14.自分の心


 シキとカヤに連れられて帰って来た、半ば心ここにあらずのフィーネを見て、院長は「おや」と片眉を上げた。

 付き添うように立つシキとカヤに視線を向ければ、シキが事の次第を耳打ちする。


「なるほどね……」


 思案のための間を一拍置いて、院長は口を開いた。


「少しの間、護衛を外れてもらえるかな。なに、そう長い時間じゃない。お茶で一服する程度の時間だから。いいね?」


 拒否を許さない笑顔でそう言って、院長はフィーネを連れて私室に入っていってしまった。シキとカヤは顔を見合わせる。

 扉を閉められたからといって、今までどおりの護衛を続けるのにはなんら影響はない。だが、院長がああ言ったということは、そうすることがなにか不都合に繋がるのだろう。

 まあ危険なこともないだろうしいいか、と結論付けて、シキはカヤを促して一服しに向かうことにしたのだった。




 一方部屋の中では、院長とフィーネが机をはさんで向かい合っていた。

 自分と目を合わせることすらなく呆然としているフィーネを、『なかなか重症だなぁ』などと考えつつ観察する院長。

 しかしそうしていても何の解決にもならないので、苦笑しつつ声をかける。


「フィーネ。……フィーネ」


 名を呼んでみるが反応はない。名は『呪』。名づけられた当人に、否応なしに影響を与えるものだ。特に、シルフィードの民にとっては。

 少し考え、院長は彼女のもう一つの名を口にする。


「『終華』」

「っ、はい!?」


 弾かれたように返事をしたフィーネは、目の前で笑顔を浮かべる院長に目を丸くした。次いで、自分のいる場所が院長の私室だということに気づいて驚く。いつの間に、と一瞬思ったものの、そういえば場所を移動した記憶があるようなないような。


「なかなかに、新王即位の儀は――それを直接目にしたことは、君にとって衝撃的なことだったみたいだね」

「……。……そう、だったみたいです」


 あんなに衝撃を受けるなんて、思ってもみなかった。明確に分かたれた道――立場の差異をまざまざと見せ付けられた気がする。

 セイに新王になると聞かされたときから、そんなことはわかっていたつもりだったのに。

 眉間に皺を寄せて黙り込んでしまったフィーネに、院長は優しく微笑んだ。


「君は今、少し混乱してしまっているんだろう。無理もない。とても急な変化だったからね」

「院長は、……当然、知ってたんですよね?」


 確認の意味を込めてフィーネが問えば、院長は軽く首を傾げる。


「セイの身分を、ということかな? それとも、王になるということを?」

「両方、です」

「そうだねぇ……」


 と、少し考える風に院長は視線を外した。


「身分のことなら、最初から知っていたよ。院に、というか私にセイを預けたのは現王――じゃなかった、先王であらせられるからね。でも、王になるということは、それが決定するまでは聞かされていなかった。最初からセイが王位に就くと決まっていたわけではなかったからね」

「どうして、」


 言いかけて、フィーネは一度言葉を止めた。けれど、何を言うでもなく自分を見る院長の目をしっかりと見返して、再び口を開く。


「……どうして、隠していたんですか?」

「その質問に答えるのは、少し難しいね」


 言って、院長は淡く苦笑した。


「まず最初に誤解のないように言っておくと、フィーネを信用していなかったからじゃあないよ。……何度か、話してもいいかな、と私は思ったのだけどね。どうもセイが、君には知られたくなかったようだったから」

「セイが……?」

「そうだよ。明確に言われたわけじゃないんだけどね」


 院長の言葉を聞いたフィーネの表情が曇る。セイが自分に事情を知られたくなかったというのなら、つまりそれはセイにとって自分は事情を知らせるほどの価値がなかったということになるのではないだろうか。

 変化した表情からフィーネの思考を読み取ったのだろう、院長は再び苦笑した。


「万が一誤解をしているようなら、ちょっとばかりセイが可哀想だから代わりに弁明させてもらうと、別にセイがフィーネに含むところがあったというわけでは――いや、ある意味含むところはあるのだけれど、フィーネが考えているようなことはないよ。……単純に、フィーネを巻き込みたくなかったんだろう」


 そう言うと、院長は僅かに目を伏せ、声を低めた。


「あの子は、権力を欲する人間が、そのためには手段を選ばないということを、身をもって知っているから」


 その台詞が暗に示すことに気づいてしまって、フィーネは知らず息を呑む。院長は遠くを見るように目を細め、言った。


「セイはね、権力を厭っている。権力を欲する人間が、平然と他人を踏みにじると知ってしまったから。――そんな人間が居る世界に、フィーネを近付けたくなかったんだ」


 フィーネは静かに俯いた。長い黒髪がその表情を隠す。


「……セイは、馬鹿です」

「うん」

「そんなの、言わないとわからないのに」

「そうだね」

「そんな場所に、自分は行ったくせに」

「だからこそ、なんだろう」


 院長の言葉の意味もわかるから、フィーネはただ、「本当、馬鹿です」とだけ呟いた。

 その声が湿り気を帯びていたことに院長は気付いていたし、フィーネも院長が気付いているだろうとわかっていた。けれど、二人とも何も言わなかった。


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