8.授業
「――……頼みたいことは、以上だ」
青年はそう言って話を締めくくった。黙って話――彼からの『依頼』の内容を聞いていた少年が、にやりと笑う。
「ふーん? あの嬢さんに関してはちょっと意外だな。面識ないんじゃなかったか?」
「打てる手は打っておくに限るだろう。ありふれた手というのは、つまりそれだけ過去に成功した例があるということだ。可能性としては高い。念には念を入れておくべきだろう」
生真面目に返された言葉に少年は納得したように頷く。
「その意見には賛成だけどな。……ま、いーか。俺らは頼まれた仕事をするだけだし」
「ああ、頼む」
僅かに笑んだ青年に、少年の内に苦い思いが湧き上がる。
(ったく、何がそんなに楽しいんだか)
これから先起こるだろうことのほとんどは、決して明るくも楽しくもない。けれど青年が、それを心から待ち望んでいたことを、彼は知っていた。
(ま、俺に止めることなんてできやしねーんだけどな)
自分は自分に与えられた役割を果たすだけだ。幾つかの依頼内容の確認を済ませながら、密かに少年は溜息を吐いた。
*
その日、フィーネは院の子供の数人に請われ、教師の真似事をしていた。と言っても、問われたことに答える程度のものである。院に住むものとしてそれなりの知識は院長から授けられているし、自身でも日々書物などから新たな知識を得ている。子供達の習熟度からすれば、フィーネが教師役をやっても何の問題もない。
そんなわけで図書室にて即席授業を行っていたのだが、図書室を訪れる子供達が次々に参入してきて、結局通常の授業と変わらない規模になってしまっていた。
子供のうち一人が元気よく手を上げ、質問する。
「この国はシルフィードとの交流が盛んだって言うけど、他の国と比べてシルフィードの人って見かけないよね?」
「そうね。私も生粋のシルフィードの民は、今のところ院長と砂霧さん以外に見たことはないし……」
シルフィードの民の特徴は、黒髪と、その対になっているような黒い瞳だ。セントバレットでは淡い髪色が多いため、かなり目立つ。街を歩いていてもそれらしき人物を見たことはなかった。
例外は院長の知り合いであるシオンだ。紫がかった黒髪なので、初めて会ったときはシルフィードの人なのかどうか迷ったが、彼は混血らしい。血を引いてる可能性はあるだろうがわからない、と言っていた。
「フィーネもシルフィードの人なんだよね?」
「そう聞いてるわ。両親ともシルフィードの民だったって」
フィーネが生まれた直後に、両親は死んだのだと聞いている。その後すぐ院長が引き取って育ててくれたのだ。幾度か思い出話も聞いたことがある。
「交流が盛んなのに、なんでシルフィードの人はセントバレットに来ないの? クランジスタの人みたいに移住したりしないの?」
純粋な疑問に、その隣に居た子供が、「こないだ習っただろ」と言いながら覚えたての知識を披露する。
「国から勝手に出たり入ったりするのは、シルフィードじゃ禁止されてるんだよ。商品の輸出入も制限されてるし。シルフィードは元々国を閉じてたから、他国には名前くらいしか知られてなかったんだって。だけど五代前のセントバレットの王様が他国の文化に興味を持って、一番近いシルフィードに使者を送ったんだ」
「最初は国境で追い返されたんでしょ? 元々シルフィードはどこにも国を開かないことで有名だったし。でも、何度かそれを繰り返してたら、謁見が許されて」
「セントバレットだけ、っていう条件で国交を開いてくれたんだよな。王様の粘り勝ちってとこ?」
こうして自分が口を出さずとも子供達同士で知識を補い合う様を見るのが、フィーネは好きだった。基本的に院に住む子供たちは知識を得ることに意欲的であるので、それぞれがそれぞれの教師であり、同時に生徒である存在として学んでいけるのだ。
「今の王様は出入国の制限をなくしたんだったよね?」
少々記憶に自信がないのか、確認するように問われる。フィーネは笑みを浮かべて頷いた。
「そうよ。以前は身分とか素養とか、色々な条件を満たした人でなければ国を出ることができなかったの。大分緩和されてはいたんだけどね。入国の方は条件こそなかったけど、煩雑な手続きと審査が必要だったらしいわ」
「へー……でもそれをなくすことで何か国に利益ってあるの? じゃないとわざわざそんなことしないよね?」
「人に聞く前に一度自分で考えてみなさいって、いつも院長が言ってるでしょ。だめよ、安易に人に頼っちゃ」
フィーネが答える前に、子供の一人がそう諭す。質問した子供は何か言い返そうとしたものの、結局何も言わず膨れっ面になりながらも考え始めた。そして首をひねりながら、自分なりの答えを導き出す。
「今は出入国に必要なのって、簡単な手続きだけなんだよね? 別に身分証明はなくてもよくて、ちょっと手続きが複雑になるだけで。人が出入りしやすいんだから、人が出入りすることによって何か利益があるってことで……最近の歴史で大きく変わったことっていうと、えっと、商業の発展?」
フィーネは笑顔を浮かべ、答えた子供の頭を撫でる。
「そう。商業の発展……物流の活性化によって、この国は急激に成長したの。商人の行き来も増えたわ。輸出入にかける税も細かく定められるようになったし。それに、移住民対策でもあったのよ」
「それこの間本で読んだ! クランジスタからの移住が増えたんだよね?」
別の子供が得意顔で発言する。それを微笑ましく思いながら、フィーネはその補足をする。
「クランジスタが今、国として機能していないのは習ったでしょう? 皇族が絶えてしまったから、滅亡してしまったようなものね。その影響で増えた移民を、積極的に受け入れることにしたの」
「『狂皇国』クランジスタ、だっけ。なんかすっごいたくさんの人が死んだんでしょ? 皇族のせいで」
「セントバレットは『聖王国』だし、そういうのがないよね。ダメな王様が立ったこともないし」
「あれでしょ、院長が言ってた『呪い』!」
子供が無邪気に発した言葉に、フィーネは苦笑する。
お伽噺や伝承の類に近いが、大昔にこの世界に『呪い』が降りそそいだのだという言い伝えがあるのだ。その『呪い』が、それぞれの国――それを治める者と民に残っているのだという。
『呪い』ではなく『祝福』だという場合もあるが、院長は『呪い』として子供たちに教えていた。それは彼の出身が『常世国』シルフィードであることに関わっている。
『呪い』の詳細については諸説ある。だが、どの説をとっても、他の国に比べてセントバレットの『呪い』は軽いとされている。セントバレットには国を傾くような大事件が起こったことがないのだ。国が危機的状況に陥ったこともなければ、王位争いが勃発したという歴史もない。
クランジスタなどは代々の皇族が短命であり、そのせいで国が荒れた。政治手腕には問題なくとも、そういった要因で国が傾くこともある。だが、セントバレットは短命の王が居たという記録もない。いつも円満に王位継承がなされている。
故にセントバレットでは『呪い』の言い伝えはあまり広まっていないし、知られているとしても『祝福』としての場合がほとんどだ。
『呪い』のおかげでセントバレットが栄えているか否かは知りようがないが、それを疑う程度には、不自然なほど王の政に問題が起こらない。五代前の王のシルフィードへの使者の派遣だって、その当時からしてみれば何を考えてるんだと反対されてもおかしくないことであるというのに、そのような記録は残されていないのだ。
問題が起こりかねない王の決断ですら、たいした反発なしに受容される。それは現在の王も同じだ。
現王には子がいる。それは何もおかしくはない。おかしいのは、その子らが王城に居ないことだ。全員、王の庇護下ではなく、別の人物の元で育てられているという。公に発表はされていないものの、それは誰もが知る事実だった。
故にセントバレットの民は、次代の王候補である王子や王女の顔を知らない。式典にも出てこないために知りようがないのだ。
そんなことは通常ありえないだろうとフィーネは思う。それまでの長きに渡る慣習にも外れているのだから。
だが、『王の意向である』――ただそれだけで、それがまかり通ってしまうのだ。そしてそれを、セントバレットの民は当然のこととして受け入れている。
たとえそれがおかしいのではないかと誰かに問うたとしても、「どうして?」と不思議そうに返されるのがオチだ。懇切丁寧に理由を説明したとしても、きっと賛同は得られない。
そういうとき、自分の身に流れる血のことを強く感じる。セントバレットに住んではいても、自分はシルフィードの民なのだと。だからこそそれに疑問を持つのだろうと。
クランジスタから移住してきた人々はどうなのか――自分や院長のように疑問に思うのか、それともセントバレットの民がそうであるように疑問に思わないのか、いつか移住民に会うことがあったら訊いてみたいと、フィーネは密かに思っている。
遠くから時を知らせる鐘の音が響いてきた。考えに耽っていたフィーネは我に返る。
「あら、もうこんな時間だったのね。夕ご飯の支度もあるし、これでおしまいにしましょう」
「はーい!」
元気な返事に目を細める。子供たちの頭をそれぞれ撫でてから、フィーネは図書室を出て行った。
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