7.私のたたかい
美優先輩のお姉さん、美羽さん。
美優先輩と美羽さんは双子で、しかし山崎はその存在を全く知らなかったみたいだった。それもそのはず、美羽さんは中高一貫の私立に進学して、山崎と美優先輩とは学校が違ったからだった。
美羽さんは美優先輩にとって、一番身近な、憧れの存在だった。勉強もできて(既に留学経験あり!)、運動もできて(空手で県内一!)、なにより優しい人らしい。
だからこそ美優先輩は美羽さんに、ただ、誰にやられたのか、携帯番号やアドレス、どんなことをされたのか、それらを細かく話した。
美優先輩には確信があったのだ。美羽さんの優しさが美優先輩を傷つける人を許すわけがない。きっとこの話をすれば、今まで抑えてきた分の怒りも上乗せされる、と。
美優先輩の考え通り、美羽さんは美優先輩をいじめていた三人を一人ずつ呼び出し、報復していった。
一人目は、先週の木曜日。美優先輩が三人からこれでもかと暴力を振るわれたその日、美羽さんは動いた。むしろ美羽さんには好都合だったのかもしれない。向こうから呼び出しがかかったのだ。
そして二人目、金曜日。山崎告白作戦の日。あの時渡り廊下に現れたのは美羽さんだ。思い返してみると、私のことを景ちゃんと呼んでいた。たぶん明日花が私のことをそう呼んでいたからなんだと思う。
あの日、山崎の気持ちに今は答えられないと言ったのも、美優先輩自身ではなかったからだと納得できた。
「やっぱり、お姉ちゃん、電話に出ない」
美優先輩が携帯を片手に不安そうな表情を浮かべる。
今日、『ふみ』にけじめをつけてもらうから、と美羽さんは家を出たそうだ。はじめの頃は美羽さんの報復に胸のすく思いもあったが、少しずつ、一人ずつ美羽さんが手を出すたびに美優先輩の心を締め付けた。
なにを喜んでるんだ。何一つできず、お姉ちゃんに頼って闘うこともできないくせに。
『止めよう』
もう遅いかもしれないけれど、少しでも早く。
だから、美優先輩は傷ついた体を引きずりながらも学校まで来たのだった。しかし美羽さんに会うことはできず、途方に暮れかかっていたところに山崎が通りかかったというわけだ。
「お姉ちゃん……」
居場所を掴めずにいた。もちろん美優先輩にわからないのだから、私たちにわかるわけがない。でも、何かきっかけは生み出せるかもしれない。私は美優先輩に質問した。
「美優先輩。美羽さんがふみさんを呼び出すとしたら、って考えてもわかりませんか?」
「……うん。なにも接点なんてないから」
「そう、ですよね」
どれだけ考えても、私にはこれが限界なのかもしれない。本当に無力だ。
「あ、あのっ!」
私が軽く落ち込んでいると、隣にいた明日花が声を上げた。みんなが明日花に視線を集める。真希が少し不安そうな顔を浮かべていた。きっと、明日花はちょっと抜けているから、思いもよらない、空気の読めないことを言ってしまわないか心配なんだと思う。私も真希と同じ気持ちだった。
「山崎くん、朝、景ちゃんに帰りは美優先輩のこと迎えにいってみるって言ってなかった?」
たしかに、事件のことで美優先輩の安全を心配した山崎に私がそうそそのかした。
「先輩の教室には行ったの?」
「ああ。帰りのホームルームが終わった後すぐに」
「その時、美羽さんは?」
「もういなかったよ」
「じゃあ、まだ学校にいるんじゃないかな? だって外にいた美優先輩は美羽さんに会ってないんでしょ?」
灯台下暗し。思わず真希と目が合わせてしまう。真希が、たぶん私も、驚いた顔をしていた。ごめんね、明日花。空気の読めない一言を言うかもしれないなんて失礼な心配してたよ。
「たしかにそうかも……なんで気付かなかったんだろ」
山崎がなにか考えるようにあごに手を置いた。
「わたし、あの時の山崎くん、ほんの少し気持ち悪いなって思ったからよく覚えてるんだ!」
「おおう……」
私と真希がシンクロして声を上げる。まさかここで空気の読めない一言をぶっ込むとは思っていなかった。一人時間差。明日花は非常にいい笑顔をしている。対照的な表情の山崎。
「あの、御堂さん。その一言……いる?」
そうだよね、山崎。私も今のはいらないと思う。
「えっと、とにかく学校を探してみるのがいいんじゃないかな? ね、美優ちゃん」
変な空気になりかけたところで真希がカットイン。ナイスフォロー真希。
「う、うん。そうだね」
「み、美優先輩。学校でふみさんを呼び出すとしたらどこがあります?」
私もフォローに入る。さっさと今の明日花の一言をなかったことにしてしまおう。視界の隅で山崎が肩を落とすのが見えたからだ。
「学校だったら……たぶん」
瞬間、美優先輩の顔に暗い影がよぎる。
「旧校舎の屋上だと思う。私が……ふみちゃん達に暴力されたところ……だから」
でも影がよぎったのはほんの一瞬で、次の時には影をものともしない強い眼差しを見せた。
「たぶん、ううん。きっと、そこにお姉ちゃんはいる」
「じゃあ、あたしたち見てくるよ」
真希が言った。美優先輩の怪我を気遣ったんだと思う。しかし美優先輩はその言葉に対し、首を横に振った。
「私が行かないとダメだから。でも、ありがとう」
美優先輩が微笑む。きっと眼帯がなかったら、女の私でさえ恋に落ちていただろう。それくらいに美優先輩の微笑みはキレイで、かっこよかった。
旧校舎は中に入るとそれほど傾いているとは感じない。外から見上げたときは今にも壊れてしまいそうな気がするほど傾いているが、それも一歩足を踏み入れてしまうとわからなくなる。人の『慣れる力』ってすごいんだな、なんて感心してしまう。
でも普通ならすぐに慣れてしまうその傾きが、足を引きづり、松葉杖をつく美優先輩にはとんでもない傾きなのだろう。平坦な道よりも遥かに歩きづらそうにしている。山崎はその美優先輩を脇から、触れてはいないが何かあった時に手を貸せるような姿勢で支えている。
階段を上る速度はゆっくりで、でもできる限り早く登ろうとしているのが伝わる。
踊り場の窓から射し込む西日で影になる二人の後をついていく。私と真希と明日花はその姿に手を出すことも、声を出すこともできなかった。
「ありがとう。みんながついてきてくれなかったら、私ここに来れなかったと思う」
美優先輩が少しだけ振り向いて言った。額がやけにキラキラと輝いていたのは汗だろうか。そう思うと、確かに少し蒸し暑い気がする。もうすぐそこに夏が近づいてきているのだ。
重く、蒸し暑さで窮屈な旧校舎の階段。やっと最後の踊り場を回り、屋上への扉が見えた。その向こうから微かに声が聞こえる。その声は騒ぐ様子もなく、ただ低い響きだけを持っている。
よくは聞こえない。けれど雰囲気的には最悪な空気を醸し出している。その雰囲気を察してか、美優先輩が焦りはじめ、急いで松葉杖を次の段にかけようとしたが、途中で手前の段に引っ掛けてしまう。
「美優先輩!」
松葉杖が手から離れて、美優先輩が倒れかかる。すぐに山崎が手を伸ばし支えた。
「ありがとう、山崎くん」
階段を滑り落ちてくる松葉杖。それをキャッチして美優先輩に渡そうとするが、美優先輩はそのままけんけんで階段を上り切った。汗が落ちる。その汗を気にすることもなく、勢いよく扉に体を預けた。
扉が開く。外の空気が流れ込んできて涼しい。光が溢れる。美優先輩と山崎の姿が一足先に光の中に飲まれた。
「美優!」
光の中から、美優先輩と同じ声で、でもどこか強さを感じる声でそう言うのが聞こえた。美羽さんだろう。私たちも光の中に進む。
屋上に出ると風が強く吹いた。思わず目を閉じてしまう。髪をかき分けながら目を開くと、美優先輩が二人いた。
「なんで、ここに来たの?」
眼帯をつけていない方の美優先輩が真剣に、怖い目をして、眼帯をつけている美優先輩に一歩にじり寄る。
たしかにパッと見は同じ顔だが、表情、仕草、声のトーンは全く違う。それはまるで。
「ど、ドッペルさんや……」
私の後に屋上に飛び出してきたばかりの真希も同じことを思ったようだ。
「お姉ちゃん、もうやめよう」
美優先輩が弱くもまっすぐ、美羽さんの目を見て言う。まるで蚊帳の外だが、美羽さんの向こうにはふみさんと思われる女子生徒の姿がある。美優先輩が二人いることに戸惑っているのか、目を点にしていた。
「やめようって、あんたはそれでいいの?」
「それは……」
「あんたにはこんなことできない。あんたは嫌なことがあっても我慢して。そんなあんたを助けてあげてたのは誰だと思ってるの? お姉ちゃんだよ?」
美羽さんにまくしたてられ、美優先輩は黙り込み、うつむいてしまう。
「ねえ、美優。あんたが傷つくなんて、やっぱりおかしいんだよ。こいつらのくだらない嫉妬に、あんたがやられるなんておかしいんだよ」
ふいに美羽さんが後ろを振り返る。もちろんふみさんに目線を合わせるために。
「あとはおまえだけだ」
「な、なによ」
ふみさんの声は震えていた。自分が今から何をされるのか。不安が想像を加速させているんだと思う。
「おまえらがさんざん美優にやってきたこと、あたしが返してあげる。恨むなら過去の自分を恨んでね」
美羽さんが拳を握るのが見えた。ふみさんの目は怯えで染まる。ゆっくりと一歩目を踏み出し、二歩目には大きく速度を上げた。
「美優先輩っ!!」
山崎の上げた声が空気を揺らす。それはまるで陸上競技のスタートを知らせる銃の音のようで、肩が無意識に縮まる。伊達に中庭で歌ってないってことなのかな? なんちゅう声なんだ。
美羽さんも山崎の声で足を止めていた。ふみさんは美羽さんのプレッシャーとバカみたいなボリュームの声で完全に腰を抜かし、その場にへたり込んでしまった。
周りがそんな状況なのに美優先輩は相変わらずうつむいている。山崎は美優先輩を見て、歯を食いしばり、また馬鹿でかい声で叫んだ。
「言いたいこと、言えっ!」
私は見ていた。美優先輩が自分の服の裾をぎゅっと握るところを。その拳は美羽さんのそれと比べると、どうしても頼りなく見えてしまう。それでも、強く固い、たった一つの拳。
「これは私のたたかいだぁぁ!!」
細く、高く、美優先輩の大声。うつむいたまま、膝に手をつき叫んだ。
「よぉしっ!!」
山崎はそれに呼応するように声を上げ、美優先輩の肩をトンッと叩いた。美優先輩はそれで一歩前に出る。怪我をしている方の足で。
「痛いっ!」
「ごめん、先輩っ!」
なに、このバカなやり取り。
「ううん。ありがとう」
よっぽど痛かったのかな。山崎の方へ振り向いた美優先輩の目には涙がたまっていた。
「お姉ちゃん。これは私のたたかいなの。私がやらなきゃ、何の意味もない」
美羽さんを見つめる。美羽さんは一度腰を抜かしたふみさんを見た。
「さっきも言ったでしょ。あんたにあたしと同じことはできない。あたしはあんたの代わりに、あんたを守ってあげようとしているんだよ?」
「私だって、ちゃんと傷つきたい!」
美優先輩が美羽さんの側へ、けんけんで寄っていく。
「わたしだって、卑屈に傷つくんじゃなくて、ちゃんとたたかって、ちゃんと傷つきたい」
「……美優」
そして、小さな拳で美羽さんの肩を優しく殴った。
「ごめんね、お姉ちゃん。ありがとう」
美優先輩は肩にある拳を開き、美羽さんを引き寄せ、抱きしめた。美羽さんがうなづいて何かをつぶやいた。声は小さくて、なんて言ったのかはわからない。ただ美優先輩の腕の中から離れた美羽さんは少しだけ嬉しそうで、寂しそうな表情を浮かべた。
美優先輩が、今度はふみさんに近づく。ふみさんは腰を抜かしてからずっと怯えたままだ。
「ふみちゃん」
私たちのところに聞こえるか聞こえないかの声で呼びかける。ふみさんが怯えた眼差しを美優先輩に向けた。その次の瞬間、美優先輩は確実に聞こえるくらいの派手な音を鳴らしてふみさんの頬に平手打ちをした。
「これでおあいこ」
なんだか嬉しそうな美優先輩の声。そして自分もそこに腰を下ろし、ふみさんを抱きしめた。ふみさんが嗚咽まじりに肩を震わせる。
美優先輩はまるで子供をあやすような、どこまでも優しい手つきでふみさんの髪を撫で続けていた。
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