21.相対
そう言って連れていかれたのは、屋敷の奥、フィーネのいた部屋よりも格段に豪華だとわかる一室だった。
シキが不思議な節をつけて扉を叩くと、ややあって「入れ」と声が返ってきた。扉越しでくぐもっているので、記憶の中の誰の声とも照合できず、フィーネは緊張の解けぬままシキに続いて部屋に入った。
そして、そこに佇んでいた人物を目にして、目を瞠る。
あまりにも、あまりにも――予想外すぎる人物だった。
「麗蘭……!?」
そう、そこにいたのはフィーネや院長と同じ黒髪黒目を持つ、シルフィードの血を引く人――麗蘭だった。
「そ、『依頼人』は麗蘭だ。正確には『リフ』――この国の第一王子サマなんだけどな」
「人の事情をベラベラと喋るな」
「事情ってほど突っ込んだ内容でもなくねぇ? お前がなんでフィーネを攫わせたかとかそれによって得る利益だとかの話はしてないだろ」
「…………」
シキの返しに、麗蘭――リフはむっつりと黙り込む。
「まー、俺がいたら話しにくいこともあるだろうし? 邪魔者は退散するぜ」
シキはそう言って笑って、フィーネとリフを置いて部屋から出ていってしまった。
どんな顔を、どんな反応をすればいいのかわからず固まるフィーネを見遣ったリフの表情が改められる――固く、どこか覚悟を決めたようなものに。
「言い訳をする気はない。……だが、意図的に巻き込んだことは、申し訳ないことだと思っている」
「……その喋り方が、素なの?」
「……気にするところはそこか」
だって、フィーネの知る『麗蘭』とあまりにも違うのだ。喋り方も、表情の作り方も、雰囲気も。
穏やかで優しくて、優雅で。そんな印象を抱いていた麗蘭が、こんなにも悲痛な――悲壮な決意をまとった人だったなんて、思いもしなかったのだ。
そう、彼がフィーネを見る目には悲壮さがある。
フィーネはその目を知っていた。その人はもう、その感情を綺麗に覆い隠して、フィーネを優しく見守ってくれているけれど。
フィーネは、リフの瞳をじっと見つめて、言った。
「あなたは、誰を……誰をわたしに重ねているの? 誰に対して負い目を感じて、後悔してるの?」
「……!!」
フィーネの言葉にリフは目を見開いた。
*
……ずっとずっと、後悔していた。悔やんでいた。
負い目があった。
自分が生まれてさえこなければ、母は死ななかったのに、と。
本当にそうなのかは分からない。遅かれ早かれ母は命を奪われていたかもしれない。
けれど、母が殺された要因の一つには、〈自分〉という不測の第一王位継承者が生まれてしまったことがあって。
なのに自分はのうのうと生きている。母の仇の下で暮らしている。
まぁセイが即位したときの奴らの顔には笑わせてもらったが。いい気味だ。恩恵に預かるためだけに育ててきた自分が王にならないとは考えていなかったのだろう。
いい機会だと思って、奴らを公に罰してもらうための計画を立てた。結果的に自分が首謀者に見えるようなものになってしまったが、別に構わなかった。あいつらを裁いてもらえるのなら、自分の命さえ惜しくはない。
その計画の一環で近づいた少女。恐らくセイが最も大事に思っているだろう少女。
彼女は自分と同じく異国の血をひいていた。何となく穏やかな気持ちになれる雰囲気を持っていた。
……いつの間にか、自分も彼女を大切だと感じるようになっていた。
元々の計画でも彼女の安全については考慮していたが、万が一にも奴らに傷つけられないように、あらゆる手を打って。
もう計画も終盤に近づいている。
きっとこれが、彼女と話せる最後の機会だろう。
リフは、ゆっくりと口を開いた。
*
目の前のリフは、悲痛な色を瞳に湛えたまま動かない。
自分が尋ねたことはそんなにも答え難いものだったのだろうか。
彼のとても深いところに関わることなのだろうとは予測していた。
……だけど、とても辛そうだったから。
辛くて悲しくて苦しくて、それでも誰にも頼ることは出来なくて、ギリギリのところで自分を保っているように見えたから。
だから、思わず尋ねてしまっていた。
しばらくの沈黙ののち、彼はゆっくりと、言葉を探すように口を開いた。
「君は……君は俺を恨んではいないのか? 俺は君を攫わせた」
言葉こそ質問の形をとっていたが、フィーネにはまるで糾弾されたがっているように見えた。口汚く罵り、憎しみを向けて欲しいかのように思えた。
「……確かにあなたはわたしを攫わせたけれど、でも、わたしに酷いことはしなかった。むしろ、そうならないように手を打ってくれた」
そうでしょう?と確信を持って訊ねれば、沈黙が返る。それが何よりの肯定だった。
先程少し危ない目に遭ったが、あれは完全なるイレギュラーだろう。シキたちもそのようなことを口にしていた。
「恨んでいないわ。恨む理由がないわ。それともあなたは、わたしに……恨んでほしいの? そうあってほしいと願っているの?」
巻き込まれた人間が、巻き込んだ――原因となった人間を恨んでほしいと。憎んでほしいと。
まるでそうあってほしいのではないか、と。
フィーネの問いに、リフは苦く笑った。
「……誰を重ねているのかと、問うたな。俺は、君以外のシルフィードの民の女性を知らない。……見たことが、ない」
「それは……」
ありえないだろう、とフィーネは思う。だって麗蘭は、リフはシルフィードの血を引いている。母方がシルフィードの民だったと、麗蘭はいつだかに語っていた。
けれどフィーネがその疑問を口にする前に、リフは続ける。
「俺の記憶に、母の姿はない。生まれて間もなく、彼女は死んだからだ――殺された。俺を生んだがために」
フィーネは息を呑む。殺された、という言葉の強さに。
「証拠はない。だが、そうだろうとずっと思ってきた。――俺を育てた貴族が、それに関わっているだろうと。どうしてそんな奴に俺を預けたのかとも考えた。父が……前王が無意味にそんなことをするとは思わなかったからだ。そして、これは復讐しろと言われているのだと、思った」
「ふく、しゅう……」
「遠回りな方法だ。迂遠に過ぎる。どうしてそんな方策をとったのかまではわからない。だが、俺はその通りに、復讐しようと考えた。……俺が王にならなかっただけでも、奴らには痛手だっただろうが。失脚させ――反逆罪で処刑させる方法を考えた。そして君に近づいた」
では、あの優しい麗蘭は、すべて演技だったのだろうか。過ごした時間は、すべて偽りのものだったと。
「……だが、君と関わって……利用するだけのつもりだったのに、共に過ごす時間が、楽しかった。そんな権利はないのにな」
「そんなこと……」
「慰めはいい。俺のせいで母親は死んだ。父親は俺を復讐の道具にした。人並みの幸せなんて、感じる権利なんてないと――思っていても、君と過ごす時間は楽しかった。罪悪感はあったが、君と出会えてよかったと思っている」
穏やかな声だった。穏やかな瞳だった。
それは、何かどうしようもない覚悟を決めてしまったような。
「ありがとう。俺はたぶん、君を、記憶にはない母のようだと思っていた。きっとこういう人だったのだと思っていた。誰からも愛されて、誰をも穏やかにさせてしまうような――そういう人だったらいいと思っていた」
それは別れの言葉だった。リフは外に向かって「シキ」と一声かける。一瞬にして現れ出でたシキが「もういいのかよ」と言うのに頷いて、「丁重に送り届けろ」と告げる。
「麗ら……リフ!」
「さようなら。君の未来に、幸福があるように」
そうしてシキに首筋を撫でるようにされて、フィーネは意識を失ったのだった。
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