6.目の前の闇、背中の光

 特に行く場所はなかった。こんなタイミングでテリーライトも嫌だった。山崎もそう思ったのだろう、学校の前の坂道を少しのぼり、脇にある人情商店街へと続く下り階段に腰を落ち着けた。

 ここが意外と穴場だったりするのだ。ちょうど町が一望できる。左手側には社台駅が見え、夕方になると正面から西日受けることができる。この階段を下っていくと町の中でも活気のある社台西商店街、通称・人情商店街に出る。

 そこには八百屋、魚屋などが昔から存在している。しかし特に遊べるところも、刺激的なこともないので、結局はみんな駅前の社台商店街へ行ってしまい、最近では社台商店街を東へ抜けた先に大型ショッピングモールまで出来たので、高校生にとって人情商店街はますます刺激的ではない場所となってしまった。

 おかげでこの下り階段を利用する八代台生は数を減らし、すっかり寂しい雰囲気を醸し出している。

 ちなみにテリーライトは人情商店街の中でも駅近くの細い路地にあって、この階段を下って行った方が近道になる。

 私はどちらかといえば人情商店街の方が好きだ。細い路地は入り組んでいて、時々かわいいお店を見つけることもある。そんなに発展した町ではないが、背伸びせず、ゆるりと歩ける。

 「美優先輩……その、話聞かせてください」

 山崎がいつもとはまるで違うトーンで話しかける。私たち三人は山崎と美優先輩の後ろに座った。真希も明日花も緊張しているのかすごく顔が強ばっている。

 「美優先輩は、美優先輩なんですか?」

 山崎がよくわからない質問をする。どういう意味なんだろう。美優先輩は一度だけうなづいた。どうやら美優先輩には質問の意味が通じたようだった。

 「じゃあ、あれは……今朝、教室にいたのは誰なんですか?」

 なぜ、そんなことを聞くのか。私はふいに光宵先輩から聞かされたドッペルゲンガーの話を思い出した。

 「あれは……お姉ちゃん」

 冷たい風が吹いた気がした。美優先輩の唇は相変わらず重い。山崎はそれでもじっと、その言葉を聞いてうなづいた。

 「金曜日からですね?」

 山崎が優しく言うと、美優先輩は涙を浮かべた瞳を山崎に向ける。

 金曜と言えば山崎の告白作戦決行の日だ。その時から美優先輩は自分のお姉ちゃんと入れ替わっていたのか。

 やっぱり聞かない方が良かったのかもしれない。ふと後悔が沸き上がってくる。そのタイミングで明日花の手が私の背中に触れた。本当にこの子は最強だ。タイミングもバッチリすぎてよくわからないけど涙がこぼれそうになる。

 「気付いて……いたの?」

 「はい。いや、正確には後になって気付いたんですけど」

 苦笑いを浮かべる山崎。それでもやっぱり気付けたってのはすごいことだと思う。

 「あの時……といっても、美優先輩はわからないかもしれませんけど。美優先輩のお姉さん、渡り廊下から中庭にいる俺のことを見た瞬間に反応したんですよ。違和感は感じていたんです」

 そうか。美優先輩は目が悪いんだ。部室棟の前で、かなりのところまで近づいた山崎でさえも認識できなかったくらいに。渡り廊下から中庭を見下ろして、瞬間的に反応できるのは難しいはずだ。目を細める癖のある人は声で判断できていたとしても、やっぱり癖で目を細めてしまう。そこに山崎は違和感を感じたのだろう。美優先輩が、自分の知っている美優先輩でない違和感。

 「その怪我が原因なんですか?」

 山崎の中では何か答えが出ているのかもしれない。少しの迷いもなく話は進んでいく。

 「……うん。私が願ったの。この苦しみから解放してほしいって」

 今にも風に消えてしまいそうなほどのか細い声。

 「はじめは小さな嫌がらせだった」

 そのか細い声は巨大な現実を知らせようとしている。



 「ふみちゃんは、この学校で初めてできた友達だったんだ」

 初めての友達。ほんの少しの行き違い。そこから始まった陰口、嫌がらせ、そして暴力。

 美優先輩から語られたのはどこにでもある、でもあってほしくない事ばかりだった。

 「女ってのは陰湿なマネしかできないのかよ」

 話を聞いて、真希が不機嫌につぶやいた。美優先輩を同情して言ったわけではないと思う。本当に漏れてしまったかのような言い方だった。

 「一年生の頃はシカトとか、そういうのが多くて、だからなんとか我慢はできていた。でも二年生になると、ふみちゃんたち、どんどんエスカレートしていって」

 中庭のバレー。あのときのボールはボールではなく、ムリヤリ縫い付けられ、丸められた制服だった。私は急激にその場にいることが辛くなった。あんなにすぐそばにいたのに、何も気付けなかったなんて。

 自己嫌悪に陥りそうになる。そのタイミングでまたもや明日花の手が私に触れた。

 ああもう。この子にはどうしたって敵わない。

 「だんだんと隠せなくなってきたんだ。服を着ていても見えるところにまで傷ができるようになって。お母さんとかお父さんは、なんとか誤魔化しきれたんだ。でも、いつもそばにいるお姉ちゃんだけは誤魔化しきれなかった」

 そして徹底的に圧倒的な暴力の雨が降った。私と山崎が、部室棟の前で美優先輩と会った、あの後に。

 私の心は明日花のぬくもりのおかげで真っ暗に沈み込んではいない。でも山崎はどうなのだろう。うつむいたままで、確認することができない。

 「ずっとずっと、お姉ちゃんが報復しようとするのを止めていた。やり返せばやり返されるから。でも、もうわたしのほうが無理だったんだ。傷を見るたび、嫌な気持ちが広がるの。だからお姉ちゃんに頼った。わたしにはそんな力ないから」

 美優先輩は少し笑った。心が限界なんだ。山崎がゆっくり顔を上げ、悲しい微笑みを浮かべる美優先輩を真正面から見つめた。

「先輩はそれですっきりしたんですか?」

 山崎の目には美優先輩のそれと同じくらい悲しみが浮かんでいた。

 美優先輩はその色を見て、申し訳なさそうにうつむき、ぽつりと、雪のような言葉を漏らす。

 「すっきり……するわけないよ」

 振り絞るように声を出した美優先輩が、痛々しく傷ついた顔を手で覆った。山崎は美優先輩に近付くと、その悲しい姿を隠すように肩を寄せた。

 「よかった。俺の信じた先輩がいた」

 山崎がつぶやくと、美優先輩は堰を切ったように声を張り上げ泣き出した。

「先輩。先輩が俺に教えてくれたんですよ。未来を変えるのは自分だって。その言葉があったから俺はここにいるんです。だから先輩も、今から変えにいきましょう」

 山崎が強く笑う。その声に、表情に、心が動く。私は真希と明日花と顔を見合わせた。

「山崎。私たちはどうすればいい!?」

 うまく言葉にできただろうか。未来を変えるための一言として。

 山崎が小さく体を揺らす。

「とりあえず、みんな、おれと仲良くしてくれ!」

「……はい?」

「……へっ?」

「……はぁあ!?」

 山崎の訳わかんない返しに、私、明日花、真希と三者三様の反応をする。

「いや、だって、まずはそこから! なんて思ったりして……」

「ふっざけんな!」

 プチギレ真希が山崎の背中を平手で叩く。

「きゃひん!」

 叩いた音が山崎の声以上に響く。これは相当効いたと思う。

「痛ぇなぁ……冗談じゃんかよっ!」

 反論する山崎。火に油を注いだな、なんて思ったら、意外なところから火はあがった。

 最強文学少女だ。

「山崎くん、うるさいっ!」

「明日花!?」

 びっくりした私と真希は声をシンクロさせてしまう。

 一方、明日花は顔を真っ赤っかにして、頬を少しふくらませている。怒り慣れていない怒り方だ。

 「ま、まさか御堂にまで怒られるとは……」

真希や私から怒られるのはよくあることだっただけに、明日花から怒られるのはショックなんだろう。山崎は一気にうなだれた。

「……ふふ」

 そのバカげた光景を呆気にとられた表情で見ていた美優先輩が笑いはじめた。私たちも美優先輩の元気に一役買えたかな? 

 やっと見ることができた美優先輩の笑顔は、傷とか、そんなの関係なくキラキラしていた。山崎はこの笑顔が好きなんだと思う。

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