その3

 ビスコ平原でかつて起きた惨劇の真相を知る者は、今となっては指折り数えるだけである。

 その一人が、カタナであり、かつ、当事者でもあった。

 かつてビスコ平原は、魔皇軍と反魔皇軍が激突した古戦場だった。

 少し青ざめた顔のカタナは、鞘の方に腰を下ろし、緑に包まれた平原の先を指した。


「あすこ……ですね?」

「確かにあの辺りで墜落死体が多く発見されているわ」


 軽装の法衣姿でいるユイ姫は、カタナが指した方向を見て頷いた。


「まさかこの奇怪な墜死事件の犯人が、反魔皇軍が仕掛けた魔導地雷だったなんてね」


 ビスコ平原の名を聞いて蒼白したカタナの口から語られた、真相はこうだ。


 その戦場は狂気に支配されていた。

 魔皇軍の優勢振りに、反魔皇軍を指揮していた諸外国の王達は、形勢を逆転すべく、ある効果の魔導力を封印した魔導地雷をこの平原のあらゆる場所に埋設し、この平原へ魔皇軍を誘い込んだ。

 その魔導効果とは、〈転移〉の魔導法術であった。

 魔導探知で発見されない様に抗魔処理を施されたその地雷を踏んだ者が飛ばされる先は、地上千メートルの上空であった。

 まんまと罠にはまった魔皇軍の兵達は、次々と地雷を踏み、地上へと墜ちていったのである。

 だがそれは魔皇軍だけに限らなかった。平原に集結した反魔王軍の兵隊達も同様に墜死していたのだ。地雷が仕掛けられている事は、前線に出ている兵達には何も伝えられていなかったのだ。必殺の策を魔皇軍達に悟られぬ為、後方の本営は何事も講じていない素振りで、前線の兵士達を指揮していたのである。

 平原に〈転移〉の魔導地雷が埋設されている事に最初に気付いたのは、魔皇の本陣に居たカタナだった。

 反魔皇軍のその余りの非道振りに激昂したカタナは、自ら進んで魔皇に自分の封印を解かせた。後世に伝わる〈魔皇の剣〉伝説の一つ、『一薙ぎで三千人斬殺』の伝説が生まれたのは、この戦場で反魔皇軍の本営を一瞬にして殲滅させた瞬間からであった。


「地表にも剣圧を放って全て破壊したと思ってたのに……逆上していた所為で幾つか見落としていたのね……あたしのミスです」


 カタナは唇を噛み締め、傍らにある鞘の髪をぎゅうっと掴んで嗚咽し始める。

 鞘が険しい顔をするのは、カタナに髪を引っ張られて痛がっている事だけではなかった。


「確かに、カタナのミスね」


 冷徹な発言の主は意外にもユイ姫であった。


「おい、ユイ姫……」


 鞘はユイ姫を睨むが、カタナを見つめている彼女の眼差しが実に穏やかである事に気付き、声を無くした。


「今、私たちはそれを咎め罰する事ではない。カタナ、今〈魔導狩人〉である貴女がなすべき事は何?」


 ユイ姫は、まるで母親が、泣いている子供を慰める様な優しい口調で訊いてみせた。

 カタナは、うん、と頷き、何も答えずに微笑み返す。ユイ姫は満足げに頷いた。


「……悪い、姫」

「さっさとカタナと協力して、残存魔導地雷の撤収を始めてよね」


 何ともつれない言い方である。

 鞘は何も言い返さなかった。曖昧だったが、鞘のの口元は、はにかんでいる様にも見えた。

 鞘が、やれやれ、と平原を見渡し、一緒に来ていた親衛隊の騎士達に地雷撤収作業の手順を相談しようとして振り返る。

 するとその視界に、小首を傾げているユイ姫が入った。


「姫、どうしたんですか?」

「……まぁ、これで原因が判ったのは良いんだけど……今一つ、納得が行かないのよねぇ」

「何か気になる事でも?」

「大あり。――この写真を見て」


 そう言ってユイ姫は、鞘に一枚の白黒写真を差し出す。

 〈ラヴィーン〉に半年前から、七十年代初頭のベトナムの戦場から紛れ込んで来た従軍カメラマンが、このミヴロウ国に身を寄せていた事を、鞘は思い出した。

 我々の知る〈こちら側〉の世界と〈ラヴィーン〉との間には、実は時間の連動性が全くない。

 その為、過去と未来の世界から紛れ込んで来た人間同士の邂逅は珍しくもない。

 恐らくこれは、件のカメラマンが一緒に持ち込んだ大量の写真器材を使って撮影したものであろう。

 化石燃料が無いこの世界で再び写真が見られるとは思わなかったのか、鞘は、どれどれ、と珍しがって写真をユイ姫の手から奪うように取って見た。

 途端に鞘は、青ざめ困惑する。


「……これ、………いや、?」

「一番最近の被害者よ」


 白黒写真であった事が僥倖だったと鞘は思わず仰ぐ。漆黒が拡散する壮絶な光景を収めた写真を指して、ユイ姫はけろっとしていた。これがカラー写真なら、臭いそうな真紅の色をしていただろう。


「ミヴロウの宮廷魔導法士の一人で有能な方だったわ。最初、彼がこの事件を調査していたンだけど、調査していた最中に行方不明になって、ね」


 鞘は今にも不満をぶちまけそうな顔でユイ姫を睨み付けるが、しかしユイ姫は無視して話を続けた。


「彼の得意な魔導法術は〈転移〉だったのよ。だから、上空へ飛ばされたのなら、〈転移〉で地上に戻って来られるハズでしょう? それがこの有様。それがどうしても解せないのよ」


 小首を傾げるユイ姫をみて、鞘は暫し考え込む。


「〈転移〉の地雷で、〈転移〉が使えなかった……役に立たなかった、というべきか。確かに、妙だけど……」


 鞘はしばらく唸ってから仰いだ。

 今日のビスコ平原は快晴であった。


「〈禁呪〉と呼ばれる中には浮遊術もあるそうだけど、それはかなりの魔力を貯めた熟練した魔導法士でないと、途中で術が切れて墜落してしまうから禁じられているそうね。カタナが飛べるのは、それだけ秘めた魔力が凄いって証拠なんでしょうけど」

「そうでもないですよ。飛んでいるとやはり疲れますし」


 そういってカタナは、仰いだままでいる鞘の後頭部にとりついた。


「鞘、何か判りました?」

「うんにゃ、わかんね」


 そういって鞘は、カタナがしがみついたままの頭を勢い良く前に戻した。

 カタナは、その勢いで飛ばされてしまう。

 キャア、と可愛らしい悲鳴を上げるカタナは、浮遊魔力の干渉もあってゆっくりとした、むしろスローモーションのような遅さで放物線を描く。放物線の頂点ぐらいにまで達すると、カタナはくるりと身を翻し、鞘の方を向いた。


「鞘、いきなり顔を動かさないでくださいよ」


 ところが、鞘はそんなカタナを見て、謝るどころか、感心した風に、あぁ、とポンと手を叩いた。


「なるほど。そういうコトね」

「「何?」」


 カタナとユイ姫が不思議そうな顔をした。


「〈転移〉が使える魔導法士が助からなかった理由」

「判ったの?!」


 ユイ姫は驚いた。

 すると鞘は、ここぞとばかりに、にぃ、と意地悪そうに笑ってみせた。


「そうだよなぁ。物理なんて、異界のお姫様には到底理解できないモンなぁ」

「何よぉ、その意地悪そうな笑顔は……いいから、説明しなさいよ!」

「ヤだ」


 そう言って鞘はつかつかと歩き始めた。


「こら、鞘! ふざけないで説明しなさい!」


 ユイ姫は鞘の後を追い掛けた。

 追いかけながら文句を言うユイ姫に、鞘は、やなこった、と日頃の恨みを込めて心の中でほくそ笑んだ。

 だが突然、自分を罵倒するユイ姫の声が止んだ。

 鞘は、ユイ姫が困惑して黙り込んだ姿を想像しながら十二歩ほど前進した処で、漸くユイ姫の様子がおかしい事に気付き、振り向いた。

 ユイ姫は、立ち尽くして沈黙していた。


「やべっ、本気で怒らせちゃったかなぁ」


 鞘は、もしかして泣かせたかな、と思いつつ、これくらいで泣く様なタマかよ、と直ぐに否定し、これくらいで許してやろうかと思い、ユイ姫に近寄った。


「来ないで!」


 俯くユイ姫に怒鳴られ、鞘は思わず身を竦めて立ち止まる。これは久し振りに本気で怒らせてしまったかな、と鞘は後悔した。


「これは依頼主としての命令です! 私に近寄ってはなりません!」


 怒鳴り続けるユイ姫の様子に、鞘は再び違和感を覚えた。

 ユイ姫は一人称を、あたし、ではなく、私、と言った。鞘に対して、私、と言ったのは初対面以来の事であり、とても久しく感じた。

 だがユイ姫の不断の一人称は、私、である。

 今の鞘の目前には気品に溢れた、凛然たる、将に王女と呼ぶに相応しい女性がそこにいた。

 それが鞘には違和感に他ならなかった。

 鞘は、漸く気付いた。

 ユイ姫のか細い右足が踏んでいる、草むらの隙間から見える、灰色をした魔導地雷の存在に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る