22.
結局、その後の演奏でも三人がホールに姿を現すことはなかった。
公演終了後、帰宅していく聴衆の見送りを済まし、ささやかな慰労会がホール裏の控室で行われた。僕と栞さん、アナウンスの女の子、後援をしてくれた会社の人事、舞台設置の関係者たちが茶菓子とお茶を手に一時間と少しの間、顔を合わせた。
僕は一人一人に無難な挨拶と会話をして、慰労会がお開きになるのを待った。
舞台撤収の任を持つ人々以外は一人、また一人と順に帰って行った。その度に僕は感謝を伝え、見送った。そうして帰宅を残すのは僕と栞さん二人だけになった。
「お疲れ様でした」
「栞さんもお疲れ様でした。ありがとうございました」
「いえ、こちらこそありがとうございました。とても楽しい公演でしたね。皆、感動していましたよ」
「そうかな」
「はい」栞さんはとても楽しそうに話していた。
「私の両親が聴きに来ていたのですが、とても素晴らしいチェロだったと言っていました。二人揃って音大の講師のせいか、演奏にはうるさいのに」
「そうなんだ」
「はい。父はチェロの講師ですから、尚のこと厳しく評価していたと思います」
「光栄だね、ありがとう」
どうして先輩たちは来なかったのか、そればかり考えていた。彼らがいなかっただけで、思い返す演奏中のホールはすべて空席だったように感じられる。
「これから二人で打ち上げでもしませんか?」栞さんは言いにくそうに、はにかみながら微笑んだ。なぜ、彼女はそんな表情をするのか。
ああ、と僕は心の中で嘆息した。これが僕の勘違いならどれだけ救われるだろうか。
彼女は強く僕を求めているのだ。
僕はずっと知っていた。求める人に忘れられ、忘れている人に求められていることを。それは故意かどうか関係なく僕らをイタチごっこに苦しめる。ずっと知らないフリをしていただけだ。一か月前、湖で彼女に会った時、僕のこの欲望への制御機能は無意識の内に外れていたらしい。おおよそ三十年の人生で学んだ教訓は、この時、跡形もなく吹き飛んでしまった。僕はこの輪からの抜け出し方を未だに知らない。忘れたフリは脱出方法ではないことが僕の経験を以って、今、証明された。延々と輪の中をループし、不意を衝かれて気づく。どうすればいいのだろうか。どうすればこの輪から抜け出せるのか。
そして、性懲りもなく繰り返す。
今は僕が逃げていく番だ。
「ごめん」栞さんに告げる。
哀れなイタチはスルリと身を翻し、遥か遠くへ駆けていく。
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