7.事実確認
『誰にも邪魔をされずに話ができる場所』という条件ならば、院長の私室も当てはまる。だが現在、院長の私室は本の整理途中のためにとても落ち着いて話など出来そうもない惨状になっているのだ。重要図書閲覧室は鍵もかかり、声も外に漏れにくいという利点もあった。少々黴臭いことさえ目を瞑れば、他人に聞かれたくない会話をするのに最適と言える。
何かあったときのために――こういうことを想定していたとしか思えない周到ぶりだが――院長から渡されていた合鍵を使い、セイは扉を開ける。古書の独特の匂いが鼻につくが、慣れ親しんだものだ。特に気に留めず中に踏み入り、掴んでいた襟首を解放して扉を閉めた。そしてまた室内に――正確にはそこに居る人物に向き直る。
「あーあー、襟伸びちまったじゃねぇか。もうちょい力加減ってもんを考えろよなー」
そんなことを言いながら襟周りをいじっている、その人を食ったような態度に、セイのこめかみはぴくりと引き攣った。
しかし理不尽に当り散らすようなことはしたくない。一度深く深呼吸し、改めてきょろきょろと室内を見回している人物――己の異母弟を見た。
セイの視線に気づいた彼は、目を合わせて笑みを浮かべる。『人を食ったような』という形容の似合う、どうまかり間違っても純粋無垢には見えない笑みだった。
「その様子だと、聞いたみたいだな。新王即位の話」
やっぱりか、とセイは心中で毒づいた。予感は的中したらしい。まったくもって嬉しくはないどころか、外れていて欲しかったが、そううまくはいかなかったようだ。
「一体どういうことかな、シキ? 僕はそんな話ちっとも聞いてないんだけど」
苛立ちを隠そうともせずに問うセイに、シキと呼ばれた人物は銀色の髪をさらりと揺らして肩を竦める。
「どうもこうもねぇよ。新王が即位するってだけだ」
「……その新王が誰かっていうのが問題なんだけど?」
「はははははー」
棒読みで空々しく笑うシキを険のある瞳で見遣り、次いで溜息を吐く。この時点で、シキがわざわざ院に来た理由はわかったに等しい。だからこそ、セイは胡散臭いくらいの完璧な笑顔を浮かべて言い放った。
「なんっっっかすごい嫌な予感がするから、今すぐ回れ右してここから出て行って二度と来ないでくれないかな?」
しかしそれに負けず劣らずのわざとらしい笑みと声で、シキが言葉を返す。
「いやーそれは出来ない相談だな。俺はとーっっても大事なお知らせを伝えに来たわけだし?」
「『とーっても大事なお知らせ』、ねぇ……?」
胡乱な目つきになったセイを誰が責められよう。断言できる。自分にとってその『お知らせ』は絶対に歓迎できるものではないと。
「そうそう、『とーっても大事なお知らせ』。なんたってこの国の未来を左右するような重大なお知らせだからなー。役目をきっちり全うしなきゃ帰れねーよなぁ?」
言葉の内容とは裏腹に口調と表情は楽しそうだ。むしろ面白がっているとしか思えないその様子に、セイは自身の苛立ちが増すのを自覚する。
「知らないよそんなこと。とにかく僕は聞きたくないし知りたくないし関わりたくない。わかったら帰って今すぐに」
「こんな場所に無理やり引き摺って連れてきといて、帰れはねぇだろ帰れは」
「その言い方、なんか誤解招きそうだからやめてくれる? 引き摺ったのは事実だけど無理やりじゃないし。僕が君に無理を強いるとか天地がひっくり返ってもできないよ」
「まぁ確かにそうだけどなー。お前もうちょい鍛えた方がいいんじゃねーの?」
自分としては皮肉を込めた誇張表現のつもりだったというのにあっさりと肯定され、且つ自分でもちょっと気にしていることに触れられて、セイは自分の頬が引き攣るのを感じた。
「本職の君たちと比べないでくれるかな。一応これでも力あるほうなんだけど」
「俺たちだって本職ってワケじゃねぇよ? そりゃ明らかに力仕事より机仕事の割合のが大きそうなお前よりは運動してっけど」
「……シキ、君、僕を怒らせたいの?」
どう考えても喧嘩を売ってるとしか思えない。もういっそ自分がここから出て行くか、とまでセイは考えた。
「いや? お前に喧嘩売っても何の得にもならねぇし、ンなことしねーよ。それに、机仕事慣れてる方がいいじゃん、王サマになったらそっち系多いし」
さらっと言われた台詞を、聞かなかったことにしたいとセイは心底思った。しかしシキは容赦なく追い討ちをかけてくる。
「まあ、力がそんななくても身を守る程度に武器が扱えりゃいいだろうしなー。王サマってのは基本偉そうに椅子にふんぞり返ってるのが仕事のようなもんだしさ」
さすがに二度同じ主旨のことを言われて、聞かなかったことにはできなかった。セイは自分の気分が急激に傾いていくのを感じつつ、嫌々ながらも確認の問いを口にする。
「誰が、王様になるって?」
「お前」
それはもうあっさりと、シキは即答した。
わかっていても、実際確認するとまた衝撃が大きい。何とも言えない気持ちを抱えながら、セイはあくまで冷静に努めようとした――が、無理だった。
「……ふざけんな?」
「や、ふざけてねぇよ。さすがに国の行く末を担う役職をおふざけで決めたりしねーっての」
「だったらなんで僕抜きで話が進められてるんだよ。王の選定は全員でってことになってたよね?」
「じゃあセイ。例えば全員揃ってるときにお前以外の全員がお前を王に推したとして、それ受けるか?」
投げられた問いに、間髪入れずセイは答えた。考えるまでもない。
「絶対にお断りだね」
「だろ? お前だけじゃなくて他の皆もそうだろーけどな。そんなんだからこういう強引な手に出ることになったワケ」
理屈はわかる。もしこれが自分以外の誰かを王に据える場合だったなら、セイは異を唱えたりはしなかっただろう。だが、これは他ならぬ自分に厄介事が押し付けられている状況なのだ。誰が好き好んでそんなものを背負い込みたいと思うだろう。
そもそも事後承諾とは何事だろう。むしろ承諾すら必要とされていない感がひしひしとする。
それに普通、王というのは王位継承権の高い人間が継ぐものじゃないのか、とセイは誰にともなく毒づいた。継承権第一位の保持者はセイではない。セイは現王と第一妾妃との間に生まれた、第三王子である。上には第一・第二王子がいるし、第一王女もいる。……第二王子は現在行方不明だったりするのでそれを除いても、セイよりも王位継承権の高い人物は複数いる。
シキは第二妾妃の子であり、顔はそっくりだが性格も雰囲気も違うカヤという双子の弟がいる。余計な火種を生みかねないため、シキとカヤのどちらかを王に据えることは難しいかもしれないが、順当に考えるならば第一王子が、それが無理なら第一王女が王位を継ぐのが正しいはずだ。
確かに第一王子は、王として据えるには色々と問題がある。彼は現王の即位前に生まれているのだ。正妃でも妾妃でもない女性の子ということになる。
母方の血が外見に色濃く出ていることも、懸案事項には違いない。だが、『現在』の身分からいっても、彼が継ぐ方がよいはずなのだ。当人にその気がまったくないが、それは全員に言えることなのだから。……やはり体よく押し付けられたとしか思えない。
暫くセイの脳内ではもやもやとした反論と八つ当たりに等しい悪口雑言の限りを尽くした文句が駆け巡っていたが、深く息を吐いてそれを飲み込む。
しかしやはり納得がいかない。何故自分なのだ、という気持ちが拭えなかった。
「みんなして、何か企んでるんじゃないだろうね?」
じろりと疑わしげに自分を見遣る異母兄に、シキは内心舌を出す。『企んでいる』とは人聞きが悪いが、あながち間違ってもいない。けれどそんなことはおくびにも出さずに飄々と返す。
「何も企んでねぇよ。ただ、いい加減王は決めなきゃだったし、リフもミヤ姉も王位継ぎたくねえって言うし。カヤと俺はそもそも王の素質ねえし、だったらセイしかいないだろ?」
「僕に王の素質があるって? 勘違いも甚だしいと思うよ、それ。というか僕の意思は無視なわけ?」
半眼で睨むセイだが、シキにとっては威圧にもならない。軽く視線を受け流してにっと笑う。
「ま、そういうことだ。お前を王にするってことで話がまとまっちまったからなー。拒否権はナシだな、悪ィけど」
と全く悪びれずに言うのだから、セイが怒りを通り越して脱力してしまうのも仕方ない。
はぁ……と小さな幸せ五つ分くらいの溜息をついて、セイはどっかと椅子に座り込んだ。
「……もういい。君と今更議論したところでどうせ僕に選択肢が増えることはないだろうし。で? 院長にまで情報が行ってるんだ。根回しは済んでるんだろう? クソ親父は何て?」
投げやりと言うかやさぐれ気味なセイに苦笑しつつ、シキは伝言をそのまま伝える。声色と口調をそっくりまねるというオプションつきで。
「『まあ妥当な人選だな。俺の跡を継ぐからには完璧にこなせ。お前ならまあ悪くない王になるだろう』だと」
「……………………それだけ?」
ぽかんとした顔で問われ、シキは笑いをこらえる。
「これだけだよ。あの天上天下唯我独尊傲岸不遜の身内限定俺様男が文句言わないんだから、お前が王になるのってそう悪くないはずだぜ?」
「………………」
眉間に皺を寄せて、しばし考え込むセイ。
現王は、身内には態度がぞんざいだし突拍子もないことをさせたりする、親としてというより、人間としてまったく尊敬できない人物だが、王としては評価できる……とセイは思っている。
己の血を引く王位継承者を全員里子――実際は違うが、これ以外の表現がない――に出したことに関しては結果らしい結果が出ていないので何とも言えないが、少なくとも愚王ではない。
その現王が、『悪くない』と言ったことは、正直意外だった。言いたい放題貶されるか、無関心に「そうか」などと言われるのだろうと思っていたからだ。王位を退きたがっていたのは嫌というほど知っているが、その反面、後継者に関しては子供に丸投げしていたような男なのだから。
次期王の決定権は王にある。適当に指名してしまえばさっさと退位できるのに、そうしなかったことからして何か考えがあるのだろうと思っていたが……。
(何考えてるんだあの腹黒……)
心中で毒づく。自分が王に相応しいとは思えない。だからこそ、その言に胡散臭いものを感じる。絶対に何か裏があるに違いない。しかし、その『裏』については正直なところさっぱりだった。
目を閉じて、深く長い溜息を吐く。
今の自分に取れる選択肢は、そう多くない。即位式の日程からしても、猶予などないに等しいだろう。
仕方ないか、と心中で呟いて、セイは目の前で飄々とした笑みを浮かべているシキに告げた。
「わかった。……色々と言いたいことはあるけど、言っても何も変わりそうにないし。悪足掻きはしないよ。君たちが勝手に決めた諸々、残らず話してもらおうか」
いらない荷物を背負い込まされた自分の未来を思って、セイは再び溜息を吐いたのだった。
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