その2

     *    *    *


 宿屋の二階にあるその部屋は、扉や窓には内側から鍵を掛けられており、最近雨漏れ対策に修繕されたばかりの天井や床には、文字通りアリ一匹入る隙間も無い。全くの密室状態だった。

 そんな密室の中で惨殺された男の宿泊客が見つかるや、日付が変わろうとする夜更けの宿の中は大騒ぎになった。

 運悪く、事件の起こった部屋の隣に泊まっていたばかりに、寝入り端で起こされてしまった鞘とカタナは、部屋を出た所で宿屋の店主と鉢合わせた。


「あぁ、丁度良かった、ジゲンさん」

「親父さん、それは先、演武してみせた剣の流派の名前だよ。鞘、で結構。――少し顔色悪い様だけど?」


 鞘が何事かと訊くと、蒼白の初老の店主は、当惑気味に隣の惨事を二人に告げた。


「……鞘さん、先程、隣で何か不審な物音を聞いていませんか?」

「否。とても静かだったから、いつもより早く寝付けたんだけど」

「矢っ張り……」

「矢張り、って?」

「えぇ。向かい側や反対側の部屋のお客さんも、全く静かだったと言うのですが……」



「成る程」


 店主の制止を無視し、現場を覗いて血色を失くしている野次馬を掻き分けて隣の部屋を覗いた鞘は、店主の当惑の訳を漸く理解した。


「人間は血袋だ、って喩えを聞いた事があるけど、宿の二人部屋の壁の色を全部塗り変えられるぐらい有るとは思わなかったな」

「鞘さん……そんな酷い光景……平気なんですか?……うぇっぷ」


 口元を両手で押さえる店主は、野次馬の陰に隠れて訊く。対して鞘は、平然とした貌で酸鼻の光景を見渡していた。


「こンな光景如きに臆していたら、〈魔導狩人〉なンかやっていられませンわ」


 鞘の頭上に腹這いに乗るカタナは、そう言って大きな欠伸をする。

 〈ラヴィーン〉を支配していた魔王の遺産とも言うべき、魔導器具を悪用した犯罪を解決する〈魔導狩人〉の中で、特に難事件を数多く解決してきたこの二人は、超一流と謳われていた。


「カタナ、魔導法術や魔導器具の中で、こんな芸当が出来る物の心当たり、有る?」


 カタナは鞘の頭上で、寝ぼけ顔を振った。


「……しかしまぁ、律儀な殺人者ですね。細切れにまでバラバラにした被害者の身体を、また元通りに組み直してベットに寝かすなンて」


 呆れるカタナが溜息を洩らすと、鞘もつられる様に肩を竦めた。


「まるで、寝たまま一瞬にしてバラバラになったみたいだな。親父さん、他に被害者の関係者は泊まって居なかった?」

「……ふわぁあ。鞘、珍しく積極的ですね」

「当たり前だろ。現場と隣り合わせになっていた以上、僕達も容疑者になるんだからな」


 カタナが納得して頷くと、鞘は未だ顔色の悪い宿屋の主人を促し、被害者の連れが居ると言う、宿屋の別館にある食堂へと向かった。


 宿泊部屋で構成する宿屋の本館から少し離れた所にある、食堂として使われる平屋建ての別館内には、異世界の武道マニアである宿屋の店主の趣味で持ち込まれた甲冑や武具が、至る所に飾ってあった。

 もっとも店主は、異世界の武具と呼ばれる物なら手当たり次第蒐集するだけで、後の細かい事は考えていなかったらしい。

 中世ヨーロッパで使われていたらしい板金甲冑が、黒塗りの鞘に収まった日本刀や中華の青竜刀を装備して飾られている有様は、鞘の苦笑を誘った。

 鞘が店主と共に訪れた食堂には、既に八人の先客が居た。

 彼らは被害者の仲間である。被害者は、九名の大道芸人で構成された旅芸人一座の座長だった。

 彼らの一座は、ミヴロウ王国の北方にある、辺境という意味を持つオリンピュ地方では、結構名の知れた芸人集団であった。

 事件当時、鞘とカタナの泊まっていた部屋を除くと、現場に隣接する部屋は一座の者に割り当てられていた。

 鞘達の部屋の反対側には一座の花形芸人とその妻、廊下を挟んだそれぞれの正面の部屋には、一座の芸人が二人ずつ泊まっていた。現場の真下の部屋は、宿屋の店主の寝室である。


「これで、この事件の容疑者が一応全員揃った訳、だな」


 憮然とした面持ちで言ったのは一座の花形芸人、ドーエンと呼ばれる巨漢だった。

 剥き出しの逞しい上半身の肌の上に、腕を覆う手甲と一体化した格闘戦用の胸当てを装着しているこの男は、自分の身体の数倍も大きい造巨人や妖獣を拳一つで倒す武道家として人気者だ、と宿屋の主人は鞘に紹介していた。


「だがよ、一座の者には、座長を殺す理由が無ぇぜ。――そこの精霊使い、どうなんだ?」


 両肩部に無数の羽根が房になって付いている革製の胸当てを着けた、ヴィルという名の、幽鬼を思わせる青白い痩身のナイフ投げの芸人は、鞘を横目で睨んだ。

 剃刀の様なヴィルの鋭い視線を受けたカタナは思わず身を竦め、鞘の後頭部に隠れる。

 しかし鞘は全く臆せず、鼻で笑ってみせた。


「まるで僕等が犯人だと言わんばかりですね」

「……ち、ちが、違うのか、かよ」


 ヴィルの傍らに居る、岩石の塊を想わせる、シラと呼ばれる吃る猫背の小男は、肩に掛けている鉄製の鎖の端を両手で握り締めて鞘を威圧する。

 鞘は全く臆せず、平然としていた。


「……僕が犯人なら、此処に居る皆んなも共犯者になるな」

「……な、何故、ぜ?」

「だって、事件当時、全員隣接した部屋に居たにも拘わらず、誰一人として不審な物音を聞いていない。あの惨劇が全く無音の内に済むなんて、とても人間業じゃない」

「だ・か・ら、お前さんが、飼っているその精霊を使って、うちの座長を殺ったんじゃないのか、と言ってるのさ!」


 憤るヴィルは肩の羽根を一本引き抜き、羽根の先で鞘を指して凄んだ。

 しかし、怯んだのはヴィルの方だった。


「彼女は僕の相棒です」


 実に静かな口調なのに、ヴィルは、鞘の言葉の一字一句が凍て付いた刃となり、喉元に突き立てられている様に錯覚してしまった。


(……未だ青二才の癖に、何て凄ぇ殺気だ)


 思わず身構えてしまったのはヴィルだけではない。シラは鎖を肩から浮かせ、いつでも飛び掛かれる体勢をとる。

 他の芸人達も色めくが、しかしドーエンが皆を一睨みで制した。


「坊主、済まんな。俺達もリーダーを失って戸惑いを隠せないんだ。話を元に戻して良いか?何故、俺達も共犯になるのだ、と?」

「そうでしたね」


 鞘は肩を竦めた。


「確かに、あの密室殺人は人間業ではない。かと言って、僕の相棒は密室の壁抜けなんか出来ませんよ。

 彼女は僕が持っている剣の守護精霊で、いわば剣が本体。剣が壁を通り抜ける事が出来ない以上、彼女もそれに従うのは当然。

 大体、幾ら精霊が神の眷属だからと言っても、例えば一度に百人の首を跳ねたり、山を一つ吹き飛ばす、みたいな荒唐無稽な事が出来るとは限りませんよ」

「……あたし今の二つ、昔やった事あります」


 カタナは、鞘の耳元で気拙そうにそう囁いたが、鞘は敢えて無視した。

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