17.

細い腕の中に白いタッパーを抱いている。子供の僕だ。タッパーはとても頼りない質感で肌に伝わる感覚よりずっしりと重かった。

朝になり木の根っこの上で死んでいる彼女を見つけると、僕は一度家に帰った。彼女を連れて帰るための入れ物を持ってくるためだ。

僕は知っている。人や動物は死んでしまったら、燃やして骨だけにしなくてはいけない。それは決められたルールで僕の祖父も同じように燃やされ骨になった。

骨だけの祖父を見た時、祖父という存在はこの世から失われ二度と僕に会えることはないんだと痛感させられた。

いやだ。

彼女を失いたくない。

柔らかな白い毛に覆われた彼女と永遠に寄り添っていたい。

両親に見つかったら、彼女は祖父と同じように骨にされるだろう。

ダメだ。そんなことはさせない。

僕は誰も目覚めていない朝の自宅へ帰ると、台所へ通じる裏口から家の中へ入った。玄関は木製で大きくて重たく、子どもの力では静かに開閉できないからだ。裏口をそっと開ける。扉は開けっ放しで大丈夫だろう。静かに侵入する。

彼女を何に入れるのがいいか、僕は考えた。ランドセルは毎日使うし、習い事用の手提げカバンでは蓋が出来ないから中が見えてしまう。虫かごでは入りきるわけがないし、父さんが使っていた観賞魚の水槽は重たいし、透明だ。

台所で考えあぐねていると、ふと大きなお弁当箱サイズの白いタッパーが目に留まった。

これだ。

これなら彼女を入れることが出来る。

蓋を開けると中は空っぽだった。アルコールの除菌スプレーを吹きかけ布巾で拭き終わると、僕は再び裏口を抜け彼女の下へ駆けだした。

彼女はちゃんと根っこの上にいた。純白の体を綺麗に丸く収め、とぐろを巻いているようだった。近寄って彼女に触れると命のない無機質な硬さがする。これが命の行く先なのだと学んだ。

そっとやさしく抱き上げる。彼女はピクリとも動かない。幸せそうに眼をつむり、夢見心地な顔をしている。柔らかな手は折りたたまれていて見えない。手をつなぎたかったが家に帰ればまた一緒にいくらでもできる。腕の中の彼女をあやすように愛おしむ。

タッパーは彼女が入る目一杯の大きさだった。入らない部分を押し込め、ぎゅうぎゅうと詰める。ぎゅうぎゅうと、彼女を詰める。

涙が自然と溢れてきた。

零れ、彼女の体を濡らす。

やめよう。彼女が苦しそうだ。

頼む。

やめてくれ。

制止の願いを子供の僕の手は聞き入れてくれなかった。タッパーいっぱいに彼女が満ちる。ぎゅうぎゅうと彼女で満ちる。無垢な子どもの魂で、満ちる。

僕は彼女をタッパーに入れ、蓋をして大事に持ち帰った。

家に帰ると、母は料理を作り、父は出勤の準備をしていた。僕はサッと背中にタッパーを隠した。

彼女を探していたという理由によって僕が一晩家に帰らなかったことを両親はあまり怒らなかった。短めの説教を聞き、僕は真摯な面持ちで頷いた。

猫は見つかった?と母が尋ねる。

ううん。どこにもいなかった。僕は嘘をつく。

しょうがないさ、と父が言う。

うん。僕は頷く。

両親をうまくやり過ごし、僕は自室へ戻った。木製の勉強机の上にタッパーを開けると変わらず彼女は中にいた。彼女を出してあげ、やさしく撫でる。

戻ってきた。彼女が僕の下へ戻ってきた。

手をつなごうと試みたが彼女が崩れそうで力を入れられなかった。けれど、手をつなげなくたっていい。彼女が僕の傍に居てくれたら、それでいい。

それから僕は毎朝起きたらタッパーの蓋を開き、彼女に挨拶をして学校へ行く。学校が終わったら急いで家に帰り、彼女を出してあげ共に時間を過ごした。それは彼女が死んでしまう前と同じ僕らの毎日だった。

そうして一週間が過ぎた。その日も僕は蓋を開け、彼女に朝の挨拶をした。家に帰り彼女と共に過ごすことを楽しみにしながら元気よく学校へ向かった。学校が終わり終業のチャイムが鳴ると、走って家に帰った。玄関を開け、自室への階段を駆け上がる。部屋のドアを開け勉強机の前に着く。しかし、彼女の入ったタッパーはどこにもなかった。

机の引き出し。

いない。

ベッドの下。

いない。

押入れの中。

いない。

おかしい。今朝、彼女に挨拶をして机の上に置いておいたはずだ。どこにもいない。

僕が必死に部屋の中を探していると母親が僕の部屋へ入ってきた。その眼はとても悲しげで僕を哀れんでいた。

あの子なら今朝、お母さんが火葬してあげました。あんなことをしちゃダメでしょう?あんな小さい箱に入れたら可哀想だし、腐ってしまうわよ。と母が言った。

その言葉を聞いた瞬間、僕は崩れ落ちた。呼吸が乱れ、短くなる。すべてを奪われた。彼女が失われてしまった。僕が愛し求める彼女は永遠にこの世界から失われてしまった。もう、取り戻すことはできないのだ。僕は母を憎みはしなかった。それがルールで決まっていることだと分かっていたからだ。すべて僕が悪いのだ。無防備に机の上に置いて出かけたから悪いのだ。許してほしい。

僕は泣いた。涙をボロボロと零しながら嗚咽し、エンエンと叫びながら泣いた。

そうして、僕は彼女の名前を忘れた。

 

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