15.四人のお茶会



 天気のよい暖かな午後。浮き立つ気持ちに頬を緩ませながら、フィーネはお茶の準備をしていた。

 砂霧の店で仕入れた緑茶に、カヤが作ってくれた大福もお茶請けとして用意する。

 シキとカヤをお茶に誘った日から恒例となった午後のお茶会は、フィーネの毎日の楽しみの一つになっていた。

 あの日から彼らとの距離はだんだんと縮まって、敬語もなくなり、今では朗らかに雑談を交わす仲にまで進展している。

 このお茶の時間には、シキとカヤが『何でも屋』として関わった様々な仕事の内容を面白おかしく話してくれる。語り手はもっぱらシキだが、カヤも口数は少ないものの会話に加わってくることが増えた。シキ曰く、大変異例なことらしい。一体カヤは普段どれだけ無口なのだろう、と思ったことは秘密である。

 彼らと談笑するお茶の時間は楽しい。しかし、今日はそれだけではない。

 フィーネがこのお茶の時間を心待ちにしているのには、シキとカヤと他愛ない話をたくさんできるから、以外にも理由がある。正しくは、最近一つ理由が増えたのだ。

 お茶会のための全ての用意を終えて庭に出て、設置されているテーブルにそれらを並べていく。いつものようにどこからともなく現れたシキとカヤがそれを手伝ってくれた。毎日行っていることなので滞りなくそれは終わり、各々定位置に座る。

 と、それを見計らったかのように、院の周りを囲む垣根の外から声がかかった。


「こんにちは。今日もお邪魔させていただきますね」


 美しく微笑むその人の髪は艶やかな黒。そして瞳もまた、黒だった。


「いらっしゃい、麗蘭!」


 そう、フィーネが特にこのお茶会を楽しみにしていたのは、この人の存在があるからだった。

 外見と名前からわかるように、麗蘭はシルフィードの血を引いている。生粋のシルフィードの民ではないらしいが、院長の知り合いということで顔を合わせて以降、来訪時には会話する程度には付き合いがあったのだが、先日シキとカヤと三人で庭でお茶をしているところにしばらくぶりに現れ、声をかけられたのだ。それ以来、十日に一度くらいの頻度で訪れてくれるようになったのだった。



 麗蘭が席に着くのを待って、午後の茶会は始まった。

 まずは皆、お茶とお茶請けに手を付ける。会話はそれから、というのが、いつの間にか決まりごとのようになっていた。

 麗蘭が、茶器を手に取り、香りを堪能し、茶器の縁に口を付け、味を楽しみ、嚥下する。

 一連の、優雅で洗練されたその仕草に、フィーネは密かにうっとりした。自分も礼儀作法は院長に仕込まれたためにそれなりにできると自負しているが、麗蘭のそれには自分にはない品があって憧れる。

 お茶請けの大福を一口食んだ麗蘭が、僅かに目を見開いた。


「これは……中に栗が入っているのですか?」


 悪戯を成功させたような気持ちで、フィーネは答える。


「はい。餡の他に何か入れるのもいいんじゃないかと思って……。作ってくれたのはカヤくんなんですけど」

「……フィーネが提案してくれなかったら作らなかった。だからフィーネが作ったのと一緒」

「それは違うと思うな……」


 カヤがかなり論理の飛躍したことを言い出したのでとりあえず否定しておく。


「とてもおいしいですね。フィーネ、カヤ、ありがとうございます」


 カヤに大福の作り方を習ったので、いつもなら茶請けは自分で作るのだが、新しいことに挑戦するだけの腕はまだないので、今回はカヤに頼んだのだ。フィーネの発想以上のものをカヤは作ってくれた。試食はしたし、カヤやシキもおいしいと保証してくれたが、やはり他の人の反応が気になったのだ。


(気に入ってもらえたみたい。よかった)


 ほっと胸を撫で下ろすフィーネ。シキも無表情ながら満足そうだった。


「そういえば、この間の新王の即位式、見に行きましたか?」

「一応……遠くから眺めるくらいなら」


 にこやかに麗蘭が切り出した話題に、フィーネは何とか動揺を表に出すことなく、しかし複雑な心持ちで答えた。

 未だに認めたくない――というか嘘なんじゃないかと思ってしまう。それは即位式を見ても尚だ。

 ついこの間まで院で自分と寝食を共にし、あまつさえ自分が怒鳴ったり荷物持ちに使ったりしていた人物が新王だなんて、そう簡単に信じられるわけがない。


「前王が表舞台に姿を現さなくなって久しいですが……似ていらっしゃいますよね」

「……そうなんですか?」


 話の流れから何と何を比較してなのかは理解できたものの、フィーネは前王を見たことがない。生誕祭の時に見ようと思えば見ることが出来たが、院長に人が多くて色々と危ないからと止められて以来、生誕祭の日は院の中で過ごすことにしていたからだ。

 陽の光に夕焼けの色を一滴混ぜたような金の髪を持つのだと以前院長が漏らしていたが、容貌については聞いたことがなかった。


「少々色は違いますが同じ金髪ですし、瞳の色も近かったですよ。恐らく母君よりは前王に似なさったんでしょう。面影もありましたし。……まあ、前王よりは大分穏和な印象ですけれど」


(穏和……『頼りなさそう』の言い換えじゃないよね?)


 そういう迂遠な言い回しで貶めることを麗蘭はしないと思っているが、心配になる。王になったのなら、国民にはいい印象を持ってもらいたいと思うのは、身内だからだろうか。


(……もう、『元』かもしれないけど……)


 そう考えてしまうのは、セイが生活の場を城に移したからだ。王なのだから当たり前なのだけれど、もう院の一員ではないのだと思い知らされる心地だった。新しく院に住む予定の人がいるわけじゃないし、と言い訳をして、セイの部屋の片づけは手を付けていない。その気持ちをわかってくれているのか、院長にも何も言われていない。

 けれど政務が忙しいのだろう、即位式の後、セイは一度も院に顔を出していなかった。本人は生活の場を移すと伝えてきたときに「でもちょくちょくこっちには来るから!」と言っていたのだが、フィーネを気遣って言ってくれただけだったのかもしれない。


「……フィーネ? どうかしましたか?」


 麗蘭の声にはっとする。お客様の前で物思いにふけってしまった。


「い、いえ、何でも……」

「フィーネは院から人がいなくなったのが寂しいんだよな」


 何でもない、と言いかけたフィーネに被せるようにカヤが口を開いた。


「人がいなくなった?」

「一緒に住んでたやつが出てっちまったんだってさ。まあ、孤児院だからそういうこともあるだろうけど、仲が良かったから寂しいんだろ?」


 そう――そうなのだろう。カヤの言う通りだ。自分はただ、寂しいのだろう。

 傍目にもフィーネが落ち込んでいるのはわかったのだろう、麗蘭は言葉を選ぶように問いかけてきた。


「でも、二度と会えないのではないのでしょう? それとも、どこか遠くへ行ってしまったのですか?」

「遠く……のような、そうでもないような……。ただ、いきなりだったので。それに、こちらからは会いに行けなくて、心配で」

「便りがないのがいい便り、という言葉もありますし、何とかやっていっている途中だから会いに来れないのかもしれませんよ。きっと、落ち着いたら顔を出しに来るでしょう」


 にこりと微笑まれながらそう言われると、麗蘭の言う通りのような気がしてきた。

 よし、と気合を入れ直す。セイのことは確かに気にかかるけれど、今は楽しみにしていたお茶会の時間なのだ。楽しまなくては。


「湿っぽくなっちゃってすみません。お茶のお代わりを淹れましょうか!」


 務めて明るく振る舞うフィーネの意を汲んでくれたのか、その後はいつも通りシキとカヤの仕事の話で盛り上がったり、麗蘭が持ってきてくれた街で話題だという菓子を皆で食べたりして、穏やかに過ぎたのだった。

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