#1 かたむいた校舎のラブレター

1.綺麗

 どうしたって坂道を飾る桜は『綺麗』以外の言葉では言い表せない。

 この桜の坂道を見上げるたび、ただ茫然としてしまって、私の心の中は『綺麗』で埋め尽くされてしまう。

 よくよく考えてみれば、この坂道を上って登校するために勉強を頑張ったようなものだった。坂を上ったところにある高校『八代台高校やしろだいこうこう』は偏差値的にみれば進学校。15歳の私はよく言って中の下、普通に見れば下の中の成績だった。スポーツをやってきたわけでもなく、所属していた美術部で表彰されたわけでもない。そんな平々凡々よりも少し下な私がこの八代台高校に入学できたのは奇跡が起きたからだと思わざるをえない。私の努力の結果だと胸を張れないのが、なんとも残念だけれど。

 「朝一にこの坂はだるいなぁ……」

 後ろから聞こえてきた女の子の声が、私のテンションを下げる。私はほんの少しイラだって後ろを振り向き、だるいなんて言っちゃう子の顔をチェックした。

 「毎朝、ここ上らなきゃいけないのかぁ……しんどいにゃあ……」

 テンション下げる発言の主は、キュートという言葉を擬人化したかのような顔をしていて、私とは比べようもないほど、頭は小っちゃくて手足も長いモデル体型の女の子だった。も、もちろん私だって、中学の時はそこそこモテていたんだけど! 一目見て、敵わないとわかってしまうくらい、その子は恵まれた外見をしていた。同じ制服を着ているのに、まるで別の生き物だ。

 私の心はまた『綺麗』で埋め尽くされてしまう。茫然と見つめていると暖かい風が吹いて、その子の優しい栗色をした長い髪を揺らした。同じように風に揺られたセーラー服のスカートに視線が移ってしまう。普通よりも短くしたスカートから伸びる絹の糸のような細く長い脚には、女の私ですら、どきりとしてしまった。

 「真希まきちゃん、そんなこと言わない」

 真希、と呼ばれたその子の隣にもう一人の女生徒が並ぶ。その子はよく見知った顔だった。

 美術部での表彰歴は数知れず、成績も上位、性格よく上品なうえ料理までできる才色兼備の最強文化系美少女(と私が勝手に名付けた)御堂みどう明日花あすかだ。

 「明日花!」

 唐突な出会いに、私は思わず大きな声で彼女の名を叫んでしまった。明日花は驚いた顔をして、視線をこちらへ向けた。

 「景ちゃん!」

 同じ学校なのは知っていたけれど、ここで会うとは思わなかった。驚いていると真希がぽかんとした表情を浮かべ、「誰? 知り合い?」と明日香に尋ねる。

 「あ、真希ちゃん。こちらは石和いさわけいちゃん、同じ中学で、部活も一緒だったの」

 真希と私は軽くどうもという感じで会釈を交わす。

 「こちらは日下部くさかべ真希まきちゃん。幼なじみで、家がお隣さんなの」

 「お隣さん?」

 私は同じ中学校の学区なのに会ったことないのはなぜ? と、疑問を顔に浮かべた。察しがいいのか、真希がクールな笑顔と一緒にすらっと長い手を差し出してきて、私の心の中に浮かんだ疑問に答える。

 「小学校と中学校は私立に通っていたんだ。これからよろしくね」

 「あぁ! なるほど! よろしく!」

 クールでかっこいい真希に対して、私は間の抜けた返事を返し、笑顔で差し出された手を握った。真希は握った私の手をブンブンと振った。

 「よかったぁ。いい子そうで」と、さっきまで浮かべていたクールさとは真逆の人懐っこい笑顔で真希は言った。その様子を見て、明日花が笑う。

 「真希ちゃんね、本当は少し不安だったんだよ」

 「明日花! 余計なこと言うな!」

 「でも昨日も電話してきて『不安だよぉ』って泣いてたじゃない。心配だったんだよ?」

 明日花はにこにこと笑いながら、真希の心情を漏らしまくる。性格が悪いのではなく、悪気なく純真な思いで、真希の代わりに心情を伝えてくれているだけだ。つまるところ、明日花は“天然”なのだ。

 私は明日花の天然っぷりに乗っかって、皮肉たっぷりの笑顔を真希に向け、「泣くほどだったんだ」と笑う。

 「うるさいうるさいうるさい!」

 真希はわーっと声を上げながら、耳を塞いで坂道を駆け上っていってしまった。どうやら真希は見た目がクール系なだけで、明るく親しみやすい性格をしているようだ。私は苦笑いを浮かべた。

 「真希ちゃんね、すぐかっこつけようとするんだぁ。素の真希ちゃんで十分魅力的なのに」

 「たしかに。私も今の真希ちゃん、かなりかわいいと思う」

 「ね」

 明日花と目を合わせ、坂を上っていく真希の背中に笑い声を送った。



 クラス表が校門を入ってすぐの特別教室棟に張り出されていた。

 一階が職員室、保健室、一般者入場受付になっている。ここに願書を出しにきた時のことを思い出した。

 あの日は雨が降っていた。私はお気に入りの傘を差して願書を出しに来たのだ。その時はこの学校に通えるなんて思ってもみなかったな。私は少し懐かしさに体を任せて、目をつむった。感慨深いなぁと思っていると、その懐かしさ全てを引きはがすような、真希のとんでもなく大きな声が響く。

「明日花! 景! こっち!」

 先にクラス分けを目にしていた真希が、校門をくぐったばかりの私たちを見つけて手を振っていた。早速、呼び捨てになっていた気がする。真希はフレンドリーな性格でもあるみたいだ。

 私たちがクラス表の前に着いた時、真希が飛び込んでくるように私に抱きついた。

 「わっ」

 「景、明日花、今年一年お願いします!」

 「はい……?」

 飛びついてきたことに驚いているのもお構いなしで、嬉しそうな笑顔をさらに投げかけてくる真希。最初のかっこつけの真希はもう既になかった。まるで子犬みたい。真希のお尻から左右に揺れる尻尾が見える気がして、私は真希の頭を撫でた。

 真希は一瞬、何? という目をしたがすぐに「ほら見て!」と変わらず嬉しそうにクラス表を指差した。指の先にはクラス表が貼られていた。1年5組。私はじっくり頭から目を通していく。そして見つけた。

 「……あ」

 同じクラス表に私と明日花と真希の名前が書かれていた。

 「日頃の行いがよかったからだね。うん!」

 満足そうに、がははと笑う真希。その横で明日花は安心したような表情を浮かべる。不安で、緊張していたのは明日花も一緒なんだろうな。私も自然とほっと息を吐いた。

 これからの一年がどんな一年になるかはわからないけれど、たぶん、いや、きっとすごく楽しくなると思う。

 真希が駆け足で教室に向かう。明日花と私はまた目を合わせて、笑った。



 入学式はだらだらと終わっていった。校長先生の話や在校生代表の挨拶は右から左へスルーする。私にとって大事なのはお話ではなく、桜の坂道と、ここで誰とどんな風に過ごすかだ。

 教室に戻ると、入学式の最後に手渡された座席表を見て、自分の席を探す。出席番号順だな。私は石和だから、黒板に対して一番左の列、前から2番目の席だ。自分の席に座ると鞄を机の横にかける。このあと特に授業があるわけでもないから、授業を受ける準備をするわけでもなく、これから一年を一緒に過ごすクラスメイトをぐるりとチェックしていく。明日花は私とほぼ対角線の位置に、真希は私の席の列、一番後ろの席だった。

 真希と目が合うと真希が嬉しそうに手を振ってきたので、手を振り返した。本当、子犬だ。クールな見た目とのギャップで、グッとくる男子が多そう。

 ぐるりともう一回り、クラスメイトを見る。まだ空席になっているところもあれば、知り合い同士なのか隣・前後の席の子と話して盛り上がっているところもある。教室には続々とクラスメイト達が集まり、次第に空席は全て埋まり始めた。私は黒板に体を向けて、行儀よく背筋を伸ばした。

 このクラスには明日花と真希以外に、知り合いがいた。彼はまだ教室には来ていないようだ。

 「……ふう」

 一息、ため息に近い深呼吸をする。

 クラス表を見たときからわかってはいたけれど、これから顔を合わせるのだと考えると、不安とはまた別の原因で緊張してくる。私は緊張を紛らわすため、机に刻まれた傷を見つけて、触れてみた。今まで数々の先輩たちがこの机を使ってきたんだ。そんな当たり前のことしか考えつかず、いっこうに緊張は収まらなかった。

 もう一息、深呼吸をしようと、空気を吸った瞬間。

 「石和さん」

 彼の声が聞こえた。

 私は吸った空気を吐きだすべきなのか、もっと吸うべきなのか、それとも別の方法で酸素を消費すればいいのか、わからなくなった。

 「石和さん?」

 今度は疑問形。たぶん彼は人違いをしたのでは、と思ったに違いない。私は申し訳なさから空気をもっと吸うことにした。どうしてその選択肢を選んだのかは自分でもわからない。その結果、せき込んでしまった。

 なんで吸ったばかりなのに、さらに吸うんだ。私はバカだ。

 「やっぱり石和さんだ。大丈夫?」

 知らないうちに目の前にまで来ていた彼が、よくわからない理屈でせき込む私の顔を覗き込んできた。私は目をそらす。

 「だ、だいじょぶん」

 大丈夫、たぶん。そう言いたかったんだと思う。ぐちゃぐちゃになって何も言えなくて、変な言葉になって、それでも彼に答えずにはいられなかった。

 「そっか」と苦笑いを浮かべて、彼は「これから一年、よろしくね」と手を振りながら、自分の席に向かった。

 自分の名前より、明日花や真希の名前より、クラス表を見て、まず探したのは彼の名前だった。

 七尾ななお恒己こうき。人生で初めての恋。私の好きな人。

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