16.一方その頃



 盛大な即位式が終わってから、セイは院に顔を出す時間すら取れない状況に置かれていた。


「うぅ……頭痛い……」


 一人きりの執務室――のさらに奥の小部屋にて、セイは政務で凝り固まった体をほぐすように軽く肩を回しながら呻いた。


「重要な案件はひとまずあの王様……じゃなかった前王様が終わらせておいてくれたっぽいのにこの量……ちゃんと部下とか選ばないとダメだなこれ……」


 あの前王様はなんだかんだと能力が高かったので全部ひとりで処理していたらしいが、セイには無理だ。というかまず部下がいないとか信じられない。それが通ってしまうのがこの国――『聖王国』セントバレットの怖さである。


「頭痛に効くツボでも押してあげましょうか」

「精神的なアレだからいいです……」


 他に誰もいないはずの部屋に声が響くのにも慣れたものだ。護衛としてついてくれているシオンが時々声をかけてくるのである。一人が苦痛ではないとはいえ、こうもずっと一人きりだと気も滅入るのでありがたいと言えばありがたい。


「シオンさんは、あの前王様の部下――じゃなかったんですよね?」

「違いますね。近いものではあったと思いますが……何せ私はあの王様を殺そうとして返り討ちに遭って、使い勝手のよさそうな駒として拾われたので」

「え、それ初耳。っていうかあの前王様、そんなに強かったっけ」

「いいえ。あの王様本人ではなくて、身近にいたんですよ、とんでもなく強いのが」


 言われて、考える。一応前王が親しく(?)していた人くらいは把握している。シオンしかり、院長しかり。その中で、シオンを上回る強さの人物と言えば。


「もしかして、……ゼスさん?」


 ゼスというのは、今は国外に出て行っていていない、剣の達人の名前だ。確か異母兄たちが彼に指南を受けたことがあると聞いている。


「当たりです。さすがに勝てませんでしたね。そもそも暗殺者なので、真正面からの打ち合いになった時点で負けでしたし」

「暗殺の件、事前にバレてたってことですか?」

「そうなんですよ。リツ――君には『院長』の呼び名の方が馴染み深いですかね――彼の異能でバレバレでした。反則過ぎますよね」


 暗殺が事前にわかっているほど、対策しやすいことはない。確かに反則だ。それにしても。


「えーと、正妃様と、院長と、ゼスさんと、シオンさんと――この全員、前王様の部下ってわけじゃなかったんですか? そういうことまでしてて?」

「『友人』なんですよ、あの人たちは。私はちょっと違いますけどね」

「そのわりにあんまり仲良くなさそうな……正妃と前王様とかめちゃくちゃ仲悪いって院長が言ってたんですけど……」

「それはですね、本当は間にもう一人、繋いでくれる人がいたからですよ。その人がいなくなったから、もう仲の悪さが手を付けられないったらないです」

「もう一人……?」


 首を傾げるセイに、シオンはくすりと笑う。


「あなたも存在だけは知っているはずですよ。幻の妃、悲劇の妃……――第一王子の母君です」


 息を呑む。確かに存在だけは知っていた。前王の即位前に亡くなったという恋人の話は。

 彼女が生きていれば正妃の座は彼女のものだっただろうと院長は言っていた。それほどに前王は彼女を愛していたのだと。

 彼女の死は『事故』として処理されていると聞かされている。実際どうだったかは語られなかったが、含みがある言い方だったので、穏便なものではなかったのだろう。

 つまり、彼女が邪魔な人間がいたのだ――恐らくは、王に庶民の娘を寵愛されると困る人間が。

 そういった人間がまだ残っているかもしれないから、セイはフィーネを護衛してもらえるようにシキとカヤに頼んだのである。

 前王はなぜか、私欲によって謀略を扱う地位ある人間をそのままにして治世を敷いた。王となれば『何だって通る』のがこの国の特徴だと思っていたが、まだセイの知らない何かがあるのかもしれないし、前王に何か考えがあったのかもしれない。張本人が行方をくらましているので、直接聞くことはできないが。

 押し付けられた玉座だ。今まで興味もなかったし、院長から受けていた教えもこの国独自のものには詳しくなかった。院長は他国の人間だったのだから当たり前だけれど。

 知らないことばかりだ。さしあたってはどこからどこまでが本来王の仕事なのかを把握して、文官に振らなければ早晩潰れる。セイは前王のように化け物じみた処理能力は持っていないので。


「第一王子の母君の話は、そのうち聞かせてもらえますか?」

「現王様の頼みですからね、仕事が一段落した息抜きにでも教えましょう。……フィーネさんに関わることかもしれないから、気になるんでしょう?」

「……えっ、いや、はい、そういうつもりもあります……」


 図星をつかれて少々取り乱してしまった。まだまだ修行が足りない。思い出しては恋しくなるフィーネの顔を思い浮かべながら、セイは一つ溜息をついた。

 会いにも行けない現状はさすがに不本意だ。気合を入れて一段落させなければならない。

 軽く伸びをして、セイは政務の続きに取り掛かった。

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