その4
「な、何て事だ!」
ユイ姫に突然降りかかった災禍に気付いた親衛隊の騎士達にも動揺が拡がった。
「姫様ぁっ!?」
「カタナ、近寄ってはいけません。巻き込まれてしまいます」
周りが狼狽する中で、肝心のユイ姫は冷静を保ち、慌てて飛び付こうとするカタナを制した。
極限状態に於かれている中でのこの冷静さは、流石と言うより驚嘆に値するものである。だが次第に青ざめていく顔だけは、気品をもってしても隠し切れるものではない。
やがて、ユイ姫の足許から光の粒子が立ち上り始める。この地雷は信管を外す暇を与えぬ為、一定の時間が経つと自動的に作動する様に設計されている様である。
足許から照らされるユイ姫の儚げな貌には、覚悟の色が在った。
鞘は只、歯噛みするしかなかった。
「父上に、宜しくと――」
鞘を見つめて刹那に悲愴な貌をしたユイ姫は、全てを告げられずに消失した。
「勝手吐かすな!」
ユイ姫が消滅したと同時に、鞘は叫んだ。
そして右拳を振り上げ、背負っている剣の柄に拳を勢い良く叩き付けた。柄の角で傷付けた拳から血が吹き出し、掌を伝い落ちて行く。
それが、小さいカタナを本来のカタナの姿へと戻す為の解呪方法なのである。
「我が命の滴の盟約に於いて問う!『操刀必割!』――封印よ、暫し退け!」
上空千メートルから墜落しているユイ姫は、拡散していく世界をじっと見つめていた。
こんな上空から〈ラヴィーン〉を観られる機会なんて滅多にない。――もう二度と無いだろうから、せめて最後ぐらい、自分が生きていた世界を見渡してやろうと思ったのだ。
(……なんて広く素敵な世界。ここであたしは生まれ、そして死んで逝くのね)
怖くはなかった。それは刹那の事だろうから、痛みなど感じている暇も無く楽に逝けるとユイ姫は合点していた。
只、後悔だけがあった。
父王の事。
国の行く末。
民の事。
――自分が自分で居られるあの少年ともっと過ごしたかったという想いが、地上との距離に反比例して大きくなって行く。
「鞘ぉっ!」
突然、ユイ姫は悲鳴の様な声で想い人の名を呼んだ。
耐えきれなくなったのではない。
遥か上空から、自分の許へ一直線に落下してくる鞘の姿をその視界に捉えたからである。
鞘は、魔導地雷を敢えて踏んで上空に転移し、封印を解いて剣霊モードとなったカタナから発せられる衝撃波で加速を付け、落下するユイ姫に追い付いたのだ。
ユイ姫はいつしか涙を流していた。再び鞘の顔を見る事が叶い、気が緩んだからである。だからユイ姫は、辿り着いた鞘の身体に思わず抱きついた。
「莫迦ぁっ! あんた、何て無茶するのよぉっ!」
「助けに来たのに莫迦呼ばわりするか」
鞘は、むすっ、と機嫌をそこね、ユイ姫の身体を押し退けた。
その押し退けようと自分の肩に触れる鞘の血塗れの右手が、盟約者の血を代償にして解かれるカタナの封印の為に傷付けられたものである事を、ユイ姫は即座に悟った。
「……ごめんなさい」
ユイ姫は、慌てて謝り、再び鞘に抱きついた。
「……意地悪なんだから、もぅ……。早く、地上へ転移して」
「ンな事したら、ぺちゃんこになる」
「え? どうして?」
「先の話の続きをするよ。
あらゆる物体は、分子と呼ばれる小さな物質の集合体でね、その分子は結合する為に常に運動しているんだ。
その運動エネルギーが全て停止すると、物体は熱量を消失して凍結し、やがて崩壊する。
だから〈転移〉の法術が、対象物の運動エネルギーも一緒に瞬間移動させている事は間違いない。
いわゆるエネルギー保存則というヤツで、これが悪さして転移した途端、施行者の身体が粉々になってしまう。――こらこら、寝るな」
「鞘が難しい事を言うからだよぉ……」
「お前は子供か。つまり、完全に転移する事は、物体に掛かっている全てのエネルギーも転移させる必要があり、対象物が落下しているのなら、落下物体に掛かっている落下運動のエネルギーも一緒に転移させる事になるのさ。
地上へ転移した途端、対象物はそこで着地した事になるので落下は止まるけど、しかし落下の加速で増大していた位置エネルギーが行き場を無くして施行者を破壊するエネルギーに変換される。
あの宮廷魔導法士が迎えた最期の様にな」
「え……まさか……?」
「何なら、試してみる?」
意地悪そうに笑って訊く鞘に、ユイ姫は頭をぶんぶん横に振り乱す。
揺れるユイ姫の視界に映る地上の光景が、拡大しながら迫っていた。地上に激突するまで、もうあと僅か。ユイ姫は溜まらず悲鳴を上げた。
「じゃあ、じゃあっ! どうやってこの窮地を脱する気ぃ?」
「〈転移〉する」
「なっ?! あ、あんた今、〈転移〉は危険だってっ?!」
「地上へはな。――カタナ。〈転移〉の法術は一度でも居た場所になら瞬間移動出来るんだろ?」
「可能よ」
「なら、今、僕達が落下してきた軌道の何処かへ〈転移〉するんだ。
但し、天地逆にして出現しろ」
了解、とカタナが応えた直後、鞘達は消失し、その地点から五百メートル程上空に出現した。
鞘達の身体は、命令した通りに、地上に向いていた頭が天に向けられていた。
「――空に――落――ち―る…ぅ…ぅ……!」
地上に居る親衛隊は、突然降ってきたユイ姫のドップラー効果の悲鳴に唖然となる。
地上から見れば、鞘達は突然空へ上昇し始めた様に見えるだろう。
しかしこれは、天地を逆にして転移した為に、継続する落下運動エネルギーによって“落ちている”のである。
やがて、鞘達の上昇する速度が落ち始め、最初に魔導地雷で吹き飛ばされた高度から地上までのほぼ中間点に達した所で、漸く落下運動エネルギーはゼロとなる。
そこが放物線の最頂点であった。鞘達の身体は空中で静止した。
「今だ、地上へ〈転移〉しろ!」
再び、鞘達は天空より消失する。
次の刹那に出現した所は、呆気にとられていた親衛隊達の目前であった。鞘はカタナとユイ姫を抱き抱えたまま、しっかりと地上に立っていた。
「うん、予想通り。落下運動の位置エネルギーさえ無くなれば、地上へ無事に着ける訳だ。全く、こんな面倒な心配しなければならないとは、ますます〈転移〉は嫌いに――あれ?」
ほっ、と鞘は一息吐き、抱えているユイ姫の様子を見た時、彼女の様子がおかしい事に気付いた。
ユイ姫の頬が紅潮し、瞳がとろんとしていた。その身体は小刻みにうち震えている。
「はぁぁぁぁぁあぁぁ」
高揚感に満ちている様な笑顔をするユイ姫が、困惑する鞘の顔を覗いていた。まるで何かを強請っているかの様に、にやり。
鞘は、彼女のその笑みが嫌いであった。
「断る」
「あら、そんな事言っていいのかしら?――ねぇ、カタナ。貴女のご主人がねぇ、ケチ臭い事言って、私の依頼を断ろうとするのよ」
「えぇっ?!鞘、何て冷たい事ゆぅんですかぁ!」
再びカタナが、潤んだ眼差しを鞘にくれた。これ以上足掻いても無駄であろう。
「もう、好きにしてくれぇ……しくしく」
呆れ気味の親衛隊達を余所に、困憊する鞘の腕を掴み、ユイ姫は再び魔導地雷を踏んだ。
どうせ全部壊すなら、この方が気持ちが佳い。
魔導地雷とカタナの〈転移〉を使ったバンジージャンプの快感に目覚めてしまったユイ姫の悪質な要求は、鞘にまた一つ、新たな悪夢の種を増やしたのであった。
完
魔導狩人 =ドロップゾーン= arm1475 @arm1475
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