その2
瑞原鞘は、〈転移〉の魔導法術がとても嫌いだった。
〈転移〉の魔導法術とは、瞬間移動の事である。
遠く離れた地に一瞬にして移動する法術なのだが、必ずしも万能と言う訳ではなく、移動先が過去に訪れた地でないと移動出来ないと言う短所がある。しかし一度訪れた地ならば何処からでも戻れる為、辺境を旅する時などには大変便利な法術であり、辺境の村や町には、『転移屋』を営む冒険者あがりの魔導法士が、大抵ひとりは居る。
鞘は、それが確かに便利な法術だと頭では理解していても、生理的にはどうしても受け付けられなかった。だから今回も、自分の父親程も歳が離れている友人である、シフォウ王の依頼を旅先の辺境で受けて、自分の相棒である魔導法士のカタナの手に依る〈転移〉の法術で、左手に剣を持ったままミヴロウ国の王宮内へ嫌々瞬間移動すると、直ぐに自分の身体を手探りし、来ている詰め襟の学生服のポケットの中まで見て何処も異状が無い事を確かめて、ようやく、ほっ、と安堵の息を吐いた。
「鞘。何も毎度毎度、そンなに神経質にならなくったってイーじゃなイよォ。それとも、アたイの施術に不安でもアる訳ェ?」
毎度の事とは判っていたが、カタナは鞘の鼻先を指して呆れる。
「そう言う訳ではないのだが、今イチこの〈転移〉って奴が好きになれないのだよ、スポック君」
「誰よそれ? この間はカークとか言ってなかったっけ?」
不満げに美貌の頬を膨らますカタナは、苦笑いして答える鞘の左肩の上から彼の髪の毛を軽く引っ張った。
鞘の美しき相棒は、鞘が持つ剣の柄の先に居た。まさにその姿は名の通り、カタナは刀身そのものであった。カタナは鞘との盟約している剣の神霊なのである。
「相変わらずの漫才コンビね」
宮廷の庭に突然現れた二人に気付いて、宮廷内の警備を務める親衛隊の騎士が三人、楼閣の中から現れる。
その後を追う様に、腰まである綺麗な黒髪を冠した、歳格好は十五才の鞘と同い年ぐらいか、金糸で装飾されたドレスを纏う、高貴そうな美少女が現れた。
「やぁ、ユイ姫。お邪魔してますよ」
鞘は近づいてくる美少女に気付くと、その気品さにも全く気後れせず、気軽に挨拶した。
「お邪魔って……」
ユイ姫と呼ばれた美少女は苦笑いして、
「この宮廷内には強力な抗魔導結界が張ってあるのに、こうも毎回、貴方達は簡単に侵入出来るのかしら。――何て愚問だったわね。流石は〈魔皇の剣〉」
「姫。余りその名では呼ばないでくれよ」
鞘は困った貌をして言うと、柄の先にいるカタナを伺い見る。
カタナはもう聞き飽きたと言わんばかりに肩を竦めてみた。
かつて魔導界〈ラヴィーン〉に世界の覇を唱えた、魔皇、と呼ばれた男が居た。
魔皇は自らに刃向かう勇者達を、その二つ名をもって多くの人々から怖れられていた、凄まじい破壊力を持つ剣の神霊が宿る一振りの魔剣を揮い、次々と屠っていた。
魔皇の死後、その魔剣は〈ラヴィーン〉の表舞台から姿を消していたが、一年前、異界『日本』からやって来たという学生服姿の少年が背負う頭陀袋に収まって再び現れた。
魔導狩人。覇権を目指した魔皇が用いた数々の魔導器による問題解決を請け負う冒険者を人々はそう呼ぶ。
奇縁の末に〈魔皇の剣〉を手に入れた若き魔導狩人と美しき剣の神霊の活躍を識る人々は、その魔剣を忌まわしき名で呼ばず、新たに与えられた名をもって讃えていた。
「ごめん。今は、〈鞘の剣〉、だったわね」
「ところで、火急の用って事だけで詳しい事も聞けずに呼ばれたけど、お父上は?」
「王なら、今朝ほど騎士団を引き連れて、ジュウケイの港を襲った海賊の討伐に向かわれましたわ。後の事はあたしに任せるって」
そう言ってユイ姫は、何かを強請っているかの様に、にやり、と微笑む。
鞘は、彼女のその笑みが嫌いであった。
「何よぉ、その心底嫌そうな貌は?」
「だって、姫が今みたいに笑った時は、僕は後で必ず散々な目に遭っているんだぜ」
「何よ。まるで、あたしが原因みたいな言い方ね」
違うのかよ、と鞘は不機嫌な貌をする姫に聞こえぬ様、ぼそりと呟く。
いつしか邂逅を始めた鞘の脳裏には、このユイ姫が余計な首を突っ込んだ為に酷い目に遭った過去が明滅していた。
ある時は六十メートルの落差を持つ滝壺へ落とされた。
ある時は爆炎の海に独り取り残された事もあった。
数万匹のヒルの沼に落ちた時は、本気で死を覚悟していた。
それらは今も、悪夢となって鞘の安眠を妨げていた。
「ねェ、鞘。王が戻るまで待った方がイイんじゃなイ? アイつがどう想ォとも、アたイはアの姫さん、苦手。色々ちょっかイ出されて、散々な目にアってるからねェ……」
険しい顔で耳打ちするカタナに、鞘は、うんうん、と本気で頷いた。
「悪いが僕らは王の依頼で来たんだ。王が不在なら一旦帰らせてもら……?」
突然、鞘達のいる空間が白色に染まった。
その場にいる者達全ての輪郭さえも消失せしめた突然の発光は、鞘が抱えていたカタナの身体から発せられたものだった。
再び世界が色を成した時、鞘が手にしていた剣の柄の先は、刃の無い両刃の直剣と入れ替わっていた。
今まで刀身であったあの美女は、僅か三十センチ弱の背丈しかない赤い髪の小美人の姿となって、鞘の肩にちょこんと腰を下ろしていた。
世界を破壊し兼ねない凄まじい破壊力を秘めるが故に、カタナは全魔導力を発揮出来る剣霊状態で居られる時間を封印で制限され、不断はこんな儚げな小美人の姿でいるのである。
「もう封印ですの? あ、ユイ姫さまぁー♪」
暫し寝ぼけ眼で呆然としていた小さいカタナは、ユイ姫の姿を見るなり、嬉々とした表情でユイ姫の胸元に飛び付いた。カタナは、封印前と後では別人格を持ち、若干の記憶は共有するものの、一方の人格が表に出ている時は片方は睡眠状態になってしまうのである。
ユイ姫はまるで子猫の様に嬉しそうにじゃれつくカタナを抱いて、くすぐったそうに微笑んだ。
「姫、いつの間に小さい方を手懐けた?」
「人徳よ、人徳」
忌々しそうに言う鞘に、ユイ姫はしたり顔で応えた。
「ねぇ、カタナ。貴女のご主人がねぇ、ケチ臭い事言って、あたしの依頼を断ろうとするのよ」
「えぇっ?!鞘、何て冷たい事ゆぅんですかぁ!」
カタナはユイ姫の胸元から、鞘を潤んだ眼差しで睨み付けて訴えた。
小さいカタナは、姉御肌の大きいカタナとは全く正反対の性格を持ち、非常に繊細な心の持ち主であった。もし、このままカタナに泣かれでもしたら一大事である。以前、宥めるのに丸一日掛かってしまった事がある程、とても気難しくなるのだ。
鞘は、自分の不利を悟った。
「さぁ、これでも断れる?」
(……このビッチ姫、頭に乗りやがって)
鞘は心の中で悪態を吐き、ガックリと項垂れた。
「あはは、じゃあ、決定ね。依頼の内容を説明するから、ついて来てね」
痛快そうに笑うユイ姫はカタナを抱き抱えたまま踵を返し、楼閣内へ歩いていった。
やれやれ、と肩を竦める鞘の肩を、ユイ姫に付き添っていた親衛隊の騎士が一人、ポン、と軽く叩いた。
「鞘殿、誤解しないで下さいね。不断の姫様はあんな意地悪な方ではありませんから」
「……判ってますって」
鞘は済まなそうに弁解する騎士に苦笑してみせた。早くに母を亡くし、事件が起こるや先陣を切って出陣する行動派の父王に代わって、僅か十六才にしてミブロウ国の執政を任されている才色兼備の美姫を酷評する者は、国内外問わず皆無であった。
「鞘、何をもたもたしているの! 貴方には一刻も早く、ビスコ平原の墜死事件を解決してもらいたいんですからね、さっさと――?」
楼閣の奥から鞘を呼ぶユイ姫の声のトーンが、不意に下がった。
ユイ姫の胸に抱き抱えられてじゃれていたいたカタナの身体が突然、固まったのだ。
見る見るうちに蒼白するカタナの、ゆっくりと震え始めた唇が、弱々しい声を紡いだ。
「……ビスコ平原の墜死?」
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