第17話

 私がいつものスーパーに着いた時は、早くも五時四十五分になっていた。

 店内に入るとお客さんはまばらで閉店が近づいていることもあってか、閑散としていた。いつもは賑わっているこのスーパーも閉店間近だとこんなに静かなものなのね。

 入り口近くに置かれているショッピングカートを引っ張り出す。カートの上に買い物かごを置いて、カートを押しながら、店内を歩き始める。

 買い物袋からメモ紙を取り出し、買うものを確認する。最初に野菜類、お肉類、お魚など文字でびっちり埋め尽くされていた。嫌がらせか? ってくらい買うものが多くて嫌になってくる。

「えーと、まずは野菜からね」

 私は一直線に目先に見える野菜売り場へ向かった。


 野菜売り場に到着して早々、手より先に言葉が出てしまう。

「なんで私が買い物するときだけ、こんなに買うものが多いのよ、全く」

 母親の愚痴をこぼしながら、淡々と商品を手にとって買い物かごに入れていく。もうすぐ六時を超えてしまう。いや、どっちみち過ぎていると思う。問題は六時半までに帰れるかどうかだけ。だから急いで終わらせるしかない。

 急いで終わらせるため、一通り買うべき商品のコーナーに出向いて回った。

 私はもう一度買い物メモを確認する。うん、よし。全部買ったね。後はレジに行って会計を済ませるだけ。

「今回も荷物が多いなぁ……はぁ」

 そのままレジに向かおうとした時、ふと、鈴蘭の言葉が思い浮かんだ。


『それと、春也君を賭けて勝負致しませんこと? バレンタインに貴方と私でそれぞれチョコを作り、二人同時に告白をする。貴方のチョコを受け取ったら、麻奈さんの勝ち。私のチョコを受け取ったら、私の勝ち。いかがかしら?』


「そうだ……勝負は明日だ。チョコを作って……鈴蘭と二人で同時に告白しなきゃいけないんだ」

 どうしよう、材料を買っていない。勝負は明日なのに。材料……買わないといけないけど、今は母親からのおつかいを済ませなきゃ。

「よいしょっ。……はぁ、重い」

 私は近くのレジに並び、台に買い物かごを乗せた。そりゃあ、爆買いかってくらいに買い物かごいっぱいに商品が入っているもの。重いに決まってますって。

 店員さんがすばやく商品を読み取ってくれたおかげで、会計までそれほど時間はかからなかった。こういう時にテキパキこなす店員さんの存在がありがたい。

 私は会計し終わった買い物かごをレジ隣に配置された台の上に置く。買い物袋に商品を詰め込みながら、袋はもう一枚用意すれば良かった、と頭の中で後悔していた。

 買い物袋に購入した商品を詰め終わったら、早足でバレンタインの特設コーナーに直行した。いつもなら材料や既製品のチョコレートは全部売れきれてないんだけど。

「まだ残っているかな……」

 もしかすると……っていう淡い期待を胸に。私はバレンタインコーナー周辺をくまなく見回した。

 割引シールが貼られているワゴンの中に、一枚の板チョコが残っていた。

「あった……! 本当にあった! 板チョコ一枚だけ!」

 私は自分の財布を取り出し、全財産を確認する。

「よし、これなら買える!」

 一枚の板チョコを手に取ると、一目散にレジへと向かった。



      *



「やっと帰ってこれた……」

 私がおつかいを終わらせて家に戻ってきた時には六時半頃になっていた。片手で持っている買い物袋が重くて帰り着くまで時間がかかってしまった。

 玄関の扉を開けて中に入り、玄関先で立ち止まった。

「ただいま……」

 私はつぶやくように言ったけど、声が小さすぎたみたいで誰も返答なし。はぁ。一度買い物袋を廊下に置いて、靴を脱いでいく。一度家に上がり、後ろを向いてから自分の靴を邪魔にならない場所へと退けた。買い物袋を再び持ち上げると、振り向いて、リビング目指して歩いた。

 私は廊下をまっすぐ進んで、リビングの扉をゆっくり開けてみる。リビングにはテーブルで勉強している弟と、弟の隣に座って勉強に付き合っている母親、ソファーでテレビを観ている父親がいた。

 父親が扉の音で気づいてくれた。

「麻奈、おかえり」

 私は口元を緩ませて言った。

「ただいま、お父さん」

「今までどこにいたんだ?」

 父親に問いかけに対して、私は言おうか迷ったけど、隠しても意味がないから言うことにした。

「母親からいつもみたいにおつかいを頼まれてスーパーに行ってたの」

「こんな遅い時間になるまでおつかいさせられていたのか!?」

「まぁね。嫌だって言っても、向こうも引き下がらないから何も変わらないし。さすがに持って帰る時の量を考えてほしいけどね」

「全く……秋夜にばかり関心を向けて、娘を蔑ろにしすぎだ。買い出しすべてを麻奈にやらせるなんて……どうかしてるぞ」

 それが普通の反応よね。ちらりと一瞬だけ母親に視線を向けたけど、気づかないのかあるいは気づかないフリをしているのか、どっちにしても父親の叫びに一切反応しない私の母親。

 私は「やれそれ……」と思いながら、気になっていたことを父親に聞いてみる。

「それで、夕飯は?」

「もう三人で食べたが……」

「また間に合わなかったか……」

 何回ため息ついただろう。夕飯用意されなかったのは慣れてるけどね。

「麻奈、さっき帰ってきたばかりだから、まだ食べていないんだろう?」

 父親が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。心配してくれるってありがたいよね。でも今は……。

「うん、食べてないけど……その前におつかい行ってきたことお母さんに言わないといけないから」

 私は父親にそう告げると、椅子に座っている母親に近寄った。

「お母さん、ただいま」

「……………………」

 母親ですが……私の言葉に対して、無視。一切の反応がありません。おかえりくらい言ってくれたっていいじゃない。

 私はもう一度話しかける。次は「ただいま」をやや大きめの声で言ってみた。

 もう一回はなしかけたおかげか、母親が反応を示した。

「なーに。今、秋夜の勉強を見るのに忙しいの。声をかけないでちょうだい」

「いやいや、そうじゃなくて。おつかいに行ってきたんけど……」

「あぁ、おつかいね。そこに適当に置いといてちょうだい。秋夜を天才に育てなきゃいけないから」

 相変わらずの反応だった。あなたは秋夜にしか興味がないのですか!? いや、正確には秋夜じゃなくて、秋夜を天才に育てることしか頭に入ってない。

 きになっていたテーブルの上をくまなく見回したけど、私の夕飯は当然のごとく置かれていない。

「一つお聞きしますけど……私の夕飯は?」

 私の質問に、母親に悪びれることなく答える。

「は? 麻奈の夕飯? 知らないわよ。そもそも麻奈の分は作ってないわ。だって、夕飯の時にいないんだもの」

 いなかったからって……そもそも夕飯前におつかい押し付けたのあなたじゃないか、全く。

 そう、夕飯の時に私がいなかったら母親は三人分しか作らない。私が夕飯後に戻ってきても作ることはしない。夕ご飯を食べる時に何回苦労したか。

「適当に食べてね。麻奈のために作る気はないから」

 母親は素っ気ない態度でつぶやいた。母親の態度に、私は少しイラッときた。

「そんなこと言わなくたっていいじゃない……仮にもあなたの娘なんですけど!? そんなに娘に今日にがないの!?」

 私の言葉を耳にして、母親が勢いよくテーブルを両手で叩いた。

「うるさいわね! あんたの相手する暇はこっちにはないの! 秋夜を天才に育てなきゃいけないんだから! 勝手に食べなさいって言ってるでしょ!」

 怒鳴るけど、一切私の方を向かない母親。起こるなら私を見て怒ってよね。

 ーーそんなに興味がないのね……私のことが。相手をするだけ無駄だったというわけね。

 思わず「ふふっ」と笑いがこぼれてしまった。だって、笑うしかないじゃない。どんなに話しかけても私をちゃんと見てくれないんだもの。

 後ろから足音が近づいてきて、誰かが私の右肩を叩いた。

「麻奈……!」

「お父さん……!!」

「荷物は父さんが預かっておくよ。今の小春に何を言っても無駄だ。先に夕飯を食べなさい。戸棚に大盛りサイズのカップラーメンがあるから、それを食べるといい。父さんが買ってきたやつだから問題ない」

 私の父親は娘に無関心な母親と違って良い人だ! 素晴らしい!

「ありがとう! たすかるよ!」

「それと、もう一つ…………」

 父親の「もう一つ」という単語に、私は「ん?」と首を傾げる。

「もう一つ?」

「明日はバレンタインだろう? やるべきことがあるんじゃないか?」

 バレンタイン。一瞬、ぎくりとした。まさか、父親の口からバレンタインって言葉を聞くことになるなんて。

「お父さん、どうして……」

「娘の表情を見ればわかるさ。深夜なら台所が使える。小春が寝ている時に使うといい」

「でも、お父さん…………」

 父親に台所使えばいいって言われてもな……なんだろう、このモヤモヤ感。本来なら母親に頼むべきなんだろうけど、興味のない私のお願いなんて聞くはずがない。やっぱり夜中にこっそり使わせてもらうしか……。

「バレた時は父さんがなんとかする。大丈夫だ」

 父親が「それにな」と続けて言った。

「好きな人に想いを伝えたいなら、きちんと言わなきゃ伝わないぞ。麻奈」

 ーーーー!! 花梨と同じ言葉!! そうだ、言わなきゃ何も伝わらない。勝負は明日なんだ。たとえ負けたとしても、悔いの無いよう、自分の想いをぶつけない限り相手には伝わらない。

「ありがとう、お父さん。私、頑張って伝えてみる」

「ふふっ、その意気だ。まずは夕飯を食べないとな」

「そうだね、夕飯食べないとね」

 私はひとまず荷物を父親に預けると、夕飯の支度を始めた。



      *



 家族が寝静まった深夜十二時頃。私は足音をたてないように階段を下りて、真夜中のリビングに忍び込んだ。

「誰もいないね……よし!」

 静かに扉を閉めると、一直線に台所に向かった。カチッと、電気のスイッチを押したら、蛍光灯に明かりがついた。

「これで準備オッケーね。後は……材料を取り出して、作り始めるだけ」

 コンロの下に備え付けられている、観音開きになっている収納棚の扉を開けて、隠していた材料を一つずつ取り出していく。

「お母さん、材料の存在に気が付かなかったみたいで助かった」

 材料は全部取り出したから、後は調理器具だね。えーと、ボウルにヘラに鍋……あ。包丁とまな板も必要だったね。

 必要最低限の調理器具を引っ張り出し終わったら、持ってきたエプロンを身につける。

「よし、作るぞー!」

 私は両手で両頬を軽く叩いて気合を入れ直した。



 一時間後ーーーー。



 自分が持ってきたトレーを台の上に置き、その上にハート型の型抜きを真ん中に置く。

 ハート型の型抜きに湯煎で溶かしたチョコレートを流し込む。

「できたー! 後は冷やし固めるだけ!」

 小型の冷蔵庫なら自分の部屋にあるから、そこに入れておけばバレないはず。

「あとは……綺麗に片付けておけば大丈夫ね」

 私は使い終わった調理器具をスポンジに洗剤つけて洗っていく。私の母親は元の場所に戻しておけば基本気づかない。というか、そもそも私のことは興味ないみたいだし、バレないと思うけどなぁ。

 などと考えながら、十五分くらいで洗い物が完了。すぐさま調理器具を元の位置に一つずつ置いていった。

「これでよしっと……床もオッケー。作業台もオッケー。調理器具もオッケー。全部問題ない。終わったから部屋に戻らなきゃ」

 左手でトレーを持つと、蛍光灯の明かりを消す。慎重に進んでリビングの扉までたどり着き、右手で扉を開けた。リビングを出ると、ゆっくり扉を閉め、足早に自分の部屋を目指した。



     *



 私は優しく扉を閉めた瞬間、安堵のため息を吐く。

「ふぅ……自分の部屋に戻ってこれた」

 自分の部屋に戻ってきた時には、すでに深夜一時半に回っていた。トレーを小型冷蔵庫に入れたら寝よう。

 私はベッドの隣に置いている自分専用の冷蔵庫まで歩くと、しゃがみこんで、扉を開けてトレーを入れる。明日になったら冷えて固まっているはず。

 扉を閉めた直後、私の中に不安がどっと押し寄せてくる。

「明日……か。言えるかな。自分の気持ち……」

 花梨の課題クリアできないまま春也に告白する日が来てしまった。明日なんて顔で花梨に会えばいいんだろう。

 それに結局、春也と鈴蘭の本当の関係がわからなかった。私にライバル宣言してきた鈴蘭の真意も。

「今考えてもしょうがないよね。寝なくちゃ」

 私はつぶやくと、予めベッドの上に用意していたパジャマに着替える。着替え終わったら、ベッドの中に潜り込む。


 課題クリアできなかったけど、明日は精いっぱいの言葉で気持ちを伝えてみせる。きっと。


 私は深い眠りへついた。

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