ女子はスカートなのだ。

 露出が多い分、男子よりは寒さに敏感になるのかもしれない。

 「あの、えっとね?」

 ゆりこは膝をもじもじとさせ、学校指定の白のスカーフを人差し指で弄りながら相変わらず俯いたまま話し始める。

 「優一くん、修学旅行の自由行動どうするのかなぁ……って思って」

 そう言えば、そんな面倒なことがあったのだと彼女の言葉で思い出す。

 「えっと――……」

 みんなが観光地を回っている間、場合によってはホテルでじっとしてる方がいいのかもしれない――なにせ今日春が一緒なのだ。

 彼は産まれながらの殺人鬼で人を殺すのは食事と同じようなもので彼の殺人衝動は生理現象であって自分の意思でどうこうできるものではない。

 だから、人の溢れる場所にあまり連れて行きたくはない。

 それに、この町ではみんな見慣れている拘束衣姿の今日春は外の世界では異質なものになるだろう。

 「あのね、優一くんさえ嫌じゃ無かったら一緒できないかなぁって思ったの」

 縋るような視線を向けゆりこは言った。

 彼女の耳は真っ赤になっていて、声は震えている。

 その様子にようやく優一はそれは彼女なりの告白なのだと気がついた。

 そう思った途端、なんだか恥ずかしさが伝染したように勝手に頬が熱くなっていく。

 「あ、ありがとう」

 好意を寄せられるのは単純に嬉しかった。

 そういう風に彼女は自分の事を見ているのだと思うと途端に緊張して心臓は胸の中で暴れだす。

 でも直ぐに今日春の顔が脳裏に浮かぶ。

 自分が居ないと何もできない今日春。もし優一が彼女と修学旅行の自由行動を過ごすとしたら今日春はどうすればいいのだろう。

 連れ歩き、もしもの事があったらゆりこにまで危険が及ぶ。

 それは迷惑になるとかそういうレベルの話ではないのだ。

 もし、彼が大量の人間に興奮し我を失い殺人衝動に駆られ、数年前のホテルの時のように大量に人を殺し出したのならきっと傍に居るものは誰だろうと殺すだろう。

 もちろんそれは『もしも』の話だ。

 確率的には低いかもしれない。

 でも絶対起きないわけじゃないし、かといって今日春一人をホテルに残して彼女と行動する気にはなれなかった。

 だって今日春は自分が付いていてやらなければ何もできない。

 「でも、ごめん――今日春が居るからさ」

 だからそう返すしかない。

 「そっか、そうだよね。優一くんはきょうちゃんの面倒みてあげないといけないもんね。ごめんね。変な事言って聞いてくれてありがとう!」

 彼女は今にも泣きそうな顔でそれでも無理矢理笑みを作りながら少し早口で言うと逃げるように階段を下りていった。

 木造の階段は相変わらず軋んだ音をたてて、上る時には何も感じなかったその音が今はなんだか痛々しく思えた。

 彼女の泣き声が混ざってるような気がしたのだ。



 「優一ぼんやりしてる」

 朝の散歩の最中、今日春にそんな事を言われた。

 昨晩はゆりこの事を考えて結局よく眠れなくて、頭がはっきりしてくれない。

 思えば、誰かにこんなにはっきり好意を寄せられた事も、それをこんなにも意識した事も優一には初めての経験だった。





 「何かあった?」


 放課後、そう声を掛けられた。

 「え?」

 はっとして声のする方を見ると京子左先生がいて、少し困ったような顔をして優一の方を見ている。

 「あ――…えっと、修学旅行の事とか不安で、今日春も居るし」

 真っ直ぐこちらを見てくるその瞳になんだか気まずさを覚え、思わず視線を横に反らしながら優一は答えた。

 「俺、修学旅行いかなくてもいいよ」

 優一の言葉に今日春がぽつりと零した。

 予想外の方向からの予想外の答えに優一は言葉を失う。

 何となく、今日春がこの学校行事に参加するのは当たり前の事のように思っていた。

 小学校の修学旅行も、中学も、彼は参加していたし、自分の横に彼が居る事はもはや優一にとって当たり前の事だったからだ。

 「ゆーちゃん、本当はそんな事で悩んでるんじゃないでしょ?」

 京子先生は少し笑みを浮かべながら、しょうがないなぁと言う感じで言う。

 自分の事を「ゆーちゃん」と彼女が呼ぶのは大分久しぶりに聞いた気がした。

 京子先生がまだ「先生」でなく「お姉ちゃん」だった時に確かそう呼ばれていた。

 それはなんだか気恥ずかしく、でもいつもより彼女の存在を近く感じる。なんだか昔に戻ったみたいで少し嬉しかった。

 子供の頃、今日春と優一は京子によく遊んでもらっていた。

 今日春のせいでした優一の怪我の手当てもよく京子にしてもらっていたのを思い出す。

 優一が怪我をすると、大半の大人は今日春を嗜める。

 それは強くではなく注意程度のものだけれど、優一は昔からそれが嫌だった。

 子供心に今日春が「そう」なのは仕方ないことだと思っていたのかもしれない。

 だから、怪我をした事は自分のせいだと思っていたし、今日春のせいではないと思って居た。

 だから、優一が怪我をしても今日春を嗜める事なくただ笑って優しく手当をしてくれる京子の事を優一は好きだった。

 それは男女の好きではないけれど、あの頃は自分と京子だけが今日春の全部を理解出来ているのだと思って居たのだ。

 今になって思えば、今日春の全部なんて理解しきれる筈もなく、子供が怪我をして大人がその怪我の原因に対し注意するのは当たり前のことなのだけれど。

 「きょうちゃんも、変な心配しなくていいからね?みんなで修学旅行行こうね?」

 京子先生は少し膝を折ると今日春の目線に自分の目線を合わせてそう言った。

 「きっと時間が解決するわ」

 京子先生はそう言って笑うと優一の頭を軽くぽんぽんと叩いて去って行った。

 まるで全て見透かされているようでなんだか恥ずかしいけれど、彼女が言うと本当にそうだと思えるから不思議だった。

 だいたい考え込んだ所で何も始まりはしない。

 自分はゆりこが好きなのか、それともゆりこに好意を寄せられたから気になるのか、今はどんなに考えても分かりはしない。

 ただ、もっと彼女の事が気になって仕方なくなったなら、それはきっと優一が彼女を好きだと言う事なんだと思う。

 何にしても今の自分は今日春の面倒を見る事が第一になってしまっているし、それを何より一番に考えてしまってるいからきっと恋愛感情を彼女に抱いているわけではないのだろう。

 (変に意識してしまってるだけだ)

 きっとそれも時間が解決する。

 修学旅行は色々な不安はあるが、思えば学生最後の旅行になるわけだしやっぱり今日春も連れて行きたいと思った。



 自分以外の気配を部屋の中に感じて起きるのは毎朝の事だった。

 そこに血の匂がしない事が何より幸運なことだと思いながら優一は瞼を開ける。

 いつものように、今日春が勝手に部屋に入り、散歩を待つ犬のように拘束衣を自分の横に置いて座って待っていた。

 「おはよう」

 いつものように挨拶する。

 「あげる」

 そしていつものように、挨拶もそこそこに自分の話したい事だけ話してくる。

 ――あげる。

 そう差し出されたのは白く小さな塊だった。

 カーテンを閉め、明かりが消えたまだ太陽の光が入らないこの部屋は薄い青色の空気が流れていて、それが何なのかはよく分からない。

 手にとってみるとそれは固くひやりと冷たかった。

 (ああ――……)

 手の中に収め近くで見てようやくそれが何か理解する。

 「いいのか?宝物だろ?」

 それは、初めて今日春が殺した猫の頭蓋骨だ。

 可愛い可愛いと、まるで生きた猫を可愛がるように大切にされたその頭蓋骨。

 もしかして、昨日の修学旅行の話しの事を気にしているのだろうか。

 今日春なりのこれは「お詫び」なのかもしれない。

 「ありがとう。大切にするよ」

 だから何も言わず受ける事にする。

 優一の言葉に今日春は微かに笑ったような気がした。

 今日春は人を殺す時以外に笑みを浮かべる事なんて無いからきっとそれは優一の見間違いかもしくはそうであったらいいと思う優一の願望が見せた幻覚のようなものだろう。




 日々は狂気を含みながらも優一にとっては穏やかに平和に過ぎていった。

 ゆりことの距離感は未だに測り兼ねていて微妙だけれど――あの日、京子に言われた「時間が解決する」を優一はずっと信じていた。



 春先に大量の積雪があったにも関わらず林のおばあさんが手入れしていた桜並木は今年も綺麗な花を咲かせていた。

 三月、今日春は一つ歳を重ね四月、優一達は高校二年生になった。

 ただ繰り上がるだけの何の変化もない進級。

 でも変わらないことがなにより優一は嬉しかった。

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