第22話
……お母さん。
ため息をこぼしながら、私は二階の病棟廊下を歩いていた。私の前にお父さんと秋夜が歩いて、背後に春也と鈴蘭が二人並んで歩いている。そんな四人に挟まれながら目前に迫る病棟へと進んでいく。
後ろの二人、周りがどう見てもカップルにしか見えないよね……。文句のつけようがないほど、お似合いの二人なんだよね。
何やってんだろ、私。なんでこんなことに。学校から病院まで一人で行くはずだったのに、気がつけば春也と鈴蘭が一緒についてきてくれてる。
あれこれ考えている内にいつの間にか病棟に到着していた。あの自動ドアをくぐった先に、あの人が……お母さんが入院している。
開いた自動ドアを五人で通り抜け、ほぼ同時に右へ曲がる。お昼時だからか、病棟の廊下を歩いている患者さんは誰もいない。その代わり、忙しそうに働いている看護師さんたちが、あたふたと行き来していた。
私達は食堂を横切り、お母さんの病室を目指して歩いていく。お母さんの病室があるのは一番奥の左側。一分ほど時間はかかるみたいで、心の準備を整えるにはちょうどいいかも。
ふぅ、とため息をついた時だった。
「あの、麻奈さんのお父様、少しよろしいでしょうか?」
鈴蘭の声が聞こえてきたと思ったら、お父さんに声をかけてきた。
「恐れ入ります。少々お尋ねしたいことがあるのですが……」
鈴蘭がお父さんに聞きたいことがある!? どういうこと?
急にどうしたんだろう……。
お父さんの顔をチラリと見たら、急に声をかけられて戸惑っている表情をしていた。
「紫籐さん、聞きたいことって何でしょう」
と、お父さんの言葉に対し、鈴蘭は口を開いた。
「麻奈さんと麻奈さんのお母様とのご関係についてですわ」
「…………!!」
一瞬、ギクリと私の心臓が高ぶった。なんでそんなことを聞くの? 私の中で動揺が広がっていく。
「お話を聞く限りでは、麻奈を必要以上に邪険にされているように聞こえたのですが、なぜそのようなことになってしまわれたのでしょう。そうなってしまった結果の前に、何かしらの原因があると思われるのです。麻奈さんのお母様が麻奈さんを邪険に扱う原因が……。ご無礼承知で教えてくださらないでしょうか」
お父さんは鈴蘭の思わぬ要求に迷っているみたいで、「それは……」と口ごもっていた。
「問題を解決するには、相手の本質を見極めた方がより問題解決しやすくなると思うのです」
私は鈴蘭の話を聞いてハッと気がつく。
あの人の、お母さんの本質……今までまともに考えたことはなかった。まともに相手にされず、それで終わりなんだと深く
考えようとも思わなかった。どうせ私のことなんかどうでもいいんだろうって。
「話していいのか……なんとも言えないですね」
お父さんが答えた直後、私は間髪を入れず言った。
「私が話すよ」
四人がほぼ同時に私へ視線を向けた。みんな目を見開いて驚きの表情を見せていた。
「いいんだな?」
と、お父さんが質問したけど、私は何も言わずに頷く。私自身の口から話さないと何も解決しないのなら、私も腹を括らなきゃ。
――ちゃんと、お母さんと向き合おうって。
ゆっくり深呼吸をして、高まる感情を抑えながら、自分の過去を話す。
「あの人が、お母さんが私のことを邪険にしたのは私の出来が悪かったのが原因だよ。小学生の時、秋夜と同じように英才教育を私も受けていたけど……お母さんが思っているような天才にはなれなかった……。あの人が出す問題とかは全部大学生が解くような問題ばっかりだったから……私にはなんのことを言っているのか、ちんぷんかんぷんだった。初めて出来た子供だから尚更教育に熱が入っていたみたいで、秋夜よりも毎日怒鳴られたりしたよ。それでもまだその時は邪険に扱われていなかったから良かったけど……」
「姉ちゃんも……英才教育、受けていたの?」
私の話を聞いて、秋夜が恐る恐る尋ねてきた。あの頃は秋夜小さかったし覚えていないのはしょうがないか。
「うん、まあね。あの頃はお母さんが私に期待してくれているんだって嬉しくて、なんとか精神的な面は持ちこたえていたけど……あの日がやってきた」
「……あの日? 姉ちゃん、あの日って?」
心配そうに覗き込む秋夜に、私は微笑むと、話を続けた。
「私とお母さんの関係が変わった日だよ」
歩きながら、あの日の出来事が思い起こされていく。
そう、あれは六年くらい前――――。
お母さんがいきなり大学生が出るクイズ番組を見に行こうって言い出したの。最初は観客席に座って勉強の参考にしろとかそんな感じかと思った。けれど、私の予想は思いっきり外れた。
『うちの子、天才なんです! ぜひ、回答者の席に座らせてください!』
って、番組の途中で叫んだの。けどプロデューサーさんやスタッフさんはオッケーを出さなかった。でもお母さんはスタッフさんや回答者さんを蹴散らし無理やり私を座らせたの。だけど小学生の私が大学生の問題を答えれるはずもなく、何も答えられなかった。結局スタッフさんにスタジオつまみ出されて、そのまま番組終わっちゃって。
その時だよ、お母さんの反応が変わった。
『まさか一問も答えられないなんて信じられない! 天才だと思ったからテレビ局に行ったのに! 時間の無駄だったわ! こうなったのは全部あんたのせいよ! 天才じゃないなら私の子供じゃないわ!』
「それから今の今までずっとまともに相手にされなかった。掻い摘んで話したけど、これで満足した?」
私は鈴蘭に視線を向けて言った。思い出したくない思い出だけど、鈴蘭がこれで納得するなら……。
「えぇ、満足ましたわ。ありがとうございます。ここに来たからには少しでもお役に立てればと思いまして……第三者が入れれば、麻奈さんのお母様の気持ちもお変わりになられるんじゃないかと考えておりました」
どこか寂しそうな顔で俯く鈴蘭。
鈴蘭の話を聞いていたお父さんが頭を下げた。
「紫籐さん、ありがとう。私達家族のためにいろいろと考えてくれているみたいだね。あと、すまないね。巻き込んでしまって……春也君も」
「いえ、俺は……来たいと思ったから来ただけですよ」
「私もですわ。自分の意志でここにおりますの。お気になさらず」
二人共、ありがとう……あとできちんと声に出してお礼を言わないとね。
「……二人共ありがとう。助かるよ」
お父さんは口元を緩めると、続けて言った。
「さぁ、病室に着いたよ」
お父さんの言葉で、気がつけば病室にたどり着いていたことを知った。もう、着いたのね。
「小春、入るよ」
お父さんは扉をノックして、ドアノブをゆっくり回し、静かに開けた。
*
「子どもたちを連れて来たよ」
お父さんが話しかけながら中に入っていくのを確認して、あとをついていくように私達も中へと足を踏み出した。
病室の中はお母さんのベッドしかなくて、一人部屋みたい。お母さんの姿が見えた時、振り向くと秋夜が渋々入ってきた。
「秋夜! 来てくれたのね! 待ってたわ!」
お母さんの声のトーンが明るかった。私は恐る恐る言ってみた。
「お母さん、私も来たよ……」
私の姿を見た瞬間、眉間にシワを寄せてあからさまに嫌そうな表情を見せた。
「なんでここにいるのよ。呼んだ覚えはないわよ。呼んできてって言ったのは秋夜だけなのに。あなたに用はないの、邪魔だから早く帰って」
私に頼み事をしてくる時以外は冷たいな。もう、なれたけど。
「そう言うことないだろう、麻奈は学校を早退してわざわざ小春のお見舞いに……」
「私は頼んでないわよ! なんで頼まれていないことをするのよ!」
お父さんはフォローしてくれたけど、我が家のお母さんにはそんなことは通用しない。ここでいろいろ言っても埒が明かない。秋夜の目線を合わせて、合図を送った。言うなら早く言った方がいい、と。
秋夜は頷き返し、お母さんのベッドの近くまで歩み寄った。
「母ちゃん、勉強のことでお願いしたいことがあるんだけど……」
「あぁ、わかっているわ。私が入院いている間の勉強プログラムね。大丈夫よ、念入りにみっちり埋めておいたわ。これなら私がいない間もバッチリ勉強できるでしょう?」
お母さんは秋夜の話をまともに聞こうともせず、何枚にも束ねられた紙を秋夜に渡そうとしていた。
けど、秋夜はお母さんの手を振り払った。
「俺はもう天才になるための勉強なんてしたくない! もう嫌だ!!」
「急にどうしたの、秋夜。何か勉強スケジュールに嫌なことがあったの? もっと難しい勉強がしたくなったのね、それならスケジュールを――――」
「俺は勉強そのものがしたくないんだよ!」
「なっ、何言っているの、秋夜!? 勉強やめたら有名になれないじゃない、それでもいいの!?」
「別に有名になれなくていい! 俺は天才じゃないのに、天才だっても言われてもわかるわけないじゃないか!」
秋夜……私も自分の気持ちを伝えなきゃ。
「お母さん、秋夜は嫌がっているんだし……」
「部外者は口を挟まないでちょうだい!」
お母さんの部外者という言葉に、私の心に深く突き刺さった。お母さんの中で私は家族だと思っていないのね……困った時の便利屋か何かだと思っているのね。
私の中で悲しみが広がり始めた。
「姉ちゃんは部外者じゃない! 姉ちゃんは俺の家族だもん!」
「秋夜、麻奈のことは気にしなくていいわ。麻奈の言葉なんて信じちゃ駄目よ」
そんなに私のこと信じていないのね。
「お母さん、私だってお母さんの娘だよ。ちゃんと家族として見てほしいの……」
私はお母さんに自分の思いを伝えてみた。だけど――――。
「勉強プログラムも新しく作り直すわ。だから勉強やめるなんて言わないで。お母さん夢がかかっているの。お母さんの夢、秋夜なら叶えてくれるわよね?」
私の話なんて聞く気すらないみたい。お母さんの性格知っているから、届かないのはわかっていたけど。
わかっていたけど。なんでこんなに悲しくなるんだろう。
「俺は自分のことしか考えていない母ちゃんなんて、だいっきらいだ!!」
秋夜の顔を見つめたら、秋夜の目に大粒の涙が溢れ出していた。
秋夜は右手で自分の涙を拭き取ると、病室を飛び出した。
「秋夜! 待って! まだ勉強プログラムを……!!」
お母さんの口から出てくるのは勉強のことばかり。なんで秋夜が泣いていたのかなんて気にしていなかった。
「何がいけなかったのかしら? やっぱり勉強プログラムの内容がいけなかったのかしら?」
「お母さんって、ほんとに自分のことしか考えてないんだね」
「わかったような口を聞くんじゃありません! 口出ししないでちょうだい!」
お母さんの怒号が飛び交った瞬間、春也が口を開いた。
「わかっていないのは小春さん。あなたですよ」
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