第21話

 学校を出てから、かれこれ約十分くらい。私は鈴蘭が呼んでくれた車に乗って、神崎病院に向かっていた。どうして母が倒れたかまだわからないけど、もし一大事なんてことだったらどうしよう。不安が少しずつ積もっていく。

 走っていた車がピタリと止まり、運転手さんが「神崎病院に到着しましたよ」と教えてくれた。

 運転手さんが降りようとした時、

「自分で降りますから、お構いなく。急ぎですから」

 と鈴蘭は微笑む。後部座席に乗っていた私が車扉を開けて先に降りると、続けて鈴蘭が出てくる。助手席に座っていた一歩春也が遅れて降りてきた。

 運転手さんが助手席の窓を開けて、「では、鈴蘭お嬢様。私は先に帰りますが、もし迎えが必要な場合はまたご連絡ください」と鈴蘭に告げた。

赤嶺あかみねさん、ありがとうございます。では後ほど」

 鈴蘭の言葉に微笑む運転手さん。

 私は礼儀としてお礼を述べる。

「赤嶺さん、ありがとうございました」

「ありがとうございました」

 春也も続けてお礼を言った。

 車の窓が閉められると、ゆっくり発進し始め、数秒後には遠ざかっていた。

 私は振り返り、病院を見上げてみた。清潔感って感じの白で塗りたくられた建物がそびえ立っていた。私と秋夜が産まれた病院でもある。産まれた時のことは覚えていないけど。

 と、ここで。

「麻奈、早く行かないとまずいんじゃないのか?」

 春也の指摘で、私は思い出し「そうだった」と叫んでいた。春也と鈴蘭を連れて、病院の正面入口を通り、病院内へと足を踏み入れる。

 目の前に飛び込んだ光景に驚いた。こんなに人がいるのか……。受付はどこだろう……あの人の病室を聞かないと。

 私は慌ててフロアを見回して、受付の場所を探した。数百メートル先に入院案内のフロントを発見したと同時に、父親と弟の姿も見つけた。

「あ、お父さんと秋夜! 先に来てたんだ」

 私は春也と鈴蘭が一緒なことを忘れ、二人の元へと駆け寄った。

「お父さん! 秋夜!」

 フロントの女性と何かを話していたお父さんが、私の存在に気がつく。

「麻奈! 来てくれたか。呼び出してすまなかったな」  

 申し訳なさそうな顔で詫びる父の姿に、私も申し訳なく感じた。

「私は大丈夫だよ。気にしないで」

 秋夜も私に気がついたのか、ニヤニヤしながら見ていた。

「姉ちゃん、また迷惑かけたの?」

 私は思わずムッとして、睨みつけた。

「なわけないでしょっ」

「秋夜、いい加減にしないか! 今はそれどころじゃないだろう」

 お父さんに叱られたことで、秋夜は落ち込んだ様子で「ごめんなさい……」と呟いていた。が、その反省の態度が一瞬で吹き飛んだ。

「ハルにぃ! 春にぃも来てくれたの!?」

「ハルにぃ!? って秋夜アンタ……春也と知り合いなの!?」

 私の言葉に、秋夜が力強く頷いた。

「へへっ。うん、そうだよ! 羨ましいだろー!」

「……調子に乗るな」

 秋夜のテンションについていけないと言いたげな表情でため息を吐く春也。

「はしゃいでいる場合じゃないだろ」

「ぶうぅー。今日の春にぃ……冷たい」

 自分の弟が情けなく感じ、私はため息をついた。

「ところで、麻奈。こちらの二人は……?」

 お父さんの質問に、私は「しまった」と大事なことを思い出す。まだお父さんに二人を紹介していなかった!

「お父さん、男の子は日高春也君で、女の子は紫藤鈴蘭さん」

「紫藤ってあの紫藤グループの紫藤かい?」

「うん、そうだよ……二人共、私のお母さんが倒れたって知って一緒に来てくれたの。鈴蘭さんは、家の人に車出してもらって病院まで送ってくれて……」


 春也と鈴蘭はそれぞれ頭を下げて、自己紹介する。

「初めまして、日高春也といいます」

「初めまして、紫藤鈴蘭と申します」


「そうだったのか……。初めまして、麻奈と秋夜の父で三河夜霜といいます。子どもたちが大変お世話になったようで。特に春也君、君のことは秋夜から話を聞いているよ。よく秋夜の話し相手になってくれていると秋夜が嬉しそうに話していてね」

 初耳だ。私は「えっ」と驚きの声を漏らしていた。知らなかった……春也が秋夜の話し相手になってくれていたなんて。

「子どもたちには妻のことでいつも苦労かけてしまって、申し訳なく思っているよ」

 お父さん……。

「本当にありがとう、春也君」

「い、いえ……そんな」

 春也は謙遜して、照れくさそうな表情を見せた。あんな表情、初めてみたかも。

「ハルにぃ、俺には優しいもんな!」

 と、再び調子に乗る秋夜に対して、春也は冷ややかな視線を向けた。

「だから調子に乗るな……!」

 春也の冷たい態度に納得いかないらしく、秋夜が両頬を膨らませる。

「だって、初めて会った時、優しかったじゃんかー!」

「そういえば……秋夜、春也とどうやって知り合ったのよ? 春也と知り合いだったなんて、初耳なんだけど」

 私の質問に、秋夜はふてくされた顔のまま「仕方ないなー」と言いたげな顔で話し始める。

「二年くらい前、小学校一年生のときにハルにぃと出会ったんだ。母ちゃんからいきなり『秋夜を超人レベル天才に教育していくからテスト百点は必ずとるのよ。百点以外は許しません』って言われてわけ分からない方法やらされたよ。どんなにやっても母ちゃんの思うような成績がとれなくて……やりたくないって言っても母ちゃんいつも言うんだ。『自分の子供が天才になってメディアに取り上げられるのが夢なんだからだめよ』って。何回も怒られて、俺に選択肢はないんだって思ったらやりたくなくなって……勉強の途中で飛び出したんだ。河川敷で泣いていたら、ハルにぃと出会ったんだ! 俺の話を親身に聞いてくれて、それから仲良くなったんだ! たまに会って一緒に遊んでくれたり、悩みを聞いてくれるんだよ!」

 そんなことがあったなんて知らなかった……家ではいつも私をからかっているのに。悩んでいる素振りを一切見せなかった。心の中ではずいぶん悩んだのね。

「悩んでいたなら、どうして相談してくれなかったの?」

 私が問いかけると、さっきの勢いはどこへやら。秋夜は気まずそうに「それは……その……」と口ごもっていた。なんだかいいづらそう。何かあるのかな……。

 私が内心オロオロしていたら、春也が「麻奈」と私の名前を呼んだ。

「その答えは俺が代わりに話すよ」

「春也が……?」

 春也は頷くと、静かに話し始める。

「麻奈に相談しなかったのは心配かけさせたくなかったからだよ。お前……母親のことで手一杯だったろ? それを秋夜は見ていて、母親のことで苦しんでいるのに自分が相談したらさらに悩むんじゃないかって。自分で言うのは照れくさいんだとよ」

「秋夜、そこまで考えていたの……?」

 秋夜は躊躇った様子だったけど、決心がついたみたいで、ようやく話してくれた。

「だって、母ちゃんが姉ちゃんのことどう思っているか知っているから……俺が言ったら姉ちゃん自分を犠牲にしてまで母ちゃんに対抗するんじゃないかって思っちゃって……もしそうしたら母ちゃん何してくるかわからないし……」

 ――小さい頃の秋夜のままだと思っていたけど、ここまで成長していたのね。

 そう思ったら目の奥が熱くなって、頬が濡れていた。

「秋夜……ありがとう。私のことそこまで気遣ってくれて」

「姉ちゃん……」

「あと、ごめんね。今まで気づいてあげれなくて。私も知っているよ、自分があの人からどう思われているか。それに、私のことはいいんだよ。それよりも秋夜のことが先。あの人の英才教育思考は流石に度が過ぎてるよ。今日は思っきりあの人に本当の思いを伝えよう。秋夜が言えないようなら私も言うから」

「姉ちゃん……俺もありがとう」

 秋夜は照れくさそうな表情で笑顔を見せた。そしてすぐに何か思い出したかのような顔つきに変わる。

「……はっ! ていうか、今はそれよりも母ちゃんの見舞いだろ! 遅れたら絶対ネチネチ言ってくるから急ごうよ!」

 そうだった! そのために病院に来たんだった!

「それでお父さん、あの人の…………お母さんの容態は……?」

 ホントはお父さんに会ったら最初に聞くはずだったんだけど、話を聞いていたら聞くのが遅くなってしまった。

 お父さんは「待って」と一言つぶやき、続けて言った。

「そのことについては歩きながら話そう。ここで話すと他の人に迷惑をかけてしまうからね」

 確かに、それはそうだ。入院案内の前でずっとおしゃべりしていたら他の人が困るよね。

「病室があるフロアは二階だそうだ。まずはエレベーターに乗ろう。こっちだよ」

 父の言葉で、私と秋夜、春也と鈴蘭の四人は父の後を追うように歩き始めた。

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