9.依頼


「頼みがあるんだ」


 王城の一室。ここ最近で通い慣れた執務室にセイはいた。目の前には不敵に笑う異母弟の姿がある。

 銀の髪を揺らして、彼――シキは楽しげな声音で応えた。


「ンな下手に出なくても、王サマになるんだから『命令』すりゃいーだろ」

「僕は権威に溺れるような人間になりたくないんだ。権力は出来る限り使わないでいたい」

「へえ? そうやって考えられるんなら大丈夫だと思うけどな。……まあいい。頼みってのは『フィーネ』のことだろ?」


 自分の思考を先回りされたかのように告げられた言葉に、セイは驚く。


「……っ! なんでフィーネのこと」

「先読みすんのは得意なんでな。っつーかわかんねぇ方がおかしいと思うぜ?」


 本当は俺がそういう役回りなだけだけど、と心中で呟くシキだが、セイがそれに気付くことはない。


「別にいーぜ? 仕事なら大概のモンは引き受けるし、護衛なんてむしろ簡単すぎるくらいだ。異母兄弟のよしみで安くしといてやるよ」

「……ありがとう」


 ほっ、と息を吐き、安心したように笑む。それを見てシキはにやりと意地悪そうに口端をあげた。


「っつーか護衛なんぞ頼まなくとも、正妃にしちまえばいいだろ?」


 一瞬ぽかんと口を開けたセイは、すぐさま真っ赤になり、次いで高速で首を振った。


「な、なな、何言ってるんだよ! そんなことできるわけないじゃないか! フィーネとはほとんど家族みたいなものだし、大体僕のことなんか何とも思ってないだろうし、……っていうかそんなことしたら即口利いてもらえなくなるし……」


 しょぼんとして床を見つめる。垂れた犬耳が見えるようだ。

 完璧上下関係決まってんなー、と苦笑しつつそれを見遣るシキ。


「それに、フィーネはできるだけ巻き込みたくないんだ。『こちら側』に触れさせたくない。原因になる僕が言うのもどうかと思うけど」


 本音と裏腹の笑顔と駆け引きが日常茶飯事で、邪魔なものは躊躇わずに排除する、悪意と欺瞞に満ちた世界。

 否が応にもそれに触れることになった過去を思い、セイの瞳に少しだけ憂いが見え隠れする。

 それに気づかぬ振りをして、シキはことさらに明るく言う。


「ま、お前がそう言うんならそれでいーけどな。んじゃ、カヤと二人で護衛に当たってやるから、大船に乗ったつもりでいろよ」

「うん、頼むよ」


 「じゃあな」と別れの言葉を口にしつつ執務室に一つだけある窓の枠に足をかけたシキは、ひょいっとその向こうに消えた。飛び降りたら助からないだろう高さであるが、セイは彼の身体能力知っているので特に驚くでもなくそれを見送る。

 そうしてひとつ息をついて、机の上に積みあがった書類に目を通す、単純且つ気の抜けない作業を再開した。

 淀みなくそれをこなしつつ、平行して考えるのはフィーネのことだ。

 自分が王になることによる影響で、最も懸念されたのはフィーネに害が及ぶのではないかということだった。いくら完璧に平民の暮らしに溶け込んでいようとも、セイがそれまでどこにいたか、誰と親しかったかなどは調べようによってはわかってしまうだろう。

 院の子供たちは大丈夫だろう。恐らくは利用価値がないと判断される。特別に親しい子供はいなかったからだ。

 しかしフィーネと院長は違う。フィーネは家族同然に育った中であるし、よく街中で行動を共にしていた。頼まずとも下種な勘繰りをするだろう人間たちは、恋人同士だの何だのと勝手な想像をしてくれることだろう。そして、それに利用価値を見出すに違いない。……セイを思い通りに動かすための手駒として。

 院長は育ての親ということになるし、それなりに利用価値があると判断されると思われるが、彼に関しては心配していない。その辺の奴にどうこうされる人物ではないとわかっているからだ。

 だから、念のためにフィーネに護衛をつけることにした。ずっとでなくていい。自分が即位してからしばらくの間だけでいいのだ。その間に自分を快く思わない者や、御しやすいと侮って傀儡に仕立て上げようとする者を見極める。その後の対応をうまくやれれば、フィーネに害が及ぶことはなくなるはずだ。

 はぁ、と自然に溜息が漏れた。

 こんな面倒くさい役職につくつもりなんてまったくなかったのに、何故こうなったのだと思わずにはいられない。

 けれど自分は逃げることも跳ね除けることも選ばなかった。だから今の状況は当然のことなのだ。

 他の兄弟と違って、自分はやりたいことがない。活き活きとやりたいことをやっている彼らに押し付けるのは、何となく嫌だった。

 例外は育てられた場所が異色だった第一王子と、行方不明の第二王子だが、前者は貴族の下で生活したために権力に縛られる生活に飽き飽きしていると常日頃言っているし、後者は連絡さえつかない。むしろ生きているかもわからなかったりする。

 どちらに押し付けることもできそうになかったので、悪あがきせず受け入れることにしたのだ。どうしてこうなったのかと嘆くのは筋違いだろう。……わかっていても、愚痴が零れてしまうときはあるが。

 目を通し終わった書類をまとめつつ、再びセイは溜息をついたのだった。

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